ハイサぁ~イ☆
今日(5日)の沖縄本島は、朝から愚図ついた天気となってましたが、時間が経つにつれて、次第に雨も上がり、夕方頃には太陽がチラッと顔を覗かせるくらい、天気が回復しましたね☆
んで、明日(6日)の天気は、降水確率は30%となってるんですが、一日中晴れる見込みとのこと(^^♪
しかし、今週から来週にかけては、いい天気が続かないみたいで、明後日(7日)からは、また『曇り』か『雨』の日が続くみたいです。。。
またしばらくは、『晴れ』の日がないみたいなので、明日か明後日は、ちょっと時間作って、どこか出かけようかな。。。ヽ(^。^;
さてさて☆
前々回の記事でご紹介した八重瀬町富盛の『富盛の石彫大獅子(勢理城)』を見学した後、今度は南城市大里にあるグスク跡に向かいました。
このグスク跡は、以前ご紹介したことのある『島添大里グスク』のすぐ近くにあり、『島添大里グスク以前に玉村按司が築城若しくは居城していたという言い伝えが残っているんだとか。。。
沖縄県南城市大里にある
こちらは、まず与那原町の国道329号線と県道77号線がぶつかる『上与那原』の交差点から、県道77号線に入り、最初の信号を左折します。
左折してから、道なりに約1.4kmほど進んだ所の交差点を左折して、右斜め前方に伸びる道へと入ります。
右斜め前方の道に入ってから、あとは道なりに約800mほど進んで行くと、道沿いの右側にグスク入口に標柱が立てられた階段がありますので、すぐに分かると思います。
県道77号線や集落内の道には『大里城址公園』の案内板がありますので、途中まではこの案内板を頼りに進むと、分かりやすいと思います。
まず、『ギリムイグスク』入口から少し離れた場所の道沿いにある拝所を見に行きました。
こちらは、『ギリムイヌカー』といわれる拝所で、もともとは集落との間にあったそうなんですが、道路建設の際に移動されたんだそうです。
カーウガミの際に拝みが行われているとのことで、南風原区の津波古家が管理を行っているんだとか。。。
『ギリムイヌカー』を見学した後、いよいよグスク内へと進みました。
階段を上がる途中にも、グスクの古い標柱があるんですけど、雑草や植樹された木々によって埋もれてました。
階段を上がりきると、小さな広場があり、『島添大里城跡保存管理計画書』に記載されている《西原区民の歴史文化遺産に対する思い出》の図によると、この広場は《ギリムイ御嶽》と言われており、南風原区の人たちの棒の練習場所であったとのことで、男子の喧嘩の場所でもあったんだそうです。
広場には、真正面中央とその左右に拝所が設けられてました。
真正面の祠には石製の灯篭も立てられてます。
中央の祠は『ウサチ世ヌ墓』への御通し、向かって右側は『ウサチ世ヌ主ノ墓』への御通し、左側は『火ヌ神』といわれているみたいですが、異説もあるんだそうです。
ちなみに、この広場と拝所は、戦後に造られたみたいですね。
(島添大里城跡保存管理計画書より一部抜粋)
広場から、奥へと続く古い階段があるので、そちらの方へと進みます。
その階段を少し上がると、右側に大きなガジュマルの木があり、その根元にも、香炉が2基置かれ、拝所となってました。
こちらの拝所は、『先之世之主の墓(サチヌユヌヌシノハカ)』なんだそうで、香炉が2基置かれてます。
そして、この拝所を通過すると、また階段があるんですが、その左側にはガマ(壕)があります。
このガマは、階段下の方にも入口があるようで、反対側から光が差し込んでいるのが見えましたね。
階段を上り、小道はさらに奥へと続いてます。
その奥の方へ歩いていくと、少し開けた場所に出ますが、前方左側と右側の方に拝所が2ヵ所ありました。
まずは、真正面にあった2段になっている拝所なんですが、こちらは『ウサチュヌ墓』と伝えられているんだそうです。
この『ウサチュヌ墓』の右斜め前方の少し下った場所にも、拝所があります。
『ウサチュヌ墓』と拝所を通過して、さらに奥の方へと進みます。すると・・・
また、2段になった拝所があり、その奥の方には、ガマ(壕)がありました。
まずはガマ(壕)の手前側にある拝所なんですが、こちらは『島添大里城跡保存管理計画書』にある『ミンタマヤー』と呼ばれる拝所なのかと思ったんですが、所在を表す図表で場所を確認すると、どうやら違う拝所のようです。
また、詳細にも記載されていなかったので、どのような拝所なのかは分かりませんでした。
この2段になっている拝所の前を横切り、行き止まりまで進むと、左側の奥まったところに、ポッカリと開いた洞穴があります。
