ハイサイ( ̄▽ ̄)ノ☆
う~ん・・・天気予報が、ものの見事に的中しちゃって、沖縄本島は雨が降り始めちゃいましたね。。。
先程、台風情報を見てみると、台風24号は南シナ海で勢力が弱まり、熱帯低気圧になっちゃったようです(^^)b
・・・が、この熱帯低気圧周辺には、まだ雨雲が広がっており、先島諸島を始め、沖縄本島の方まで伸びてるので、しばらくは天気が崩れそうです。。。
はぁ・・・早く天気が回復してくれないかなぁ・・・( ̄~ ̄ξ
さてさて☆
ちょっと前後してしまったんですが、この前『台グスク』と『護佐丸公之御墓』を見に行く前に、中城村の新垣集落後方にある琉球石灰岩上に築かれたグスクを見学しに行ってきたんですよ☆
自宅に戻り、いろいろ調べてみると、このグスクは、新垣集落の人々の重要な拝所となっているんだとか。。。
沖縄県中頭郡中城村新垣にある
こちらは、まず国道329号線と県道35号線がぶつかる『奥間』の交差点から、県道35号線に入り、ひたすら直進して行きます。
しばらくすると、右手に『中城メモリアルパーク』と書かれた看板があるんですが、こちらもそのまま通過していくと、右手にお墓が一基あり、その前にクルマが数台停めれる休憩スペースのよぉな場所が見えてきます。
そのお墓の横から、丘の上に向かって側道がありますので、そこに入り、ひたすら直進して行くと、左手に石垣で造られた階段があるので、そこがグスクへの入口となります☆
『新垣グスク』への入口付近に到着してみて、ちょっとビックリ!!
石垣で造られた階段は、ここ数年の間に改修されたみたいで、結構綺麗なのに、雑草が生い茂ってて、奥の階段が見えません。。。Σ( ̄□ ̄;!!
こんなに綺麗に改修したなら、もっと清掃して手入れしてほしいですね。。。(-_-;
・・・と、気を取り直して、雑草を掻き分けながらグスク内へ入って行きましたヽ(^。^;
すると、階段の途中右手側に、開けた場所があったんですが、グスク内の案内板によると、こちらの中央付近には『アガリヌカー』と呼ばれる井泉があるようなんですが、こちらも雑草が生い茂ってて、全く探すことができませんでした。。。
ここを通過していくと、御嶽と案内板がある『殿曲輪』と呼ばれる場所に出ました。
こちらは、つい最近雑草が刈られたような痕跡があり、比較的綺麗にされてましたね。
『新垣グスク』の説明板によると・・・
≪新垣グスクは、標高160~170mほどの石灰岩丘陵上に造られたグスクです。
誰によって築かれたかはわかっていません。
グスク内には『新垣の嶽』と『ウチバラノ殿(トゥン)』の2つの拝所があり、1713年に編纂された『琉球国由来記』にその名が記されています。現在でも新垣地区の神事だけでなく、各門中によっても拝まれています。
また、沖縄の古謡『おもろさうし』に、新垣グスクについて謡われているものが2首あり、1つはグスクと城主を讃えた謡で、もう1つは城主家の婚儀を祝して女神官から下された神託の謡です。
平成16~17年度のグスク内の発掘調査によって、一の曲輪、二の曲輪が14世紀、殿曲輪周辺が15~16世紀頃使用されていたということがわかりました。
この調査に寄り、青磁、白磁などの外国産陶磁器やグスク土器、金属製品などの遺物が出土し、野面積みの石積みや建物の柱穴跡、堀切(防御のための溝)状の遺構が確認されています。
前述のことから新垣グスクには、周辺地域を支配する有力な按司がおり、中城グスクの按司が中城地域一帯を支配するまでのあいだ栄えていたグスクと考えられています。≫
と記されていました。
この『殿曲輪』にある御嶽が『ウチバラノ殿』で、五月・六月のウマチー(収穫祭)などの祭祀が行われてるんだそぉですよ。
この『ウチバラノ殿』の左側にある木の根元付近には『イリヌカー』と呼ばれる井泉があります。
他のブログやサイトで、『イリヌカー』の写真を見てみると、水が溜まってたんですけど、ワタクシが訪れた時は、水が全くありませんでしたね。
