ハイサぁ~イ☆
ちゃ~がんじゅ~やみせ~み?ヽ(^。^)☆
今日(4月1日)は、エイプリルフールですねぇ~(笑)
皆さんは、どなたか騙しちゃいましたか?(笑)(^艸^)♪
この4月1日だけは、嘘をついてもいいとゆー風習なんですが、いつ?どこで?だれが?などの起源が全く分かってないんだそうですよ( ̄▽ ̄)ノ
様々な仮説があるそうなんですけど、どの説も確証がないみたいで、未だに不明なんだそうです(笑)(^^;不思議な風習ですねぇ。。。
ですが、いくら4月1日の風習とはいえ、友人・知人、或いは家族など周囲の人に嘘をついたら、後からちゃんと謝りましょうね(笑)(´▽`)ノ
さてさて☆
この前の日曜日(3月27日)、宜野座村松田の『やかそば』さんで、腹ごしらえした後、のらりくらりと国道329号線を南下し始めました☆
んで、ちょうど宜野座村営野球場近くに差し掛かった際、この近くにグスク跡があることを思い出したので、ついでに立ち寄ることにしました!(^^)!
沖縄県国頭郡宜野座村宜野座にある
こちらはまず、宜野座村の沖縄自動車道『宜野座IC』から伸びる道路と国道329号線が交わる交差点から、『宜野座村営野球場』向けに進み、同野球場を通過して、その先の旧国道329号線に右折します。
旧国道に入って、またすぐの角を右折し、道なりに進んで行って、突き当りをさらに右折。
すると、新国道329号線に架かる橋がありますので、その橋を渡って奥まで行くと到着です☆
この『宜野座ヌ古島遺跡』は、かつて大川按司が居城していたとされるグスク跡でもあるらしく、別名『大川グシク(ウッカーグシク)』とも呼ばれているそうです。
遺跡の敷地内には、『宜野座ヌル殿内(ぎのざヌルどぅんち)』をはじめ、『大川按司屋敷跡』、『根屋跡(ニィヤーあと)』、『獅子安置小屋』、『神アシャギ』などの施設があります。
かつては、この宜野座村宜野座は金武間切の一つだったそうで、『琉球国由来記』に出てくるヨリフサノ嶽とゆーのが、こちらの『宜野座ヌ古島遺跡』のことみたいです。(今帰仁村歴史文化センター『沖縄の地域研究:宜野座村【宜野座村宜野座】』のページより引用)
『宜野座ヌル殿内』前にある広場の一角には、『神アシャギ』が建てられてます。
訪問した際は、この『神アシャギ』の横側にクルマを駐車させてもらいました。
また、『宜野座ヌル殿内』に向かって右側には、『宜野座ヌ古島遺跡』の説明板が立てられています。
その説明文によると・・・
≪宜野座ヌ古島遺跡は、1980年の遺跡分布調査で確認された周知の遺跡です。本遺跡は別称「大川グシク」とも呼ばれ、宜野座村で唯一の石積みを伴うグシクであり、周辺には古い集落の様相が残され、「宜野座ぬる殿内」を中心に「大川按司屋敷跡」、「根屋跡」、「獅子安置小屋」、「神アシャギ」など旧家の屋敷跡や祭祀施設が集中しています。
一般国道329号宜野座改良(1工区)事業に伴い、本遺跡の一部の現況が変わってしまう為、沖縄総合事務局北部国道事務所と宜野座村教育委員会で遺跡の取り扱いについて協議し、宜野座村教育委員会が2002年~2009年に遺跡の記録・保存を目的とした発掘調査を実施しました。
発掘調査の結果、本遺跡は琉球王府時代(安土桃山~江戸時代)・グスク時代(室町時代)・沖縄貝塚時代後期(奈良~平安時代)・沖縄貝塚時代中期(縄文時代晩期)に人々の生活があった事がわかりました。
また、本遺跡からは奄美系の土器、鹿児島産の黒曜石、徳之島産のカムィヤキ、中国やタイの外国産陶磁器、中国の古銭、佐賀県産の肥前系陶磁器など宜野座地域以外から持ち込まれた遺物も出土しています。
本遺跡は、翁wあ貝塚時代中期(縄文時代晩期)から琉球王府時代(安土桃山~江戸時代)に宜野座地域で生活したひとびとの歴史を考える上で、とても重要な遺跡です。