洞口から中を伺うと、どうやら少し人の手が加えられたような感じだったので、こちらも沖縄戦の最中に使用されていたんでしょうね。。。
んで、いったん2段になっている拝所まで戻り、今度は拝所横から丘の頂上へと続く、整備されていない小道へと進みました。
この小道を突き進んでいくと、丘の頂上に到着するんですが、そちらにも拝所が設けられてました。
この拝所は、『イーヌタッチュウサチグスク』と呼ばれている拝所なんだそうで、壺が二つ並べられており、その奥の一段高くなった場所に香炉が置かれてました。
また、この拝所横の一段低くなった場所にも、香炉が1基設けられてましたよ。
んで、この頂上までで終わりかと思いきや、『イーヌタッチュウサチグスク』前方から、下の方へとロープが張られており、獣道が続いてましたので、今度はそちらの方へと進みました。
慎重に、注意を払いながら進んで行くと、開けた場所に出ました。
その広場の横には、石垣があり、その中央にも香炉が置かれていたので、どうやらこちらが『ミンタマヤー』と呼ばれる拝所のようです。
こちらは、『ミンタマヤー』若しくは『三月モー』と呼ばれる場所なんだそうで、旧歴の三月三日に女性たちが遊んだ場所とのこと。
現在は南風原区の区長さんが年中行事として拝んでいるんだそうですよ。
この『ミンタマヤー(?)』の拝所後方にも、草木に埋もれた洞口があるのを発見しました。
こちらのガマ(壕)も、外から中の様子を伺うと、人の手が加えられたような感じでしたね。。。
そして、この『ミンタマヤー』とガマ(壕)の左斜め前方の方に、またロープが張られた獣道らしき道があったので、そちらの方へと行くと、南側の舗装道路に出ました。
どうやらこちらは、グスク南側の出入り口のようです。
ここまで見学した時には、すでに午後6時を回っており、かなり日も暮れてきてたので、今回は、このまま帰りました。
自宅に戻ってから、この『ギリムイグスク』について、いろいろ調べたんですが、どうやら『玉村按司の墓』、『イーヌヒージャーガー』、『ナカヌヒージャーガー』、『シチャヌヒージャーガー』を見落としていたようです。。。
なので、また改めて時間を作って、この『ギリムイグスク』に再訪したいと思いますヽ(^。^)☆
『ギリムイグスク』は、『島添大里城址公園(島添大里グスク)』から、とても近い場所にあるので、公園を訪れた際は、こちらも併せて見学されてみてはいかがでしょうか。。。
今回も、少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『ギリムイグスク』☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市大里大里548
☆入場料:無料
☆トイレ:なし
☆駐車場:なし
今日(5日)の沖縄本島は、朝から愚図ついた天気となってましたが、時間が経つにつれて、次第に雨も上がり、夕方頃には太陽がチラッと顔を覗かせるくらい、天気が回復しましたね☆
んで、明日(6日)の天気は、降水確率は30%となってるんですが、一日中晴れる見込みとのこと(^^♪
しかし、今週から来週にかけては、いい天気が続かないみたいで、明後日(7日)からは、また『曇り』か『雨』の日が続くみたいです。。。
またしばらくは、『晴れ』の日がないみたいなので、明日か明後日は、ちょっと時間作って、どこか出かけようかな。。。ヽ(^。^;
さてさて☆
前々回の記事でご紹介した八重瀬町富盛の『富盛の石彫大獅子(勢理城)』を見学した後、今度は南城市大里にあるグスク跡に向かいました。
このグスク跡は、以前ご紹介したことのある『島添大里グスク』のすぐ近くにあり、『島添大里グスク以前に玉村按司が築城若しくは居城していたという言い伝えが残っているんだとか。。。
沖縄県南城市大里にある
『ギリムイグスク』
『ギリムイグスク』の入口☆ |
左折してから、道なりに約1.4kmほど進んだ所の交差点を左折して、右斜め前方に伸びる道へと入ります。
右斜め前方の道に入ってから、あとは道なりに約800mほど進んで行くと、道沿いの右側にグスク入口に標柱が立てられた階段がありますので、すぐに分かると思います。
県道77号線や集落内の道には『大里城址公園』の案内板がありますので、途中まではこの案内板を頼りに進むと、分かりやすいと思います。
グスク入口から少し離れた場所にある道沿いの拝所『ギリムイヌカー』 |
こちらは、『ギリムイヌカー』といわれる拝所で、もともとは集落との間にあったそうなんですが、道路建設の際に移動されたんだそうです。
