先月(2月)、南城市大里大城にある『大城城跡』を見学した後、城跡の北側に位置する稲福集落へと向かいました。
なんでも、その集落内には、かつての大城グスクの城主であったと伝えられる按司の御墓があるんだとか。。。
南城市大里大城にある
『大城按司の墓』☆
静かな森にひっそりと佇む『大城按司の墓』 |
そして、約160mほど進んでいくと、片側一車線の道に出るんですが、そこをまた右折し、約530mほど進んでいくと、道路沿い左側にあります。
道路沿いにある『大城按司の墓』の入口 |
まずは、その説明を読んでみることに。。。
『重要文化財 大城按司の墓』と記された琉球王府 文化財保護委員会の標柱 |
≪県指定有形文化財(建造物) 大城按司の墓(うふぐすくあんじのはか)≫
≪昭和36年6月15日指定≫
≪大城按司真武(しんぶ)は三山時代の人で、14世紀中期から末期ごろの大城城の城主であったが、麻姓家譜(ませいかふ)によると、島添大里按司(大里城主)との戦いに敗れ、稲福村の西で自害したという。亡骸は同地に葬られ、小石を円く積み上げて塚としたという。
その塚が現在の墓の原形といわれているが、いくたびか改築され、1892年(明治25年)に現在地(大里村字大城)に移築された。
『県指定有形文化財(建造物) 大城按司の墓』の説明板 |
その形から俗に〈ボウントゥ御墓(うはか)〉とも呼ばれており、沖縄の一般の墓とは異なる独特の形式をもつ墓として貴重である。
規模:間口 7.57m、奥行 5.88m、高さ4.02m、円筒の直径3.78m。
平成元年12月14日 沖縄県教育委員会 大里村教育委員会≫
・・・とありました。道路から見ると、木々の間から御墓の一部分が見えます。 |
琉球王府の標柱が立てられている場所から中を覗いてみると、木々の間から御墓の一部分が少し見えます。
参道の途中から按司墓を見たところ。御墓の前庭は、低い石垣で囲われていましたね。 |
大城按司の墓 |
御墓に向かって左側にあった香炉(?)。こちらも拝所でしょうか・・・? |
前庭の奥の角にあった碑文が記された石板。 |
前庭奥の石積み |
前庭から出入り口側を見たところ。前庭を囲う石積みが雑草に埋もれてしまっています。。。 |
前庭の奥から見た『大城按司の墓』と石碑 |
墓口の真上に『大城按司麻公真武塋』と記されていました。 |
この続きは、また別の回にご紹介致しますね。
あと、今回、稲福集落を訪れた時には全く気付かなかったんですが、この『大城按司の墓』の道向かいの少し下った場所には、大城按司の妻である『ウナザラ』の御墓があるんだとか。。。
なので、また時間を作って、そちらの方も見学しに行きたいですね。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『大城按司の墓』☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市大里大城1392
☆見 学:無料
☆駐車場:無し