ハイサぁ~イ⭐
先月(2月)、糸満市真栄里にある4ヶ所の慰霊塔を見学した後、最後に同市米須にあるグスク跡へと向かいました。
こちらは、13~15世紀頃のグスク時代に栄えたグスクなんだそうで、同市大里にある
『南山グスク』の出城として米須按司によって築城されたんだとか。。。
※築城者に関しては諸説あるようで、現・宜野湾市大謝名にいた謝名按司が戦で負けてしまい、米須へと逃げ延び、築城したとの説もあるみたいです。
沖縄県糸満市米須にある
『米須グスク』☆
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主郭にある『ヒンプン(目隠し)』の役割であろう岩
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こちらは、糸満市の
国道331号線と
県道7号線がぶつかる
『米須』の交差点から、
国道331号線を同市
伊原向けに進み、
約160mほど進んだトコ右側の
『げんまい歯科医院』さんの隣にある脇道を右折、そのまま道なりに直進していくと、その突き当りにあります。
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米須グスク入口 |
グスク入口横の空き地にクルマを停めさせてもらい、さっそくグスク内へと向かいました。
グスク入口には、『米須グスク』の説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに。。。
≪米須グスク≫
≪米須グスクは、十三~十五世紀頃のグスク時代に栄えたグスクです。
市内にあるグスクの中でも比較的保存状態が良いグスクです。
高さ約三m、幅一・五~二mの野面(のづら)積み石垣が巡らされています。
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以前は、グスクへ続く遊歩道は未舗装だったようですが、現在は舗装されています。 |
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遊歩道終点近く右側にグスクの石垣がありました。 |
石垣によって二つの郭で仕切られ、一つの郭内には建物跡らしき遺構があって、当時をしのばせます。
このグスクにはつぎのような伝承が伝わっています。
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遊歩道終点は、左右に道が分かれており、左側は拝所がある広場、右側は主郭へと続く道となっていました。 |
米須按司には美しい奥さんがいた。按司の家来が奥方の美しさにほれ、ついには按司を殺してしまった。
悲しんだ奥方に家来が自分の嫁になるようしつこく言ったので、主人を殺したのが家来であることをさとり、仇を討つことにした。
「あなたの腕で一抱えする柱で家を造ってくれたら嫁になります。」
家来がやっとのことで木を探し「この木はどうか」と腕を回しているスキに隠し持ったクギを両腕に打ち込み奥方は仇討ちを成し遂げたと云う。
糸満市教育委員会 平成十二年三月≫
・・・とありました。
説明を読んだ跡で、さっそく城跡内へ。。。
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主郭へと通ずる道。石積みが残っています。 |
整備された遊歩道の終点の先は、道が二手に分かれており、右へ進むと主郭、左側は拝所のある広場となっていました。
また、この主郭へと続く坂道の右側の林一帯は、米須グスクの二の郭だったらしく『下城』と呼ばれていたんだそうです。
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右側は深い藪になっており、進入出来ませんでした。。。 |
二の郭も見学したかったんですけど、ご覧の通り、深い藪になっていて進入することが出来ませんでした。。。
遊歩道終点から主郭へ向かうと、道がS字に曲がってましたね。
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最初のカーブを曲がったところ。 |
最初のカーブを曲がって、すぐに次のカーブを曲がると、入口が見えてきます。
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2つめのカーブを曲がったところ。石垣のあるところが主郭入口。 |
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主郭入口から内部を見たところ。ヒンプンと思しき岩が見えます。 |
2つめのカーブを曲がり、主郭入口まで行くと、主郭内部にヒンプンのような岩が見えました。
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このヒンプンみたいな岩は『イベ石』なんだそうですよ。 |
このヒンプンのような岩は、『イベ石』なんだそうで、その前方は少し開けた感じになっており、拝所となっているみたいでした。
※『イベ(若しくは「イビ」)』・・・御嶽などにある神様の在所のこと。或いは、神名や神石など指すことも。
んで、そのまま主郭を散策すると、主郭西側には、城壁らしき石垣が残っていました。
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主郭の石垣 |
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上の写真の石垣の上に三角点が設置されていました。 |
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石垣 |
主郭は結構広々としていたんですが、ネットでいろいろ調べてみると、主郭東側の藪の方も主郭となっているらしく、かつては現在の面積よりも、もっと広範囲に広がっていたようです。
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主郭。かつては右側の藪の方も主郭だったと考えられているみたいですね。 |
その藪の部分も見に行ってみたかったんですけど、藪の中は、ハブと遭遇する確率がメチャ高くなるので、進入は断念致しました。
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イベ石の裏側。 |
現在の主郭部分を、あっちこっち歩いてみたんですが、拝所らしき場所は見当たらなかったので、そのまま引き返し、今度は、先程の遊歩道終点左側にあった広場へ行ってみることにしました。
