前々回、南城市大里字大里の南風原集落に点在する『石彫魔除獅子』をはじめとする史跡をご紹介したんですが、今回はその続きです。
集落の東側にある『上ヌ井』を見学した後、集落北側の小高い丘へと向かいました。
南城市大里字大里の南風原集落にある
『松尾御嶽とその他の史跡』☆
南風原集落の北側に位置する『松尾御嶽』 |
『南風原農村集落総合管理施設』に設置されている『南風原ガイドマップ』 |
≪南風原のみどころ≫
≪字の中央にある食栄森御嶽(イイムイウタキ)は、字の守り神として古くから大切にされている場所です。御嶽は石積みのアーチ門に囲まれた独特なつくりとなっており、中心となっているのはボーントゥと呼ばれる古墓です。その右側に『此に骨あり、世に遠くして其人知らず』と刻まれた石碑が建っています。
北側に位置する今帰仁への遥拝所をはじめ、周囲に複数の拝所があります。食栄森全体が神聖な場所で、今も神秘的なたたずまいです。
また、集落内にはそのほかにも御嶽や井泉、石獅子、ヒンプンなど多くの歴史資源が残されており、特に石造の祠に宝珠があるのは首里とこのあたりに見られる特徴と言われています。
字では伝統行事も大切にしており、中でも旧暦6月14日のウマチー綱(ワラバー綱)、旧暦6月26日のアミシ綱はにぎやかに行われます。≫
・・・とありました。
南風原集落の北側を走る道路の向こう側にある『松尾御嶽』 |
集落とその道路を挟んで向かい側に『松尾御嶽(まちゅーうたき)』という拝所があります。
『松尾御嶽(まちゅーうたき)』手前の小さな広場は昔の馬場の一部なんだそうですよ。 |
≪松尾御嶽(まちゅーうたき)≫
≪小高い丘の上にあり、石造りのアーチの上に宝珠を頂く風格ある御嶽です。『琉球国由来記』には「松尾ノ嶽」、神名「松尾森御イベ」と記されています。遥拝所といわれますが、どこへの遥拝所なのかははっきりしたことはわかっていません。アーチの中には3段の階段があり、その先は急な下り斜面となっています。
アーチ手前には左右に石灯篭がおかれ、右側の灯篭の隣には火ヌ神があります。前面の広場は昔の馬場の一部です。
松尾御嶽の東側(右手奥)にはナカヌウタキがあります。
南城市教育委員会≫
・・・とありました。説明にあったアーチの上の宝珠と内部の石段、そして左右の石灯篭。 |
説明にあった通り、アーチ内部には3段になった石段があり、そこに1基の香炉が置かれていました。
アーチ内部。3段になった石段と香炉が1基置かれていました。 |
右側の石灯篭と『火ヌ神』が祀られた小さな祠 |
『松尾御嶽』の後方。綺麗な石積みが施されていました。 |
『松尾御嶽』の斜め右後方にある小道。この先にも御嶽がありました。 |
南城市公式HPの資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』にある分布図には『拝所1』とだけ記載されていたのですが、『南風原ガイドマップ』には『ナカヌウタキ』・『ダキヤマウタキ』と表記されていました。
『松尾御嶽』の東側にあった2基の祠 |
ナカヌウタキ |
ダキヤマウタキ |
表道より低い場所にあるため、道路からは見えにくくなっています。
第一尚氏 与那原大親御住居之跡 |
その石碑には『第一尚氏 与那原大親御住居之跡』と記されていました。
『第一尚氏 与那原大親御住居之跡』と記された石碑 |
『尚思紹』の長男は、かの有名な『尚巴志』なんですが、その『尚巴志』と『与那原大親』は兄弟みたいです。
広場には石碑とカー跡らしき円形状の穴がありました。
カー跡(?) |
小道沿いにある『直水槽』(左)と『イービヌウタキ』(右) |
どうやらそのコンクリート製の壁が、『直水槽』のようです。
直水槽 |
≪直水槽≫
