この前、南城市玉城中山にある『ガルガー滝』をご紹介しましたが、『ガルガー滝』を見学した後、この日最後に同市玉城に属する『奥武島』へと向かいました。
この『奥武島』の島内にも井泉や御嶽など多くの史跡が点在しているんですが、今回は、その中の島内のほぼ中央に位置する観音堂とその近隣にある史跡をご紹介したいと思います。
沖縄県南城市玉城に属する奥武島にある
『奥武観音堂』☆
『奥武観音堂』の前に立つ寒緋桜がとても綺麗でしたねぇ~。 |
そしてそのまま真っ直ぐ進んでいくと、開けた場所に出るんですが、その広場の奥にあります。
立派な鳥居が立つ『奥武観音堂』。 |
『奥武観音堂』の参道入口に立つ鳥居の横には、標柱と『奥武島拝所案内図』が設置されていたので、まずはそちらを見てみることに・・・
『奥武観音堂』の参道入口横に設置されていた『奥武島拝所案内図』。 |
『奥武島拝所案内図』を見た後でお堂へ向かおうとすると、案内図の右側に銅像が建立されているのを見つけたので、まずはそちらを見学することに・・・
『奥武観音堂』前に建立されている『大城幸之一先生銅像』 |
大城幸之一先生顕彰の碑。 |
銅像の右側にある略歴を見てみると、≪一八七九年(明治 十二年) 玉城間切奥武村で出生≫と記されており、出生地である『奥武島』のこの場所に銅像が建立されたのでしょうね。
『大城幸之一先生顕彰の碑』と題された略歴。 |
『大城幸之一先生銅像』の左奥に建立されていた『奥武橋架橋記念碑』と『松島橋架橋記念碑』。 |
奥武観音堂。 |
お堂の横に設置されていた『奥武観音堂』の由来。 |
≪奥武観音堂の由来≫
≪十七・十八世紀の頃、一艘の唐船が嵐に遭い奥武島に漂着した。乗組員達は、見知らぬこの島に上陸をためらっていたところ、島の山の上に白衣の美女が現れて、「案ずることはない。」と言わんばかりに手招きをしたので、「これは天の助け」と喜んで上陸した。すると島民達が集まってきて、着物を与え、焚き火で冷えた体を温めたり、お粥を炊いて手厚く介抱した。乗組員達は島民の心からの支援に深く感謝し、島民の支援を得て船を小港(クンナト)の岩に繋いだ。(この岩を『ミシラギ』といい、旧暦の五月四日に行われるハーリー(爬龍船競漕)の時は、最初に観音堂に一年間の航海安全と豊漁、島民の健康と融和、島の繁栄を祈願し、次にミシラギ拝所に同様な祈願を行い、御願バーリーを始める。)
説明板の左側にあった古い3基の灯籠。 |
その後、乗組員から琉球王朝を通して、奥武島に黄金の観音様一体と仏具一式を贈ってきた。しかし琉球王朝では、はじめ同名の他の奥武に安置したが穏やかならず、八方手を尽くした結果、玉城間切の奥武島がその地であることがわかり、間切役場を通じて奥武島に観音像が届けられたので、一宇の堂を建立して観音像を安置することになった。
お堂に向かって右側には新旧2つの手水舎と古い灯籠、そして鐘がありました。 |
ここに鎮座される観音像は、代々島民の深い信仰を集めて現在に至っているが、この堂は昔三回(観音堂三興之記)にわたり改築されている。観音堂に関する記録は残念ながら残っていない。
新しい手水舎の後方にあった鐘。 |
境内の石灯籠には嘉慶十七年秋分吉日嶺井親雲上、与那嶺筑登之親雲上、比嘉筑登之の名前があり、同吉日に比嘉仁屋、当山仁屋、城間仁屋、同じく吉日に玉城親方盛林、嘉慶二十五年には玉城按司から寄進されたのが現在も残っている。
古い灯籠と手水舎。 |
○「普濟」(ふさい)・・広く仏のみちによって人民を救う。
○「南海蓮花満部洲」・・南海に蓮の花が満ちあふれている島。
○「徳本慈悲被皆化」・・孝徳の根本は仏の慈しみ、哀れみを皆に教え導き人を善に移らせる。
平成十九年十二月吉日作制 南城市玉城字奥武区≫
・・・とありました。お堂の入口。上部に右から左へ"観音堂"と記されています。 |
これらを見学した後、お堂の内部を入口からちょこっと拝見させて頂くと・・・
『奥武観音堂』の内部。奥の仏壇に黄金の観音像が安置されていました。 |
先述した『奥武島拝所案内図』によると、この奥には『今帰仁の御嶽と崎城』と『奥武城』があるとなっており、入口にある階段の両側に不思議な形をしたオブジェも建立されていたので、今度はそちらへ行ってみることにしました。
『奥武観音堂』の東側にある林へと続く小さな階段。 |
『奥武観音堂』の境内から林の中を見たところ。 |
境内側にあった階段。 |
中之御嶽 |
『奥武観音堂』の後方にある岩壁の麓にあった拝所。 |
岩壁の麓の拝所まで見学した後、一旦広い獣道まで戻り、今度は奥の階段の先へ行ってみることにしました。
奥にあった階段。 |
奥の階段を上がってきたところ。 |
階段の先にあった古墓らしき石積み。 |
広い獣道の先にあった拝井泉。 |
こちらのカー(拝井泉)は、先程の拝所案内図にも載っていなかったため、名称などの詳細は不明です。。。
獣道の先。拝井泉の先は個人宅の敷地になっているようだったので、ここから先には入りませんでした。 |
また、案内図が示す『今帰仁の御嶽と崎城』という史跡もこの近くにあるみたいでしたが、この日は残念ながら発見することが出来ませんでした。。。(泣)
・・・と、ここまで見学した後はそのまま引き返し、『奥武観音堂』の西側にある史跡を見学しに向かいました。
今回もかなり長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
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☆『奥武島内に点在する史跡』☆
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☆見 学:無料
☆駐車場:無し
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