ハイサぁ~イ☆
今日(14日)の沖縄本島は、朝方までは大雨が降ってましたが、次第に雨が上がり、夕方頃くらいには青空も見え隠れしてましたね☆
んで、明日(15日)の予報はとゆーと、降水確率が0%となっており、丸一日『晴れ・曇り』とのこと♪
週間天気予報によると、今週木曜日(17日)までは、いい天気が続くみたいです☆
また、気温も週末にかけて次第に上がる見込みで、少し暖かくなりそうですよ(^艸^)♪
さてさて☆
今回は、沖縄本島中部のうるま市与那城饒辺(よなしろのへん)と勝連内間を結ぶ、うるま市の有形文化財に指定されている石橋をご紹介したいと思います☆
沖縄県うるま市内間にある
こちらはまず、うるま市与那城屋慶名の県道10号線と37号線が交差する『屋慶名(西)』の交差点から、県道37号線を『屋慶名(東)』向けに進みます。
『屋慶名(東)』の交差点に差し掛かると、直進したら県道239号線、右折したらそのまま県道37号線なので、こちらを右折します。
交差点から道なりに約780mくらい進んでいくと、今度は右側に『与勝第二中学校』の案内板がありますので、そこを右折します。
そして、『与勝第二中学校』の横をなぞるように通過して、道なりに約530mくらい進んでいくと、短い橋の手前、右側道沿いに石碑がありますので、到着です☆
県道8号線からだと、ちょっと分かりづらいと思ったので、県道37号線から説明させて頂きました。
『ガーラ矼』は、饒辺集落の住民が中心となって造られたことから、別名『饒辺矼(のへんはし)』とも呼ばれてるので、記念碑にはその名称が刻まれています。
この記念碑の裏側には、碑文も刻まれています。
≪この碑は、昭和三年のご大典記念(天皇ご即位)の年に饒辺区(当時の区長津嘉山 松)が通学路として大望のガーラ矼を竣工し二重の喜びを祝った意義深い記念碑でありましたが戦後崩壊され昭和六十年八月再建立したものです。≫
そして、記念碑の表側には、
≪おおみのりあげます 乎の喜びを とこしえ永く しる志とどめん
この『饒辺矼』の記念碑の向かいには、『ガーラ矼』の案内板と見学するための下に降りる階段があります。
『ガーラ矼』の説明文によると・・・
≪うるま市指定文化財第17号「建造物」 指定月日:1995年(平成7年)6月14日
ガーラ矼は、1928年(昭和3年)に木材の橋から石材の矼へ改修されました。
木材の橋は、饒辺集落の学童が小学校へ通うために造られましたが、大雨が降るとその橋は流されてしまう危険があり、高さ5m、幅2m、横断延長5mのアーチ型の矼になりました。
その構造は通行人等が通り、重力がかかることで堅固な矼になるように造られ、建築家より高く評価されています。
昔の石造りのガーラ矼は、現在の橋の下に復元されています。≫
・・・とありました。
また、うるま市の広報によると、『ガーラ矼』は、ガーラの山林を切り通して長い年月をかけて建設されたので、その名がつけられたようです。
案内板が立てられている場所から階段を下っていくと、新しい橋の下に復元された『ガーラ矼』を見ることができます。
しかし、あまり周囲の手入れがされていないようで、雑草が生い茂り、ちょっと見えにくかったですね。。。
『ガーラ矼』を真横から見たいなぁ。。。って思ってたら、向かい側にある畑で作業されてる方がいらっしゃったので、声をかけてその旨を伝えると、「畑まで回ってきて見てもいいよ」と仰ってくださいましたヽ(^。^;
ドウモアリガトウゴザイマスm(_ _)m
クルマで回り込んで畑の中にとめ、矼の近くまで行くと、『ガーラ矼』を真横から見ることができました♪
先程の場所よりは矼を綺麗に見ることができたんですが、この場所からでも周囲の草木が生い茂ってしまってて、全体を見ることはできませんでしたね。。。
何枚か写真を撮り終えた後、畑まで案内してくださった方に感謝して、その場を後にしました。
勝連出身の先輩にお話を聞いたところ、先輩がまだ小学生だったころは、下の石橋を使用していたんだとか。。。
この新しい橋が架けられたのは、先輩が学校を卒業してから、だいぶ後のことだったようです。
その他、石橋だった頃の思い出をいろいろ教えてくださいましたw
今現在でも、この『ガーラ橋』が架けられてる道路は、地域住民にとって無くてはならない大切な生活道路となっているんだそうですよo(^-^)o♪
