少し話しが前後するんですが、以前ご紹介した南城市大里大城にある『大城城跡』や城跡北側に位置する『上稲福遺跡群』を見学した日、帰りがけに『大城城跡』の南側に位置する史跡に立ち寄りました。
こちらは、かつて『大城ノロ』が住んでいたとされる屋敷跡なんだとか。。。
沖縄県南城市大里大城にある
『のろ殿内(ヌルドゥンチ)』☆
終戦後に『大城神社』と呼ばれた『大城ノロ』の屋敷跡 |
まず、南城市の県道77号線と86号線が交差する『仲間』の交差点から、県道86号線を同市大里大城向けに進み、約1.5㎞ほど進んだところにある十字路(角に『ローソン南城大城店』があります)を左折します。
次に、十字路を左折して、約80mのところ右側にある最初の脇道を右折して、道なりに約90mほど進んでいくと、右側に脇道がありますので、そちらへ入って奥まで進んでいくと、その突き当り左側にあります。
大きなガジュマルの木の根元に『上のヘーリンツ』と呼ばれる拝所があります。 |
まず、最初は大きなガジュマルの木の根元にある拝所で、古い標柱には『上のヘーリンツ(イーヌヘーリンツ)』と刻まれていました。
『上のヘーリンツ(イーヌヘーリンツ)』 |
資料には「琉球石灰岩製の祠がある。」と記されていたんですが、ガジュマルの木の根元には写真の標柱しかなく、その周囲にも祠らしきものは見当たりませんでした。
この『イーヌヘーリンツ』を後にし、小道をさらに奥に進むと、次は『上里拝所』と記されたコンクリートブロック制の祠があります。
上里拝所 |
『上里拝所』の内部。いくつかの霊石と香炉が2基置かれていました。 |
(南城市の公式HPの資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』より引用)
そして、この『上里拝所』から少し離れた場所には『ヌルガー』があります。
『上里拝所』から少し離れた右奥に『ヌルガー』がありました。 |
ヌルガー |
ヌルガー |
(『ヌルガー』の標柱にあった説明より引用)
この『ヌルガー』を後にし、小道をさらに奥に進んでいくと、突き当り左側の一段高くなった場所に『のろ殿内(ヌルドゥンチ)』があります。
『のろ殿内(ヌルドゥンチ)』の入口 |
≪のろ殿内(ヌルドゥンチ)≫
≪大城ノロが住んでいた屋敷跡です。昭和59(1984)年にコンクリート製に改修されました。3つの香炉のうち、左奥側の香炉はヌルヒヌカンで、ロッカジューガに御通し(うとぅーし)の祈願をします。
右側の香炉はウツーヌアジ墓へ、手前の香炉は糸満のタマターグシクへ御通しの祈願をします。≫
・・・とありました。
のろ殿内(ヌルドゥンチ) |
『ノロ殿内』内部 |
奥の香炉は『ヌルヒヌカン』。手前の香炉は糸満の『タマターグシク』への御通しの祈願のための香炉。 |
右側奥の香炉。こちらは『ウツーヌアジ墓』への御通しの祈願をするんだそうです。 |
左側の壁の上には『大城神社寄付者御芳名』が設置されていました。 |
その案内板には『上ヌカー(イーヌカー)』とありました。
小道突き当りから見た『のろ殿内』入口と『上ヌカー』へ通ずる小道の入口(左側) |
『上ヌカー』へ通ずる小道の入口 |
上ヌカー(イーヌカー) |
こちらにも説明板が設置されていたので、そちらを引用させて頂きます。
上ヌカー(イーヌカー) |
≪上ヌカー(イーヌカー)≫
≪大城集落の上方に位置していることから、この名で呼ばれています。産湯、若水、死水に使用されていた井泉(かー)であり、水道が普及する以前までは飲料水として使用されていました。≫・・・とありました。
井戸周りは綺麗な石垣で囲われており、現在も水を湛えていました。 |
んで、クルマに乗り込もうとした時、『のろ殿内』に向かって左側の方に『大城城跡』に向かって伸びる小道を見つけたんですよ。
『のろ殿内』の横にあった小道。 |
しかし、この時すでに暗くなり始めており、さらに雨もポツポツと降り始めてきたんで、この日は断念してそのまま帰宅の途に就きました。
先程ご紹介した『上ヌカー』の前の細い下り坂は、大城集落に続いているようで、その大城集落内にも拝所やカー(井泉)などの史跡がいくつか点在しているみたいなんですよ。
なので、また時間を作って、そちらの史跡も見学しに行こうと思っているので、その時に、上の写真の小道の先にも立ち寄ってみたいと思います。
それでは、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『のろ殿内(大城神社)』・『上里拝所』他☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市大里大城 (大城集落)
☆見 学:無料
☆駐車場:無し