今日の朝は、沖縄本島に台風が接近して、超ぉ~短い『暴風域』でしたね(笑)
なんだか、『台風』とゆーより、普段より少し雨風が強い天気って感じでした( ̄▽ ̄)ノ☆
本島よりも先に、台風が直撃した八重山諸島は、結構影響が酷く、被害が出てたみたいですが。。。
今度は、後ろから台風7号が来ていて、今後の進路が気になりますネ・・・( ̄~ ̄;
ってか、沖縄っていつから梅雨入りするんだろ・・・
さてさて☆
この前、超ぉ~天気が良かったので、沖縄本島の中部方面へお出かけしてきました♪
行き先は、以前ご紹介した読谷村の『座喜味城跡』と同じ『琉球王国のグスク及び関連遺産群』としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されてる城跡です(≧▽≦)b
沖縄県うるま市勝連南風原にある『勝連城跡』☆
こちらは、沖縄市の国道329号線と県道74号線、県道16号線が交差する知花交差点から、県道16号線に入り、うるま市勝連向けにひたすら直進していき、県道10号線とぶつかる与勝交差点手前右側にあります☆
※国道から一番シンプルに向かうことができるルートだと思います。
勝連城跡の道向かいには、『勝連城跡休憩所』があり、そこの駐車場にクルマを停めてから、城跡を見学することができます♪
駐車場利用は、午後6時までとなってますので、注意してくださいね☆
この『勝連城』は、もともと茂知附按司(もちづきあんじ)により築城されたんだそぉですが、悪政を強いていたため、阿麻和利のクーデターによって倒され、その後、阿麻和利が最後の城主になったんだそぉです。
『おもろさうし』とゆー琉球王国時代の首里王府によって編纂された歌謡集からは、その当時の繁栄ぶりを見ることができるよぉで、浦添文化とは異なる勝連文化となるものがあったのでは。。。と言われているんだそぉです。
『防御田地』と呼ばれる場所から城跡へと延びる遊歩道を上がって行くと、まずは勝連城の広い四の曲輪(くるわ)に出ます☆
※現在、 『西原御門』に延びる道は、現在修復?発掘?工事中なので行けませんでした。
四の曲輪には、所々に『カー』と呼ばれる水源があります。
まずは、訪問者が手足を清めるために使用していたと言われる『門口のカー』。
『マチダの御獄』『ナケージの御獄』に縁起を持つ特別な場所で、王国時代より神々と繋がる『カー』として、少なくとも300年以上の歴史を持った祈りの場とされる『マチダ・ナケージガー』。
この地域の鍛冶屋(カンジャー)であった『仲間家が使用していた泉』という伝説がある『仲間ヌウカー(カンジャガー)』。
旧暦元旦の初拝み(ハツウガミ)の際に、カーの水量によって一年の豊作・凶作を占っていたとされる『ウタミシガー』。
かつてこの泉が、男女の逢瀬の場であったという伝説から『縁結びのカー』とされる『ミートゥガー』と結構ありましたネ\( ̄▽ ̄;
四の曲輪にある各所の『カー』を見た後は、三の曲輪へと上がって行きました☆
四の曲輪から細長い石畳道を上がりつめたところには、かつて内郭の門『三の曲輪城門』があり、四本の柱で屋根を支える四脚門(薬医門)であったと考えられているそぉです。
そこを通り抜けると、三の曲輪に出ます☆
この三の曲輪では、今までの調査の結果、時代の移り変わりの様子がわかったんだそぉで、古い時代には、掘立柱の建物が建ち並び、表面に年度を貼ったすり鉢状の遺構も中央部で見つかってるんだそぉです。この遺構は、水を貯める施設だと考えられてるんだそぉです。
そして、新しい時代には、三の曲輪全体が、隣りの二の曲輪に建てられていた殿舎と一対をなし、儀式などを執り行う広場に変わっていったんだそぉです。
城が滅んでからは、祭祀の場として使用されていたんだそぉです。三の曲輪中央西側に『肝高の御獄』、その近くに神人たちが祭祀の際に休憩する『トゥヌムトゥ』と呼ばれる石列などが遺されています。
この三の曲輪まで上がってくると、かなり遠くの方まで景色が見渡せるので、結構高い位置まで上がってきてるのがわかりますね♪
んで、この三の曲輪から一段高い場所が、二の曲輪になっていて、その境は、石灰岩切石積みで築かれていて、南北全長約41mに渡って造られています。
この境の2、3ヶ所には、石段があるんですが、現在は、木製の階段も設置されています♪
この木製の階段を上がって、次は二の曲輪に行きました♪
・・・と、今回はこの辺で終わりにして、続きはまた、次回にしましょうね☆(⌒▽⌒)ノ☆
でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ クリックお願い致します。
☆『勝連城跡』情報☆
☆場所:〒904-2311
沖縄県うるま市勝連南風原3908
