今回も、前回の続きです(笑)
『龍の蔵』さんの『金武鍾乳洞の古酒蔵』を見学した後、『龍の蔵』さんの道路を挟んで右斜め向かいにある寺院へと向かいました。
こちらの建物は、沖縄戦の際、大半の寺社建造物が焼失した中、奇跡的に戦火を免れ、本島内で唯一残存した貴重な木造建築物なんだそうです。
沖縄県国頭郡金武町金武にある
『金峯山 金武観音寺』☆
高野山真言宗 金峯山 金武観音寺 |
『高野山真言宗 金峯山 金武観音寺』の入口 |
その説明を読んでみると・・・
≪金武町指定文化財 金武観音寺のフクギ(オトキリソウ科)≫
≪一、種別 記念物 一、指定 平成三年十二月二十四日 一、現在地 金武町字金二二二番地説明
フクギは推定樹齢約三五〇年、胸高円周二・八メートル樹高十二メートルを有し、沖縄本島各地のフクギの中でも希少な巨木と云われている。
常緑の高木で風や塩害に強く、屋敷林として昔から沖縄各地で広く利用された樹種である。
『金武観音寺のフクギ』の説明板と『新沖縄観光名所』と題された『金武鍾乳洞と大川』の石碑 |
金武町教育委員会≫
・・・とありました。金武観音寺のフクギ |
約350年もの間、ずーっとこの場所で、金武町の変遷を見守ってきたんですね。
この『金武観音寺のフクギ』を通過していくと、これまた参道沿いに『子育て地蔵』と『水子地蔵』が建立されていました。
『子育て地蔵』と『水子地蔵』 |
子育て地蔵 |
水子地蔵 |
金武観音寺拝殿 |
≪高野山真言宗 金峯山 観音寺≫
≪当観音寺は、十六世紀に日秀上人によって創建されたが、現存する観音寺は、昭和十七年に再建されたものであり、建築手法は近世社寺の手法が取り入れられている。沖縄県下の社寺建築の多くは今次大戦で焼失したが、幸い当観音寺は戦災を免れて今日に至っており、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築である。
当観音寺は、昭和五十九年六月一日、有形文化財(建造物)に指定された。
金武町教育委員会≫
金武観音寺拝殿の内部 |
後日、いろいろ調べてみると、説明に出てきた『日秀上人』は、16世紀前期に紀伊国から唐を目指したそうなんですが、渡航中に遭難して金武のフナヤ(富花港)に流れ着いたんだそうです。
そして、金武にある鍾乳洞を拠点として布教活動を行い、金武観音寺を創建したと伝えられているんだそうですよ。(Wikipedia『金武観音寺』より一部引用)
また、『日秀上人』は、現うるま市石川嘉手苅にある『嘉手苅観音堂』を伊波按司に勧めて建立させた人物だと伝えられており、さらに、現浦添市経塚にある『経塚の碑(金剛嶺碑)』も、妖怪を退治するために建立したと伝えられていますね。
左側から見た金武観音寺 |
観音寺境内にある『金武鍾乳洞』の入口 |
入口から鍾乳洞内部を伺ってみると、こちら側も結構な深さがありましたねぇ。。。
入口から見た金武鍾乳洞内部 |
金武権現の祠の手前から内部を見たところ |
金武権現の祠 |
≪当山鎮守 金武権現≫
≪高野山で修行を積んだ日秀上人は、熊野から観音様が住むと言われる浄土を目指して小舟に乗り、金武の富蔵津(現在の福花)に漂着しました。金武に補陀洛浄土を観じた日秀上人は、この土地にお寺を建て、(観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来)を彫って泰安しました。
金武権現の祠の向かい側にある布袋様が祀られた拝所 |
仏教の(観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来)を本地とした熊野三所権現(事解男尊 伊勢冊尊 速玉男尊)が合祀されております。
ブレてしまって少し分かりにくいんですが、左上の鍾乳石が『菩薩の昇天図』、右下の鍾乳石が『金銀の滝』 |
当山鎮守として観音寺を護り、多くの人々の信仰を集めております。
金峯山 補陀洛院 観音寺≫
・・・とありました。菩薩の昇天図 |
金銀の滝 |
階段を下りていく途中で、特徴のある各鍾乳石には名称が付けられていましたねぇ。。。
大仏天釜 |
んで、階段を下りきったところのすぐ左側にも拝所がありました。
水天 |
『水天』の拝所の前から鍾乳洞奥を見たところ |
前回のブログ記事でもお話しましたが、以前は、『龍の蔵』さんが管理する泡盛が保管されていたそうなんですけど、鍾乳洞を別々に管理することになったため、鍾乳洞も二つに区分けされております。
鍾乳洞の最深部 |
鉄格子が設置されていて、これ以上奥へ進むことは出来ません。 |
遥か昔、金武の洞穴には一匹の大蛇が棲みついていました。
その大蛇は、金武大川(ウッカガー)へ水を飲みに行く際に、集落の家畜などを襲ったりして悪行を働き、人々を困らせていたんだそうです。
そんな最中、金武の富蔵津(現在の福花)に流れ着いた日秀上人が、人々から大蛇の悪行を聞き、御経を唱え、大蛇を洞穴に封じ込めました。
日秀上人が、大蛇を退治してくれたことにより、集落の人々は平和な日々を取り戻すことが出来たんだそうです。。。
『水天』の拝所前から鍾乳洞入口を見上げたところ |
梵字が刻まれた石碑 |
元山家累代之墓 |
『中僧正恵不生位』と刻まれた墓標(左)と『大西法晃和尚之墓』と刻まれた墓標(右) |
阿闍梨章道和尚不生位 |
こちらに関しては、ネット上でいろいろ検索してみたんですけど、何も出てきませんでした。。。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、金武町を後に致しました。
前回と今回の2回に渡って、『金武鍾乳洞の古酒蔵 龍の蔵』と『高野山真言宗 金峯山 観音寺』をご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか?
古酒蔵の鍾乳洞は、保管・管理されている泡盛も含め、そのスケールの大きさに『凄い‼』って感じでしたが、『金武観音寺』の方は、やはり神聖な場所だけに、感慨深いものがありましたね。
まだ訪れたことがないという方は、ぜひ一度足を運んでみてくださいませ。
今回は、少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『金武観音寺』☆
☆お問合せ:098-968-2411
☆場所:〒904-1201
沖縄県国頭金武町金武222番地
☆時間:境内⇒拝観自由 鍾乳洞⇒7:0~16:00
☆入場料・鍾乳洞拝観料:無料
※以前は、有料だったようですが、現在は無料となっています。
☆駐車場:あり
☆トイレ:あり