沖縄県国頭郡今帰仁村運天に点在する文化財と歴史のお話☆|沖縄放浪日記

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2014年12月23日火曜日

沖縄県国頭郡今帰仁村運天に点在する文化財と歴史のお話☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、ヨメさんとホロホロ北部ドライブに行った時に、偶然見つけた文化財をいくつか発見したんです👍

沖縄の『お墓』って、『亀甲墓』(かめこうばか・きっこうばか 沖縄の方言でカーミナクーバカ)が一般的・・とゆーか、この『お墓』しか見たことなかったし、沖縄の『お墓』は、ず~っと昔から全部このタイプの『お墓』しかないと思ってました😅

・・・ですが!『亀甲墓』ぢゃない『お墓』があったんですよ😲❗

沖縄県国頭郡今帰仁村運天にある『運天港』の沖縄海岸国定公園の

『運天港園地・運天散策道』

ワルミ大橋から見た運天港の写真
『ワルミ大橋』から見た『運天港』
その日『古宇利島』から戻る途中、『古宇利大橋』の上から『運天港』の後ろにある丘の上を見ると、何かあるのを発見❗

ちょっと気になったので、行ってみることにしました👍

んで、『運天港』に向かう道には入らず、集落方面へ伸びる道の方へクルマを走らせました🚗💨

突き当たると、標識が建てられてて、1つは海岸方面を指して『大北墓(ウーニシ墓)』と標記され、もう1つは丘方面を指して『百按司墓(ムムジャナ墓)』と表記されてました❗

まずは海岸方面から行ってみることに👍すると・・・

『運天トンネル』と書かれた超ぉ~短いトンネルが現れました❗
運天トンネルの写真
沖縄最古の『運天トンネル』
このトンネル、なんと『沖縄最古』らしいんです❗❗❗

現在の姿は、補修や改装が施された状態なので、古くささは感じませんが、一番最初の竣工は、大正13年(1924年)で、村の人々によって作られたそぉですよ❗

琉球王朝時代には、『運天港』近くに北部の行政の要である『今帰仁間切所』が設置されてたんですが、村民は港や間切所に行くのに山を越えなければならなかったんです💧
運天トンネルの隣にあった古墓の写真
『運転トンネル』横にあった『お墓』
・・・が、このトンネルが出来て、間切所や港、さらに周囲の集落へもスムーズに往来できるようになったんだそぉですよ🙌ヤッター☆

んで、この沖縄最古の『運天トンネル』を通って海岸沿いに出て、切り立った崖の方に行くと・・・

ん❓崖の中腹あたりに、洞穴を人工的に塞いでる壁があちらこちらに・・・

そぉ~なんです❗これが『大北墓(ウーニシ墓)』🎵
大北墓(ウーニシ墓)の写真
『大北墓(ウーニシ墓)』
『大北墓(ウーニシ墓)』とは、北山監守を代々務めてきた琉球王族の具志川御殿のお墓で『今帰仁村指定文化財』になってます❗

ここに北山監守一族が眠ってるんですネぇ・・・😮

続いて丘の方に行ってみることに🎵すると・・・
運天港園地の看板の写真
『運天港園地』の看板
『沖縄海岸国定公園 運天港園地』の看板を発見🎵

・・・と❗その横には・・・
百按司墓(ムムジャナ墓)の散策道の写真
『百按司墓(ムムジャナ墓)』に続く散策道
『運天散策道』と書いてある石柱と2手に分かれてる標識があり、その1つには『百按司墓(ムムジャナ墓)』と書いてあり、もう1つの標識には『源為朝(みなもとのためとも)公上陸の碑』と書いてありました😲❗

『源為朝』とは、平安時代末期の武将で、『源為義』の八男で、『保元の乱』の戦で破れ、伊豆大島に流されたが、ここでも国司に従わず伊豆大島から逃れて来る最中に暴風雨に遭遇してしまい、この『運天』にたどり着いたとする伝説があるそぉです❗

「運を天に任せて」辿り着いた地なので、この『運天』とゆー地名の由来であるとゆー説もあるそぉで、その上陸の碑らしいですよ👍
源為朝上陸の碑の写真
『源為朝上陸の碑』
この石碑の横には、休憩所が設けられてて、そこから『屋我地島』『古宇利大橋』などが一望できます👍

んで、今度は、先程の階段を下りて行くと、石造の『百按司墓』の説明書きがありました💨


この説明書きによると、『百按司墓』は沢山の按司クラスの人物を葬った墓と記されてます🎵
百按司墓の説明板の写真
説明板
要するに{百(たくさんの)按司(琉球王国の古代共同体の首長の呼称)のお墓}って感じです👍

中には『北山王の墓』として拝む人たちもいるらしいので、よぉするに琉球王国時代のお偉いさん達のお墓ってことになるんでしょうね✋

また、『第一墓所から第四墓所まで修復がなされ』とあるのですが、どれがどれだか分かりませんでしたwww
百按司墓の写真
『百按司墓』
お墓の前には、≪百按司墓(ムムジャナバカ) 今帰仁村指定文化財(有形文化財)1991年7月1日指定 文化財を大切にしましょう≫と記された柱が建てられてました💨

お墓の内部には、た~くさんの人骨があって、木棺も複数納められてたみたいですよ😮

この『百按司墓』を見た後は、一旦クルマに戻り、さらに上の方に行くと、『運天散策道』と表記された小さめの石柱があり、その横から整備された遊歩道が続いてたんですが、ちょっと時間が無くなってきたので、その先に進むのは断念しました。。。😅
ヨメさんの実家も寄らないといけなかったので・・・
運天散策道の標柱の写真
運天散策道の標柱
今回紹介した文化財の『お墓』や沖縄最古の『トンネル』、そして『石碑』などの他にも、近隣にはまだまだ『歴史』を学ぶことのできる史跡があるみたいです💨

なので、また『運天』に足を運んで、残りの史跡も廻ってみたいと思いまーす😉‐⭐

久しぶりに真面目なお話で、少し長くなりましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『運天港園地と運天散策道一帯の史跡』☆

☆場所:〒900-0027
      沖縄県国頭郡今帰仁村運天

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。