☆問い合わせ:098-978-7373(勝連城跡休憩所)
☆無料駐車場:有り(勝連城跡休憩所)⇒利用時間9:00~18:00〔年末年始などは、時間変更有〕
※勝連城跡自体は、開放されているので、利用時間の規定無し。
☆販売機・トイレ:勝連城跡休憩所内に有り
☆入場料:無料
☆勝連城跡休憩所⇒年中無休(台風時などの災害時は閉館)
なんだか、『台風』とゆーより、普段より少し雨風が強い天気って感じでした( ̄▽ ̄)ノ☆
本島よりも先に、台風が直撃した八重山諸島は、結構影響が酷く、被害が出てたみたいですが。。。
今度は、後ろから台風7号が来ていて、今後の進路が気になりますネ・・・( ̄~ ̄;
ってか、沖縄っていつから梅雨入りするんだろ・・・
さてさて☆
この前、超ぉ~天気が良かったので、沖縄本島の中部方面へお出かけしてきました♪
行き先は、以前ご紹介した読谷村の『座喜味城跡』と同じ『琉球王国のグスク及び関連遺産群』としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されてる城跡です(≧▽≦)b
沖縄県うるま市勝連南風原にある『勝連城跡』☆
県道16号線から見た『勝連城跡』☆ |
勝連城跡の道向かいには、『勝連城跡休憩所』があり、そこの駐車場にクルマを停めてから、城跡を見学することができます♪
駐車場利用は、午後6時までとなってますので、注意してくださいね☆
この『勝連城』は、もともと茂知附按司(もちづきあんじ)により築城されたんだそぉですが、悪政を強いていたため、阿麻和利のクーデターによって倒され、その後、阿麻和利が最後の城主になったんだそぉです。
『おもろさうし』とゆー琉球王国時代の首里王府によって編纂された歌謡集からは、その当時の繁栄ぶりを見ることができるよぉで、浦添文化とは異なる勝連文化となるものがあったのでは。。。と言われているんだそぉです。
城跡手前にある防御田地(左上)とすぐ上の城壁、グスクに向かう遊歩道☆ |
※現在、 『西原御門』に延びる道は、現在修復?発掘?工事中なので行けませんでした。
四の曲輪には、所々に『カー』と呼ばれる水源があります。
『ミートゥガー』 |
『マチダの御獄』『ナケージの御獄』に縁起を持つ特別な場所で、王国時代より神々と繋がる『カー』として、少なくとも300年以上の歴史を持った祈りの場とされる『マチダ・ナケージガー』。
この地域の鍛冶屋(カンジャー)であった『仲間家が使用していた泉』という伝説がある『仲間ヌウカー(カンジャガー)』。
旧暦元旦の初拝み(ハツウガミ)の際に、カーの水量によって一年の豊作・凶作を占っていたとされる『ウタミシガー』。
かつてこの泉が、男女の逢瀬の場であったという伝説から『縁結びのカー』とされる『ミートゥガー』と結構ありましたネ\( ̄▽ ̄;
右上から時計周りに『カンジャガー』・『ウタミシガー』・ 『マチダ・ナケージガー』・『門口のカー』 |
四の曲輪から三の郭を望む♪ |
三の郭に続く石畳の道と『三の曲輪城門』☆ ※現在は途中の部分が木製の階段になっています♪ |
そこを通り抜けると、三の曲輪に出ます☆
一の曲輪に続く石畳道から見た二の曲輪と三の曲輪☆ 奥が三の曲輪で、手前側が二の曲輪です。 |
そして、新しい時代には、三の曲輪全体が、隣りの二の曲輪に建てられていた殿舎と一対をなし、儀式などを執り行う広場に変わっていったんだそぉです。
城が滅んでからは、祭祀の場として使用されていたんだそぉです。三の曲輪中央西側に『肝高の御獄』、その近くに神人たちが祭祀の際に休憩する『トゥヌムトゥ』と呼ばれる石列などが遺されています。
すり鉢状の遺構とその説明板☆ |
神人の腰かけ『トゥヌムトゥ』と拝所、その説明板 |
三の曲輪の城門から平安座島方面を望む♪ |
三の曲輪から中城湾と知念半島を望む♪ |
この境の2、3ヶ所には、石段があるんですが、現在は、木製の階段も設置されています♪
この木製の階段を上がって、次は二の曲輪に行きました♪
左上は、三の曲輪から『二の曲輪』・『一の曲輪』を望む♪ その他、二の曲輪に上がれる石段と城壁、そして石積みの説明板☆ |
でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ クリックお願い致します。
☆『勝連城跡』情報☆
☆場所:〒904-2311
沖縄県うるま市勝連南風原3908
☆問い合わせ:098-978-7373(勝連城跡休憩所)
☆無料駐車場:有り(勝連城跡休憩所)⇒利用時間9:00~18:00〔年末年始などは、時間変更有〕
※勝連城跡自体は、開放されているので、利用時間の規定無し。
☆販売機・トイレ:勝連城跡休憩所内に有り
☆入場料:無料
☆勝連城跡休憩所⇒年中無休(台風時などの災害時は閉館)