たぶん、現在は雨が降った時にだけ水が溜まって、湧水は出てないんでしょうね。。。
案内板には、この『殿曲輪』の後方の丘陵に、『新垣グスク』の一~四の曲輪があるみたいなので、『殿曲輪』をさらに奥に進みました。
すると、道?が二手に分かれており、一方は丘陵上へ向かって伸びており、もう一方は下の方へと伸びてました。
下の方に向かって伸びる道は、綺麗に整備されていたので、まずはこちらの方から行ってみることにしました。
案内板に記載されてた地図によると、この道はグスクの外周を辿ってるみたいですね。
奥の方に進んでいくと、途中、人工的な遺構なのか、そうでないのか判らない場所もいくつかありました。
さらに、奥の方へと進んでいくと、次に現れたのが『ワーランカー』とゆー井泉。
この井泉は、グスクの琉球石灰岩に隣接していて、こちらも他のブログやサイトによると、水が枯れることは無いって記載されてたんですけど、ワタクシが見た時は、水が全くありませんでした。。。
ここを通り過ぎると、またまた道が二手に分かれており、一方はグスク後方へと続いていて、もう一方は、さらに下の方へと伸びてました。
今回は、下の方へと続く道に進むことにして、階段を下りていくと、右手側に御嶽らしき拝所がある広場がありました。
・・・が、こちらも広場・道ともに、雑草が生い茂っており、とても御嶽の前まで行くことはできな状態。。。
仕方なく、回り込んで、案内板がある方から撮影することにしましたヽ(^。^;
ホント、もう少しちゃんと手入れしてほしいものです。。。(>_<ξ
この広場にある拝所は、『ニードゥクル(根所)』と呼ばれており、新垣集落発祥の地とのことです。
説明板によると、この『ニードゥクル(根所)』の他には、『トゥニ(殿根)』・『ミーヤシキ(新屋敷)』・『ナカンミ(仲嶺)』と称される新垣集落の宗家や旧家の屋敷跡が残っていると記されていたんですけど、写真の通り、周辺一帯はあまりにも雑草が生い茂っており、とてもぢゃないですけど、見学するのはムリな状態でした。。。
この『ニードゥクル』の広場にある説明板の横から、雑草が覆い隠してる状態ではありましたが、道が続いてたので、そちらの方も行ってみることにしました。。。
雑草を掻き分けて、さらに奥へと進んでいくと・・・
『ツンマース』と呼ばれる場所に出ました(´▽`)ノ☆
『ツンマース』の説明板によると・・・
≪以前、この場所には大きな松が生えており、その周囲を円形に石積で囲って、ロータリーの役割をさせていたことから地元では『ツンマース』と呼ばれていました。
松は戦前までは残っていましたが、台風によって倒れてしまいました。
この場所は道の分岐点となっており、東側に行くと新垣グスク、ペリーの旗立岩、中城グスクへと向かい、西側は宜野湾へと続いています。
ツンマースの周辺にはかつて『タントゥイモー(種子取り毛)』や『龕屋(ガンヤー)』《死者を墓場まで担ぐ輿(こし)の保管場所》などがあり、新垣地域の人たちの生活や祭祀行事の重要な場所となっていました。
タントゥイモーや龕屋の他にも新垣地域周辺の旧道沿いには、多くの文化財が残っています。
中城村教育委員会では、古道を気軽に利活用出来るように平成14年度から平成20年度にかけて文化庁の補助を受け、ツンマースから村道坂田線までの約380mの間で石畳の復元や道標・文化財説明板の設置を行いました。≫
と、記されていました。
この『ツンマース』まで来たところで、今回の見学は断念することにしました。。。
とゆーのも、『新垣グスク』や『新垣集落跡』などの、この一帯には『カー』や『御嶽』、『壕跡』などなど、たくさんの史跡があるようなのですが、あまりにも雑草が生い茂ってて荒れ放題なので、また日を改めて見学に行くことにしました。。。
また次回、訪れる時には、もう少し綺麗に手入れされていてほしいものですね。。。ヽ(^。^;
