◎かつて首里王府から各間切間の伝達に利用され、宿道としても利用された石畳道☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2016年6月5日日曜日

◎かつて首里王府から各間切間の伝達に利用され、宿道としても利用された石畳道☆

ハイサぁ~イ☆

今日(5日)の沖縄本島は、朝方、雨が降っていたんですけど、日中はと~ってもいい天気でしたヽ(^。^)☆

また今日は、昨日よりも気温が若干低かったみたいで、風が涼しかったです☆

そして、週明け月曜日(6日)の天気は、降水確率が50%となっており、『曇時々雨』とのこと。。。

週間天気予報でも、明日以降は『曇』や『雨』が続く予想となっています(^^;

今年の沖縄地方の梅雨明けは、一体いつ頃になるんでしょうね。。。( ̄▽ ̄;

さてさて☆

今日は、ちょこっと野暮用があり、午後から沖縄本島うるま市へ出かけてきたんですが、その帰る途中に、同市の文化財に指定されている史跡の一つを見学してきました。

沖縄県うるま市川田と大田に跨る
『大田坂』
(うふたびら)
この急な階段の先に『大田坂(うふたびら)』があります。
こちらは、うるま市の川田大田のどちらの集落からも入ることが出来るんですが、今回は、下の川田集落側から入りました。

川田集落側の入口は、まず、うるま市の県道33号線85号線がぶつかる『前原』の交差点から、県道33号線勝連向けに約2.6㎞ほど進むと、左側に脇道があるので、そちらをUターンするような感じで左折します。

左折して、約250mほど進むと、右側に丘陵上へと伸びる階段がありますので、そちらが入口となります。
階段入口に、『大田ビラ』と書かれた案内板があります。
『大田坂(うふたびら)』
この階段も、傾斜がかなり急なので、気を付けながら上がっていくと、上がり終えた所から『大田坂』が始まっています。

『大田坂』入口に説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・

≪字大田と字川田を通る坂道は、今から約200年ほど前にあかばんた掟(うっち)と玉城親雲上(たまぐすくペーチン)と上門小(いーじょうぐゎー)ビニーの三人の企画と設計で施工され、地元や近隣の住民から資材の協力を得て完成したと伝えられています。
説明板に掲載されていた『大田坂』の写真
幅員2~3mで、全長約300mにおよび、琉球石灰岩を敷き詰めた石畳の道で、坂を登ると眺めの良い大田バンタがあります。

また、字具志川に番所があった頃首里王府から各間切間の伝達に利用された道で宿道として整備された歴史の道であります。
うるま市指定文化財第34号「史跡」 指定年月日:2005年(平成17年)2月16日≫
・・・と書かれていました。
説明板を通過したところ。手前側は石畳が確認できたんですが、奥の方は雑草が生い茂ってました。。。
説明を読み終え、さっそく『大田坂』を登り始めると・・・

手前側は、雑草がそんなに高くなかったので石畳が確認出来たんですけど、奥の方は雑草が伸び放題になっており、石畳を確認することが困難な状態になってました。。。
入口から少し上がって来ると、こんな感じで雑草が伸び放題になってました。。。
雨が降った際、上の方から水が流れているらしく、道の横側に水の通った跡があったので、そちら側から上がりました。

坂の途中、石畳が崩れている場所があり、おそらく雨が大量に降った時に崩れてしまったものだと思われます。

そして、しばらく歩いていくと、途中で、石畳が無くなり土の道に変わりました。
しばらく歩いていくと、石畳が無くなって土の道となっていました。
土の道をさらに登っていくと、短い区間だけですが、また石畳が現れました。

下の方の石畳とは違い、こちら側はかなり乱雑な状態になっていましたが・・・
かなり乱雑な状態になってましたが、石畳道が現れました。
この乱雑な状態の石畳道を越えると、ようやく終点に辿り着きました。

こちらは、大田集落側の入口となっており、ここにも、説明板が設置されてました。
大田集落側の『大田坂』入口。
大田集落側の入口は、すぐ横に民家の入口が隣接してました。

かなり急勾配でしたし、所によっては、滑りやすくなっている場所もあったので、下りるのも結構大変でしたね(笑)
大田集落側から入って、少し下った場所から見た『大田坂』
うるま市文化課の公式HP『うるま市の伝統文化』のページによると・・・
≪宿道は首里城を中心とした道で、古い絵図などから沖縄内に5本の道筋をみることができます。

その中の1本が、西原間切を経て宜野湾・越来・美里・金武・久志及び中城、具志川、与那城、勝連などに通ずるものでした。
川田集落側の『大田坂』入口の少し手前から見た景色。
道路の規格としては、宿道は幅8尺以上、双方に幅6尺の余地を置くこと、脇道は5尺以上、原道は3尺以上とし、管理は、各間切や村単位で行われ、その手に余るものを王府が行ったといわれています。
うるま市文化課【うるま市の伝統文化】の『大田坂(ウフタビラ)』の欄より一部引用≫
・・・と書かれていました。

かつては、各地に点在していた間切や村で、道路を管理していたんですね。。。知らなかった。。。(笑)
川田集落側の入口から見た景色☆
今回は、『大田坂』を川田集落側から入り、大田集落の入口まで上がってUターンしてきたんですが、大田集落側の入口付近に『大田バンタ』があることを忘れてしまってました・・・(泣)

・・・なので、近いうちに再訪して、『大田バンタ』も見学したいと思います。

あと、うるま市の文化財に指定されているのに、雑草が生い茂って荒れた状態のままになっていたのは、ちょっと残念でしたね。。。

せめて、草刈りなどの清掃を定期的に実施してほしいものです。。。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ    

『大田坂(ウフタビラ)』☆


☆場所:〒904-2232
      沖縄県うるま市川田
《若しくは〒904-2224  うるま市大田》

☆営業時間:自由見学

☆入場料:無料

☆駐車場:無し