対岸の伊計グスクと衝突を繰り返していた宮城島の北側に位置するグスク☆|沖縄放浪日記

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2017年5月28日日曜日

対岸の伊計グスクと衝突を繰り返していた宮城島の北側に位置するグスク☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介したうるま市宇堅の『クバウ御嶽』をはじめとする史跡を見学した後、最後に同市与那城宮城の宮城島の北側に位置する標高約37mの丘にあるグスク跡を見学しに向かいました。

こちらは、かつて対岸にある『伊計グスク』と常に対立を繰り返してきた城主が居城していたグスクなんだそうです。

沖縄県うるま市与那城宮城の宮城島にある

『泊グスク(とぅまいぐすく)

泊グスクの写真
宮城島の北側の標高約37mの丘にある『泊グスク』の遠景
こちらは、ちょっと分かりづらい場所にあるんですが・・・

まず、うるま市与那城の県道10号線37号線がぶつかる『海中道路西口』の交差点から、『海中道路(県道10号線)』に入り、『平安座島』へと渡ります。

『平安座島』に渡ってそのまま県道10号線を突き進んで行き、今度は『宮城島』へと渡ります。
泊グスクの写真
泊グスク
『宮城島』に渡って道なりに約3.3㎞ほど進んでいくと下り坂に差し掛かるんですが、その手前右側にある脇道へ右折します。

右折して道なりに約500mほど進んだところ右側にある脇道に右折すると、左斜め前方に小高い丘がありますので、そこが『泊グスク』となります。
泊グスクの写真
『泊グスク』の入口
この日、こちらに到着したのは、ちょうど夕方の5時を回ったくらい。。。

グスク入口の横にクルマを停めさせてもらい、すぐさま見学へと向かいました。

グスク入口には、案内板とコンクリート製の標柱が立てられていたので、まずはその案内板から読んでみることに・・・

≪泊(トゥマイ)グスク≫
≪泊グスクは、標高37.4mの琉球石灰岩の台地上に造られたグスクです。東側から南側と西側の縁辺部には、野面積の石垣が一部残っています。
泊グスクの写真
入口から雑草をかき分けて上って来たところ。。。
グスク内や周辺からは、グスク時代に属する輸入陶磁器やグスク土器などが採集されています。

一説によると、1322年、怕尼芝(はにじ)に滅ぼされた今帰仁グスクの仲宗根若按司の末っ子・志慶真樽金(しげまたるがに)の一族が、宮城島に逃れ、後に「泊グスク」を築いたといわれます。
泊グスクの写真
雑草をかき分け、さらに突き進んでいくと、草刈り作業が行われた開けた場所に出ました。
また、泊グスクは伊計グスクとの抗争に負け、生き残った樽金の子孫は後に「宮城ムラ」をつくったと伝えられています。

グスク内には、「アガリ世ヌ神」(アガリの御嶽)と「按司ヌメーの御嶽の拝所があります。
うるま市教育委員会≫
・・・とありました。

説明を読み終えた後、気合を入れ、雑草をかき分けながら入口を入っていきました。

しばらく雑草の中を突き進んでいくと、大きな岩壁の下に出たんですが、そこからは、ここ最近草刈り作業が行われたようで、歩きやすくなってましたね。
泊グスクの写真
岩壁の根元付近。雨風によって浸食したのかゴツゴツした岩肌がむき出しになっていました。
泊グスクの写真
グスクの虎口手前に集められていた石。石積みなどに使われていた石なのでしょうか。。。
大きな岩壁を横目に、さらに奥へ進んでいくと、グスクの虎口が見えてきました。

・・・が、またここから雑草が生い茂っており、しかも道幅が急激に細くなっていましたね。。。(泣)

道幅が急に狭くなっているのは、防御機能を高めるためだとされているんだそうです。
泊グスクの写真
グスクの虎口。奥に向かうにつれ、幅が狭くなっています。。。
気合を入れ直し(笑)、グスク頂部を目指して虎口を入っていくと、その途中に、道が分岐しているところに差し掛かりました。