≪南風原では豊かな水資源を生かし、昭和11年という県内でも那覇に次いで早い時代に、各家庭まで配水する簡易水道を設置しました。直水槽は配水池で、水源は大里城(おおざとぐすく)の麓にある内原井(うちばるがー)です。地形を生かし、自然流下で水をいきわたらせていました。
昭和49年に上水道が引かれてのち、新たな水道タンクの建設によって直水槽はその役目を終えましたが、字は歴史遺産として残すことを決議し、今も当時の姿のまま残されています。≫
・・・とありましたが、案内板の後方は生い茂った草木に覆われており、接近して見学することが出来ませんでした。。。
この『直水槽』の案内板から少し離れた場所に、『イービヌウタキ』という拝所があります。
イービヌウタキ |
≪イービヌウタキ≫
≪海の神様で、旧暦3月3日の浜下りのとき、女性たちが海にいく代わりにここで拝んでいました。災厄を払い清め健康を祈願します。『琉球国由来記≫にある『神山ノ嶽』と思われます。≫
・・・とありました。
イービヌウタキ |
また、石積みの上部は、ご覧の通りガジュマルの木の根が張っておりました。
この『イービヌウタキ』から小道を上がって表道に出て、道路を挟んで右斜め向かい側に一ヵ所だけ開けてる場所を見つけたので、そちらの方へ行ってみました。
琉球石灰岩の岩壁の中腹に石板と石積みで洞口を塞いだ拝所らしき人工物がありました。 |
んで、この森の中を通る遊歩道へ行ってみたんですが、御嶽などの拝所らしき場所は見当たらなかったんです。。。
そして、一旦『イービヌウタキ』前の道路まで戻り、その開けた場所へ行ってみると、その中にある琉球石灰岩の岩壁の中腹に、石板と石積みで洞口を塞いだ拝所らしき人工物を見つけたんですよ。
こちらが『マンカーヤマウタキ』なのでしょうか。。。 |
※ワタクシの憶測ですので、定かではありません。(もし間違っていたらすいません。)
そして、この『マンカーヤマウタキ』や『イービヌウタキ』がある場所から、表の道路をさらに北側へ進むと、ちょうど右カーブから左斜め方向へと伸びる脇道があります。
その脇道に入って約50mほど進んで行くと、道路沿い右側にある琉球石灰岩の根元に『セークガー』と呼ばれるカー跡があります。
『セークガー』を、道路上北側から撮影したところ。左側の岩壁の根元に『セークガー』があります。 |
セークガー |
この『セークガー』に向かってすぐ左隣に、森の中へと続く階段があったので、ついでにそちらにも行ってみると・・・
『セークガー』横の階段 |
古墓 |
また、『南風原ガイドマップ』にも表記されていなかったですね。
・・・と、こちらの古墓まで見学した後は、予定していた撤収時刻となったんで、そのまま帰宅の途に就きました。
『南風原ガイドマップ』の分布図や南城市公式HPの資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』には、前々回と今回ご紹介してきた御嶽やカー跡などの史跡の他に、『クダカガー』、『ウガンヌカー』、『ガンヤー』、そして『当間門中元屋のクムイ・ヒンプン』などが表記されているんですが、今回はそこまで回ることが出来ませんでした。。。
ですが、また機会を設けて、今度は『島添大里グスク』や『ギリムイグスク』に隣接する『西原集落』を見学しに行こうと予定しているので、その際に、それらの史跡も見学したいと思います。
『島添大里グスク』を訪れる際は、もしお時間があれば、そのすぐ近くにある『ギリムイグスク』や今回ご紹介してきた『南風原集落』内に点在する史跡なども見学されてみてはいかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『松尾御嶽』他☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市大里字大里 (南風原区)
☆見 学:無料
☆駐車場:無し