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遊歩道終点左側の広場。 |
こちらの広場には、拝所が手前に1ヵ所、奥に2ヵ所の計3ヵ所ありました。
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拝所 |
ネットでいろいろ調べてみると、なんでも、こちらのグスク内には、『米須城之嶽』という拝所があるんだそうで、その拝所では『島根富、国根富ノ御イベ』というグスクの守護神が祀られているとのことです。
※もしかすると、先程ご紹介した『イベ石』を指しているのかもしれませんね。。。
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広場の右奥にあった拝所。 |
また、『琉球国由来記』を舛誤
(せんご)を公正、欠少を補集して漢文に書き改めた改訂版の『琉球国旧記』(1731年)には、『米次城
(クミシグスク)』と記載されているんだそうで、かつての集落の名称は『米次(クミシ)』で、後に『米須』となったんだそうです。
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祠の拝所の向かい側にあった拝所。 |
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広場から主郭へ続く道側を見たところ。石垣が綺麗に見えますね。 |
広場内にある3ヵ所の拝所を見学した後、一旦、説明板が設置されている遊歩道入口へと戻りました。
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説明板が設置されている場所から西側を見たところ。 |
遊歩道入口から、ふと西側に目をやると、コンクリート製の小さな建物が見え、気になったんで、ちょっとそちらへ行ってみると・・・
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拝所とアサギ(?)か何か、かな??? |
道沿いに拝所があり、その後方はご覧の通り、舗装された広場になっていて、その右奥にもアサギ(?)っぽい感じの建物がありました。
また、そこからさらに西側へ進んで行くと、道路沿い右側の森の中にも拝所が点在していいました。
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道路右側の森の中にも拝所が点在してました。 |
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道路沿いの入口から見た拝所群。写真右奥にも拝所がありましたよ。 |
こちらには、道路側の入口にある木の根元やその後方の木の根元、さらに奥にあるガジュマルの根元と計3ヵ所の拝所がありました。
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道路沿い入口にあった拝所 |
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入口の拝所後方にあった拝所。左側の木と木の間にも石積みがあり、カー(井泉)の跡っぽかったですね。 |
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写真中央より少し右側に一番奥の拝所が写っています。 |
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一番奥のガジュマルの根元にあった拝所。 |
また、こちらの場所から少し西側へ進むと、茂みの中へと続く小さな小道を発見したので、そちらの方へいってみると・・・また、拝所がありました。
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写真右側が先程の拝所のある場所で、左側の茂みに拝所へと続く小道があります。 |
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小さなん小道を入ってきたところ。ガジュマルの木の根元に拝所があり、右側には石段がありました。
手前左側のコンクリートは、腰掛っぽかったんですが、なぜか靴が置かれてましたw |
拝所は、琉球石灰岩に根を下ろした大きなガジュマルの根元にあり、石積みで造られていました。
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拝所 |
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拝所の左側 |
また、拝所の右側にあった石段の先へと進んでみたんですけど、何も見当たりませんでしたねぇ。。。
もしかすると、どこかに拝所があるのかもしれないんですが、藪が深かったですし、ここを訪れた時点で、結構暗くなってきていたこともあって、散策を諦めたというわけなんです。。。
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石段の先の藪の中。。。写真では明るく見えますが、この時、だいぶ暗くなっていたんですよ(泣) |
・・・と、こちらまで見学した後、表道へと戻り、さらに西側の道路周辺をちょこっと散策してみたんですが、特に何も見当たらなかったので、そのままクルマへと戻り、帰宅の途に就きました。
以前、こちらを訪れたことのある方のブログなどを拝見させて頂くと、昔は遊歩道もなく未舗装の獣道って感じの道しかなく、グスク内も草木が生い茂ってて、荒れ放題だったようですが、ワタクシが訪れた時は、ある程度草刈りなどの清掃・整備がされた後だったようで、まぁまぁ見学しやすかったですよ。
まぁ~、残念ながら二の郭は、ちょっと厳しかったですが。。。
こちらを訪れてみたいという方は、むやみに茂みなどにはあまり近づかないようにして、ハブに遭遇しないように、十分に気を付けてくださいね。
あと、石垣の穴の中に潜んでいることもあるので、石垣にもあまり近づかない方がいいと思います。
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『米須グスク』の主郭の城壁の上から見た景色。 |
ちょっと長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『米須グスク』☆
☆場所:〒901-0335
沖縄県糸満市米須304
☆見 学:無料
☆駐車場:無し(説明板のあるグスク入口横に空き地があったので、そちらに駐車しました)
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