昔から、地域住民の生活を支えてくれた石橋を、勝連内間・与那城饒辺に訪れた際には、ぜひ一度見学してみてはいかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『ガーラ矼(饒辺矼)』☆
☆場所:〒904-2313
沖縄県うるま市勝連内間
☆入場料:無料
☆駐車場:なし
☆トイレ:なし
今日(14日)の沖縄本島は、朝方までは大雨が降ってましたが、次第に雨が上がり、夕方頃くらいには青空も見え隠れしてましたね☆
んで、明日(15日)の予報はとゆーと、降水確率が0%となっており、丸一日『晴れ・曇り』とのこと♪
週間天気予報によると、今週木曜日(17日)までは、いい天気が続くみたいです☆
また、気温も週末にかけて次第に上がる見込みで、少し暖かくなりそうですよ(^艸^)♪
さてさて☆
今回は、沖縄本島中部のうるま市与那城饒辺(よなしろのへん)と勝連内間を結ぶ、うるま市の有形文化財に指定されている石橋をご紹介したいと思います☆
沖縄県うるま市内間にある
『ガーラ矼』☆
平成6年3月に竣工された現在の『ガーラ矼』☆ |
『屋慶名(東)』の交差点に差し掛かると、直進したら県道239号線、右折したらそのまま県道37号線なので、こちらを右折します。
交差点から道なりに約780mくらい進んでいくと、今度は右側に『与勝第二中学校』の案内板がありますので、そこを右折します。
そして、『与勝第二中学校』の横をなぞるように通過して、道なりに約530mくらい進んでいくと、短い橋の手前、右側道沿いに石碑がありますので、到着です☆
県道8号線からだと、ちょっと分かりづらいと思ったので、県道37号線から説明させて頂きました。
『饒辺矼』の記念碑☆ |
この記念碑の裏側には、碑文も刻まれています。
≪この碑は、昭和三年のご大典記念(天皇ご即位)の年に饒辺区(当時の区長津嘉山 松)が通学路として大望のガーラ矼を竣工し二重の喜びを祝った意義深い記念碑でありましたが戦後崩壊され昭和六十年八月再建立したものです。≫
そして、記念碑の表側には、
≪おおみのりあげます 乎の喜びを とこしえ永く しる志とどめん
故 山里 勇善 作≫
・・・と刻まれていました。以前の『ガーラ矼』は、新しい橋の下にありますので、ここから降りて行きます。 |
『ガーラ矼』の説明文によると・・・
≪うるま市指定文化財第17号「建造物」 指定月日:1995年(平成7年)6月14日
ガーラ矼は、1928年(昭和3年)に木材の橋から石材の矼へ改修されました。
木材の橋は、饒辺集落の学童が小学校へ通うために造られましたが、大雨が降るとその橋は流されてしまう危険があり、高さ5m、幅2m、横断延長5mのアーチ型の矼になりました。
その構造は通行人等が通り、重力がかかることで堅固な矼になるように造られ、建築家より高く評価されています。
昔の石造りのガーラ矼は、現在の橋の下に復元されています。≫
・・・とありました。
また、うるま市の広報によると、『ガーラ矼』は、ガーラの山林を切り通して長い年月をかけて建設されたので、その名がつけられたようです。
新しい橋の下にある復元された『ガーラ矼』☆ |
しかし、あまり周囲の手入れがされていないようで、雑草が生い茂り、ちょっと見えにくかったですね。。。
案内板がある場所から階段を下っていくと、個人所有の御墓らしき建造物しかありませんでした。。。 |
ドウモアリガトウゴザイマスm(_ _)m
クルマで回り込んで畑の中にとめ、矼の近くまで行くと、『ガーラ矼』を真横から見ることができました♪
ガーラ矼 |
何枚か写真を撮り終えた後、畑まで案内してくださった方に感謝して、その場を後にしました。
うるま市勝連内間側から見た新しい『ガーラ橋』 |
この新しい橋が架けられたのは、先輩が学校を卒業してから、だいぶ後のことだったようです。
その他、石橋だった頃の思い出をいろいろ教えてくださいましたw
今現在でも、この『ガーラ橋』が架けられてる道路は、地域住民にとって無くてはならない大切な生活道路となっているんだそうですよo(^-^)o♪
昔から、地域住民の生活を支えてくれた石橋を、勝連内間・与那城饒辺に訪れた際には、ぜひ一度見学してみてはいかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『ガーラ矼(饒辺矼)』☆
☆場所:〒904-2313
沖縄県うるま市勝連内間
☆入場料:無料
☆駐車場:なし
☆トイレ:なし