かなり長くなってしまいましたが、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『新垣グスク』・『新垣集落跡』☆
☆場所:〒901-2422
沖縄県中頭郡中城村新垣
☆時間:自由見学
☆入場料:無料
☆駐車場:無し
う~ん・・・天気予報が、ものの見事に的中しちゃって、沖縄本島は雨が降り始めちゃいましたね。。。
先程、台風情報を見てみると、台風24号は南シナ海で勢力が弱まり、熱帯低気圧になっちゃったようです(^^)b
・・・が、この熱帯低気圧周辺には、まだ雨雲が広がっており、先島諸島を始め、沖縄本島の方まで伸びてるので、しばらくは天気が崩れそうです。。。
はぁ・・・早く天気が回復してくれないかなぁ・・・( ̄~ ̄ξ
さてさて☆
ちょっと前後してしまったんですが、この前『台グスク』と『護佐丸公之御墓』を見に行く前に、中城村の新垣集落後方にある琉球石灰岩上に築かれたグスクを見学しに行ってきたんですよ☆
自宅に戻り、いろいろ調べてみると、このグスクは、新垣集落の人々の重要な拝所となっているんだとか。。。
沖縄県中頭郡中城村新垣にある
『新垣グスク』☆
『新垣グスク』への入口☆ |
しばらくすると、右手に『中城メモリアルパーク』と書かれた看板があるんですが、こちらもそのまま通過していくと、右手にお墓が一基あり、その前にクルマが数台停めれる休憩スペースのよぉな場所が見えてきます。
そのお墓の横から、丘の上に向かって側道がありますので、そこに入り、ひたすら直進して行くと、左手に石垣で造られた階段があるので、そこがグスクへの入口となります☆
荒れ放題のグスクへの階段・・・ |
石垣で造られた階段は、ここ数年の間に改修されたみたいで、結構綺麗なのに、雑草が生い茂ってて、奥の階段が見えません。。。Σ( ̄□ ̄;!!
こんなに綺麗に改修したなら、もっと清掃して手入れしてほしいですね。。。(-_-;
・・・と、気を取り直して、雑草を掻き分けながらグスク内へ入って行きましたヽ(^。^;
すると、階段の途中右手側に、開けた場所があったんですが、グスク内の案内板によると、こちらの中央付近には『アガリヌカー』と呼ばれる井泉があるようなんですが、こちらも雑草が生い茂ってて、全く探すことができませんでした。。。
階段途中の右手側にある広場? こちらの中央付近に『アガリヌカー』と呼ばれる井泉があるみたいですけど、 探すどころか入ることさえ出来ませんでした。。。 |
こちらは、つい最近雑草が刈られたような痕跡があり、比較的綺麗にされてましたね。
『新垣グスク』の説明板によると・・・
≪新垣グスクは、標高160~170mほどの石灰岩丘陵上に造られたグスクです。
誰によって築かれたかはわかっていません。
グスク内には『新垣の嶽』と『ウチバラノ殿(トゥン)』の2つの拝所があり、1713年に編纂された『琉球国由来記』にその名が記されています。現在でも新垣地区の神事だけでなく、各門中によっても拝まれています。
また、沖縄の古謡『おもろさうし』に、新垣グスクについて謡われているものが2首あり、1つはグスクと城主を讃えた謡で、もう1つは城主家の婚儀を祝して女神官から下された神託の謡です。
御嶽と『新垣グスク』の案内板がある広場 |
平成16~17年度のグスク内の発掘調査によって、一の曲輪、二の曲輪が14世紀、殿曲輪周辺が15~16世紀頃使用されていたということがわかりました。
この調査に寄り、青磁、白磁などの外国産陶磁器やグスク土器、金属製品などの遺物が出土し、野面積みの石積みや建物の柱穴跡、堀切(防御のための溝)状の遺構が確認されています。
前述のことから新垣グスクには、周辺地域を支配する有力な按司がおり、中城グスクの按司が中城地域一帯を支配するまでのあいだ栄えていたグスクと考えられています。≫
と記されていました。
ウチバラノ殿 |
ウチバラノ殿の内部 |
他のブログやサイトで、『イリヌカー』の写真を見てみると、水が溜まってたんですけど、ワタクシが訪れた時は、水が全くありませんでしたね。