んで、右側に伸びる小道の先を見てみると、奥の方に石積みが見え、その下に香炉が1基置かれていました。
泊グスクの写真
小道の途中にあった分岐点。右へ進むと拝所があります。
分岐点から右折した先にあった拝所。
こちらの拝所は、グスク入口の説明板にあった2ヵ所ある『御嶽』の内の1つなのでしょうね。
泊グスクの写真
拝所
こちらを後にし、もう一方の小道の先へと進みます。

しばらく歩いていくと、森の中の少し開けた場所に到着したんですが、もしかすると、こちらは2の郭になるのかもしれまんせんね。
泊グスクの写真
森の中にあった広場。
なんでも、「泊グスク」は4つの郭を有していたとされているみたいなんですが、小道以外の場所は草木が鬱蒼と生い茂っており、どこからどこまでが"郭"なのか判別できません。

この広場から、右斜め奥に獣道が伸びているのを発見したので、そちらの方へ行ってみることにしました。
泊グスクの写真
奥にあった拝所
すると、先程よりも一回り小さな広場に到着したんですが、その奥に琉球石灰岩の奇岩があり、その中腹辺りに香炉が1基置かれてました。

どうやらこちらの広場が一の郭となっているようです。
泊グスクの写真
拝所
こちらも、説明にあった2ヵ所ある"御嶽"の1つとなっているみたいなんですが、この2ヵ所の"御嶽"では、神名『イベ森ガナシ』・『カネク森ガナシ』が祀られているんだそうです。(沖縄の裏探検『泊(とぅまい)グスク』のページより、一部引用)

・・・が、いろいろ調べてみたんですが、どちらがどの"御嶽"で、どちらの"御嶽"がどの神名を祀っているのかは分かりませんでした。。。

こちらの拝所まで見学した後、そのままクルマまで戻り、今度はグスクの西側へと向かいました。
泊グスクの写真
グスク西側にある道路上から見た『泊グスク』
泊グスクの写真
グスクの北側。丘の麓には、いくつかの建造物が建てられており、私有地になっているようでした。
『泊グスク』と平行して北へ伸びる小道の先は、行き止まりとなっており、グスクのある丘の北側は建造物がいくつか建てられていて私有地となっているみたいです。
グスクと平行して北へ伸びる道路の終点から見た『伊計グスク』
道路の突き当りからは、目の前に海が見え、その先に『泊グスク』の宿敵『伊計グスク』が見えましたね。

以前、『伊計グスク』をご紹介した際にもお話しましたが、『伊計グスク』の城主「アタヘチクドン」と『泊グスク』の城主「川端イッパーは、互いに領域を巡り、常に衝突を繰り返していたんだそうです。

しかし、「川端イッパー」は、「アタヘチクドン」の奇策により敗北を喫し自害してしまいました。

一説によると、この「川端イッパー」の亡骸は、宮城島の東側にある『ウクの浜』という砂浜に葬られたとされているんだそうですよ。
泊グスクの写真
以前訪れた『伊計グスク』の頂上から見た『泊グスク』(写真中央付近の三角形の丘)
・・・と、ここまで見学した後、だいぶ日も暮れて来たので、この日はそのまま帰宅の途に就きました。

いかがでしたでしょうか?

今回の『泊グスク』は、かなり分かりづらい場所にあり、ご紹介してきた写真のように草木が生い茂っていて、しかも足場がとても悪いので、訪れる際は十分に気を付けて下さいね。
※特に夏場は、ハブなどの出現率がかなり高くなるので、厳重に注意してください。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『泊グスク(とぅまいぐすく)(別名・カクレグスク)

☆場所:〒904-2423
      沖縄県うるま市与那城宮城(宮城島)

☆見 学:無料

☆駐車場:なし