カーウガミの際に拝みが行われているとのことで、南風原区の津波古家が管理を行っているんだとか。。。
入口の階段を上がってすぐの場所にある拝所。向かって真正面が『ウサチュヌトゥーシ』、左側が『火之神』。 |
階段を上がる途中にも、グスクの古い標柱があるんですけど、雑草や植樹された木々によって埋もれてました。
階段を上がりきると、小さな広場があり、『島添大里城跡保存管理計画書』に記載されている《西原区民の歴史文化遺産に対する思い出》の図によると、この広場は《ギリムイ御嶽》と言われており、南風原区の人たちの棒の練習場所であったとのことで、男子の喧嘩の場所でもあったんだそうです。
広場には、真正面中央とその左右に拝所が設けられてました。
真正面の祠には石製の灯篭も立てられてます。
『ウサチュヌトゥーシ』に向かって右側にも拝所がありました。 |
ちなみに、この広場と拝所は、戦後に造られたみたいですね。
(島添大里城跡保存管理計画書より一部抜粋)
広場から、奥へと続く古い階段があるので、そちらの方へと進みます。
その階段を少し上がると、右側に大きなガジュマルの木があり、その根元にも、香炉が2基置かれ、拝所となってました。
広場から奥の方へと延びる階段 |
古い階段横のガジュマルの木の根元にあった拝所『先之世之主の墓』 |
そして、この拝所を通過すると、また階段があるんですが、その左側にはガマ(壕)があります。
『先之世之主墓』を通過すると階段があり、その横にはガマ(壕)がありました。 |
階段横にあった一ヵ所めのガマ(壕) |
階段を上り、小道はさらに奥へと続いてます。
その奥の方へ歩いていくと、少し開けた場所に出ますが、前方左側と右側の方に拝所が2ヵ所ありました。
『ウサチュヌ墓』 |
この『ウサチュヌ墓』の右斜め前方の少し下った場所にも、拝所があります。
『ウサチュヌ墓』前方にあった拝所 |
また、2段になった拝所があり、その奥の方には、ガマ(壕)がありました。
『ウサチュヌ墓』からさらに奥へと進んだ所。この右側奥にガマ(壕)があります。 |
ガマ(壕)の手前にあった拝所 |
また、詳細にも記載されていなかったので、どのような拝所なのかは分かりませんでした。
ギリムイグスク2ヵ所めのガマ(壕) |
洞口から中を伺うと、どうやら少し人の手が加えられたような感じだったので、こちらも沖縄戦の最中に使用されていたんでしょうね。。。
んで、いったん2段になっている拝所まで戻り、今度は拝所横から丘の頂上へと続く、整備されていない小道へと進みました。
拝所横から頂上へと続く小道 |
『イーヌタッチュウサチグスク』 |
また、この拝所横の一段低くなった場所にも、香炉が1基設けられてましたよ。
『イーヌタッチュウサチグスク』横の拝所 |
拝所『ミンタマヤー』(?) |
その広場の横には、石垣があり、その中央にも香炉が置かれていたので、どうやらこちらが『ミンタマヤー』と呼ばれる拝所のようです。
こちらは、『ミンタマヤー』若しくは『三月モー』と呼ばれる場所なんだそうで、旧歴の三月三日に女性たちが遊んだ場所とのこと。
現在は南風原区の区長さんが年中行事として拝んでいるんだそうですよ。
3ヵ所めのガマ(壕) |
こちらのガマ(壕)も、外から中の様子を伺うと、人の手が加えられたような感じでしたね。。。
そして、この『ミンタマヤー』とガマ(壕)の左斜め前方の方に、またロープが張られた獣道らしき道があったので、そちらの方へと行くと、南側の舗装道路に出ました。
どうやらこちらは、グスク南側の出入り口のようです。
ここまで見学した時には、すでに午後6時を回っており、かなり日も暮れてきてたので、今回は、このまま帰りました。
自宅に戻ってから、この『ギリムイグスク』について、いろいろ調べたんですが、どうやら『玉村按司の墓』、『イーヌヒージャーガー』、『ナカヌヒージャーガー』、『シチャヌヒージャーガー』を見落としていたようです。。。
なので、また改めて時間を作って、この『ギリムイグスク』に再訪したいと思いますヽ(^。^)☆
『ギリムイグスク』は、『島添大里城址公園(島添大里グスク)』から、とても近い場所にあるので、公園を訪れた際は、こちらも併せて見学されてみてはいかがでしょうか。。。
今回も、少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『ギリムイグスク』☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市大里大里548
☆入場料:無料
☆トイレ:なし
☆駐車場:なし