今日(6日)の沖縄本島は、台風1号の影響で、雨が降ったり止んだりと、天候がコロコロ変わる一日となりました( ̄▽ ̄;
んで、明日(7日)は、降水確率が70%となっており、一日中『雨』が降る見込みとのこと。。。
台風1号は、沖縄の南を西北西に進み、7日昼過ぎから夜にかけて、先島諸島に最接近する恐れがあるんだとか。。。
先島諸島にお住まいの皆さま、くれぐれもお気を付けくださいませo(>_<)o
さてさて☆
先週水曜日(6月29日)、糸満市大里にある『南山城跡(島尻大里城跡)』を見学した後、同市照屋にある移築復元された石橋を見学しに向かいました。
沖縄県糸満市照屋にある
『報得橋(むくえばし)』
県道7号線より一段低い場所に移築・復元された『報得橋』。 |
こちらには、移築・復元された石橋と『報得橋』が架橋された経緯が記された石碑があります。
この『報得橋』は、糸満市の有形文化財に指定されているんだそうですよ。
県道より少し低い位置に移築されているため、見落としやすいですね。 |
≪報得橋(むくえばし)≫
≪報得橋は、もとは木橋であったので、大風や大雨のたびに傾いたり流されたりして、たいへん不便なときがあった。尚円王統十三代の尚敬王は、毛鴻基(奥平親方安三)や童能秀(安仁屋親雲上長義)らの役人に命じて、橋を改修させた。
雍正十年(一七三二年)八月二十一日から十一月一日までの約七十日間の工期に、石細工四、六八七名と人夫一一、八六八名を動員して行われた。
石碑が建立されている場所から見た『報得橋』裏側。 |
報得橋は、小さな木橋から大きくて広い頑丈な石橋に改築されたが、大正四年には自動車を通すためのコンクリートの二重のアーチ橋になった。
しかし、この橋も沖縄戦で破壊され、戦後何度か架け替えられて今日に至っている。
石碑と反対側から見た『報得橋』の裏側。 |
『報得橋』裏側から見た橋のアーチ部分。 |
復元された報得橋は琉球王府時代を偲ばせる貴重な建造物であり多くの方が郷土文化の体験学習に活用されることを望む。
平成五年七月 糸満市教育委員会≫
・・・と書かれていました。豊見城市・那覇市の両市に移築されている『真玉橋』も、当初は木製の橋で、水害によって何度も破壊されていたのを、石橋に改築したという点では同じ感じですね。
※『真玉橋』が石橋となったのは、琉球王国第二尚氏、第十一代尚貞王の1708年の時です。
『報得橋』がある敷地の一角に建立されている『報得橋』架橋の経緯が記された石碑。 |
説明版にあった石碑の詳細図。 |
石碑の土台にも説明が記されていたので引用します。
≪報得橋記≫
≪本石碑は、報得橋架橋の経緯が記されたもので、現在地から東側約60mの位置にあった琉球王府時代の宿道(現在の主要幹線道路に相当)跡近くに建っていましたが、長年にわたり直接日光や風雨に曝され、碑面が磨滅していたため、この場所へ移設し覆屋を架けて日光や風雨から保護しています。
雍正10(1732)年11月1日建立、平成25(2013)年3月28日移設≫
・・・と記されていました。また、先程の説明版には、かつての『報得橋』の写真も掲載されていました。
説明版に掲載されていた、かつての『報得橋』の写真。 |
県道側に戻り、そこから『報得橋』を見ると、石の一つ一つに白いものがあるんですが、これは復元する際に間違えないようにするためのナンバーが記載されたプレートなんだそうですよ。
県道側から見た『報得橋』。石の一つ一つに振られた白いプレートが見えますね。 |
こちらは、県道沿いにあり、とても簡単に見学することができるので、糸満市照屋の県道7号線を通過する際は、ちょこっと見学されてみてはいかがでしょうか。。。?
今回は、少し短いですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『報得橋』☆
☆場所:〒901-0315
沖縄県糸満市照屋
☆見 学:無料
☆駐車場:無し