たぶん、現在は雨が降った時にだけ水が溜まって、湧水は出てないんでしょうね。。。
『ウチバラノ殿』のすぐ横にあった『イリヌカー』 訪れた時は、水が全く溜まってませんでした。 |
すると、道?が二手に分かれており、一方は丘陵上へ向かって伸びており、もう一方は下の方へと伸びてました。
下の方に向かって伸びる道は、綺麗に整備されていたので、まずはこちらの方から行ってみることにしました。
下の方に続く道 周囲の雑草が刈り取られ、綺麗に整備されてました。 |
奥の方に進んでいくと、途中、人工的な遺構なのか、そうでないのか判らない場所もいくつかありました。
奥の石垣?っぽい所も何ヶ所かありました。 |
この井泉は、グスクの琉球石灰岩に隣接していて、こちらも他のブログやサイトによると、水が枯れることは無いって記載されてたんですけど、ワタクシが見た時は、水が全くありませんでした。。。
ワーランカー |
分かれ道。 直進すると、グスク後方へ。左に行くと『新垣集落跡』へ。 今回は『新垣集落跡』の方へ行くことにしました。 |
『新垣集落跡』へと続く階段 |
・・・が、こちらも広場・道ともに、雑草が生い茂っており、とても御嶽の前まで行くことはできな状態。。。
仕方なく、回り込んで、案内板がある方から撮影することにしましたヽ(^。^;
ホント、もう少しちゃんと手入れしてほしいものです。。。(>_<ξ
『新垣集落跡』の『ニードゥクル(根所)』がある広場 |
説明板によると、この『ニードゥクル(根所)』の他には、『トゥニ(殿根)』・『ミーヤシキ(新屋敷)』・『ナカンミ(仲嶺)』と称される新垣集落の宗家や旧家の屋敷跡が残っていると記されていたんですけど、写真の通り、周辺一帯はあまりにも雑草が生い茂っており、とてもぢゃないですけど、見学するのはムリな状態でした。。。
『ニードゥクル(根所)』 遠くから撮影しました。。。 |
『ニードゥクル』がある広場の説明板横から奥へと続く道。。。 |
『ツンマース』と呼ばれる場所に出ました(´▽`)ノ☆
『ツンマース』と呼ばれる場所にあった説明板 |
≪以前、この場所には大きな松が生えており、その周囲を円形に石積で囲って、ロータリーの役割をさせていたことから地元では『ツンマース』と呼ばれていました。
松は戦前までは残っていましたが、台風によって倒れてしまいました。
この場所は道の分岐点となっており、東側に行くと新垣グスク、ペリーの旗立岩、中城グスクへと向かい、西側は宜野湾へと続いています。
ツンマースの周辺にはかつて『タントゥイモー(種子取り毛)』や『龕屋(ガンヤー)』《死者を墓場まで担ぐ輿(こし)の保管場所》などがあり、新垣地域の人たちの生活や祭祀行事の重要な場所となっていました。
タントゥイモーや龕屋の他にも新垣地域周辺の旧道沿いには、多くの文化財が残っています。
中城村教育委員会では、古道を気軽に利活用出来るように平成14年度から平成20年度にかけて文化庁の補助を受け、ツンマースから村道坂田線までの約380mの間で石畳の復元や道標・文化財説明板の設置を行いました。≫
と、記されていました。
『ツンマース』から中城湾や知念半島を望む。 |
とゆーのも、『新垣グスク』や『新垣集落跡』などの、この一帯には『カー』や『御嶽』、『壕跡』などなど、たくさんの史跡があるようなのですが、あまりにも雑草が生い茂ってて荒れ放題なので、また日を改めて見学に行くことにしました。。。
また次回、訪れる時には、もう少し綺麗に手入れされていてほしいものですね。。。ヽ(^。^;
かなり長くなってしまいましたが、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『新垣グスク』・『新垣集落跡』☆
☆場所:〒901-2422
沖縄県中頭郡中城村新垣
☆時間:自由見学
☆入場料:無料
☆駐車場:無し
☆トイレ:無し