この『宜野座ヌル殿内』を囲むように、古い石垣が点在してましたが、この石垣がグシクの石垣だったのかは、調べきれなかったので、不明です。。。
『宜野座ヌル殿内』横側から後ろの方へ進むと、『根屋(ニィヤー)』があります。
さらに、この『根屋』の後方に回り込むと、大きなガジュマルがあり、その根元にも、香炉が置かれ、拝所となってました。
んで、一度ヌル殿内前の広場に戻り、先ほどの説明板が立てられている場所から、未舗装の道が二つありました。
まずは、説明板に向かって右側の道に進んでみると・・・
こちらにも、拝所のような平屋があり、こちらが『大川按司屋敷跡』となっているみたいです。
また、その隣りには、小さな小屋らしき建物があり、たぶんこちらが『獅子安置小屋』のようですね。
こちらには、この屋敷跡と小屋しか無かったので、再び説明板の方へと戻り、今度は、ヌル殿内後方へ回り込むように伸びる道へと行ってみることにしました。
未舗装の道を進んで行くと、先ほどの『大川按司屋敷跡』後方に伸びる道を発見。
んで、そちらの方に進んで行くと、すぐにまた右側の林の中へと延びる獣道のような小道を見つけたので、そこへ行ってみると・・・
『大川按司之墓』・『大川門中之墓』と書かれたお墓を発見しました。
墓標には、『昭和六十三年十二月二十九日』と刻まれていたので、たぶんその年に新しく造られたお墓なんでしょうね。
この『大川按司之墓』まで見学したところで、クルマまで戻り、そのまま帰路に着きました。
この『大川グシク』がある場所から、少し離れたところに、『福地川』とゆー川が流れています。
以前、見学に訪れた『漢那グシク』の説明板に、『宜野座大川の大川グシクが港の近くに立地している』と書かれていたので、たぶん、かつては大きな船を近くの港に停泊させておいて、小舟でこの『福地川』を上ってグシク近くまで運び、積荷を下ろしたりしていたんでしょうね。
現在の『福地川』は、小舟でも厳しいくらい水深が浅いんですが、その当時は、もう少し水深があったのかもしれませんね。。。
新しい国道を走っていると、ちょっと見落としてしまいそうな小高い丘なんですが、かつての宜野座地域で生活していた人々の歴史を知ることができる遺跡なので、宜野座村を訪れた際には、こちらにも少しばかり立ち寄ってみてはいかがでしょうか。。。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『宜野座ヌ古島遺跡(別称:大川グシク)』☆
☆場所:〒904-1302
沖縄県国頭郡宜野座村宜野座
☆入場料:無料
☆トイレ:あり
☆駐車場:あり(宜野座ヌル殿内前の広場に駐車できる可能)
※『宜野座ヌ古島遺跡』のすぐ隣には民家がありますので、迷惑をかけないよう静かに見学してくださいね。
ちゃ~がんじゅ~やみせ~み?ヽ(^。^)☆
今日(4月1日)は、エイプリルフールですねぇ~(笑)
皆さんは、どなたか騙しちゃいましたか?(笑)(^艸^)♪
この4月1日だけは、嘘をついてもいいとゆー風習なんですが、いつ?どこで?だれが?などの起源が全く分かってないんだそうですよ( ̄▽ ̄)ノ
様々な仮説があるそうなんですけど、どの説も確証がないみたいで、未だに不明なんだそうです(笑)(^^;不思議な風習ですねぇ。。。
ですが、いくら4月1日の風習とはいえ、友人・知人、或いは家族など周囲の人に嘘をついたら、後からちゃんと謝りましょうね(笑)(´▽`)ノ
さてさて☆
この前の日曜日(3月27日)、宜野座村松田の『やかそば』さんで、腹ごしらえした後、のらりくらりと国道329号線を南下し始めました☆
んで、ちょうど宜野座村営野球場近くに差し掛かった際、この近くにグスク跡があることを思い出したので、ついでに立ち寄ることにしました!(^^)!
