前々回にご紹介した糸満市の兼城集落南側にある『下川ブンギン兼城(下川権現)』を後にし、次に向かったのは、同じ兼城集落の西側に位置するグスク跡。。。
こちらは、現在は『ハンタ』と呼ばれる広場になっており、"桜の名所"となっているんだそうです。
沖縄県糸満市兼城にある
『兼城グスク』☆
祠の上に『兼城城』と記された『幸地のトゥンチ(殿内)』と呼ばれる拝所。 |
※『下川ブンギン兼城(下川権現)』へのアクセスは、前々回の記事をご参照下さい。⇒http://oki-night.blogspot.jp/2017/07/blog-post_6.html
グスク域前の道路(ナカミチ)沿いにある大きな木。この大木の向かい側にある細い路地の奥にあります。 |
大木を背にして、グスク域の『ハンタ』(桜の名所)入口を見たところ。 |
以前は、グスク跡を示す祉票も立てられていたみたいなんですが、ワタクシが訪れた際には見当たりませんでした。。。
糸満市の資料『第2章 観光プログラム企画等』によると、この広場の西側は"崖"になっており、沖縄の方言で"崖"のことを"ハンタ"(若しくは"バンタ")と言うことから、その名が付いたと言われているとのことです。
また、この一帯が『兼城グスク』の城跡となっているんだそうで、『ウマチー』と呼ばれる収穫祭には、白衣装を着た神人(カミンチュ)がこの場所に集まり、ミキ(神酒)が出されたと言われているんだそうですよ。
※『ウマチー』⇒旧暦の2月、3月、5月、6月の15日前後に行われる祭事のこと。
広場の一角にある拝所。上部に『兼城城』と記されています。 |
『幸地のトゥンチ(殿内)』と呼ばれる拝所と左隣にある井戸跡。 |
『琉球国由来記』にある"兼城村"の『城之殿』は、この『幸地のトゥンチ』なのでは?との見方もあるようです。
『幸地のトゥンチ(殿内)』の内部。左側には『ヒヌカン』、右側の棚には7基の香炉が納められていました。 |
『幸地のトゥンチ(殿内)』の隣にある井戸跡。 |
『幸地のトゥンチ』後方の森の中にある野面積みの石積み。 |
かつてのグスク域は、もっと広かったようですが、現在はこちらの石積みしか残されていないんだそうです。
また、この一帯の西側は断崖になっており、かつてはこの崖の麓が海岸線だったそうですよ。
『幸地のトゥンチ』の左側。この奥にも拝所があります。 |
しかし、広場の西側の崖縁までいくと、獣道が北向けに伸びていたので、そちらへ行ってみると、『村御本神』と記された石柱が立つ拝所がありました。
『村御本神』と記された拝所 |
判読しづらいんですが、『村御本神』と記されています。 |
そして、攻撃を受けた兼城按司は、武富(だきるん)という集落へ逃げ延びたんだそうですよ。
中山王の尚巴志が、兼城按司を直接攻撃したことから、兼城按司は南山系に属していたのではないか・・・との見方もあるようです。
・・・と、ここまで見学した後は、また集落内へと戻り、次の史跡を見学しに向かいました。
この続きは、また別の回にご紹介しますね。
今回は少し短いですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『兼城(かねぐすく)グスク』☆
☆場所:〒901-0303
沖縄県糸満市兼城
☆見 学:無料
☆駐車場:なし