沖縄県国頭郡宜野座村宜野座にある
『宜野座ヌ古島遺跡』☆
(別称:大川グシク)
『宜野座ヌ古島遺跡(別称:大川グシク)』 |
旧国道に入って、またすぐの角を右折し、道なりに進んで行って、突き当りをさらに右折。
すると、新国道329号線に架かる橋がありますので、その橋を渡って奥まで行くと到着です☆
宜野座ヌル殿内(ぎのざヌルどぅんち) |
遺跡の敷地内には、『宜野座ヌル殿内(ぎのざヌルどぅんち)』をはじめ、『大川按司屋敷跡』、『根屋跡(ニィヤーあと)』、『獅子安置小屋』、『神アシャギ』などの施設があります。
かつては、この宜野座村宜野座は金武間切の一つだったそうで、『琉球国由来記』に出てくるヨリフサノ嶽とゆーのが、こちらの『宜野座ヌ古島遺跡』のことみたいです。(今帰仁村歴史文化センター『沖縄の地域研究:宜野座村【宜野座村宜野座】』のページより引用)
『宜野座ヌル殿内』に祀られている霊石 神名:『コバヅカサワライヂヤウノ御イベ』 |
『宜野座ヌル殿内』の香炉 |
訪問した際は、この『神アシャギ』の横側にクルマを駐車させてもらいました。
また、『宜野座ヌル殿内』に向かって右側には、『宜野座ヌ古島遺跡』の説明板が立てられています。
神アシャギ |
≪宜野座ヌ古島遺跡は、1980年の遺跡分布調査で確認された周知の遺跡です。本遺跡は別称「大川グシク」とも呼ばれ、宜野座村で唯一の石積みを伴うグシクであり、周辺には古い集落の様相が残され、「宜野座ぬる殿内」を中心に「大川按司屋敷跡」、「根屋跡」、「獅子安置小屋」、「神アシャギ」など旧家の屋敷跡や祭祀施設が集中しています。
一般国道329号宜野座改良(1工区)事業に伴い、本遺跡の一部の現況が変わってしまう為、沖縄総合事務局北部国道事務所と宜野座村教育委員会で遺跡の取り扱いについて協議し、宜野座村教育委員会が2002年~2009年に遺跡の記録・保存を目的とした発掘調査を実施しました。
『宜野座ヌル殿内』に続く参道の右側にあった御嶽 『ヨリフサノ嶽のイベ』 |
また、本遺跡からは奄美系の土器、鹿児島産の黒曜石、徳之島産のカムィヤキ、中国やタイの外国産陶磁器、中国の古銭、佐賀県産の肥前系陶磁器など宜野座地域以外から持ち込まれた遺物も出土しています。
本遺跡は、翁wあ貝塚時代中期(縄文時代晩期)から琉球王府時代(安土桃山~江戸時代)に宜野座地域で生活したひとびとの歴史を考える上で、とても重要な遺跡です。
2009年3月 宜野座村教育委員会≫
・・・と書かれてました。『宜野座ヌル殿内』を囲むように古い石垣もありました。 |
『宜野座ヌル殿内』後方にある『根屋(ニィヤー)』 |
『根屋』に向かって右側の拝所 |
『根屋』に向かって左側の拝所 |
『根屋』後方にあった大きなガジュマル |
ガジュマルの根元にも香炉が置かれており、拝所となってました。 |
まずは、説明板に向かって右側の道に進んでみると・・・
大川按司屋敷跡とされる拝所と獅子安置小屋(?) |
また、その隣りには、小さな小屋らしき建物があり、たぶんこちらが『獅子安置小屋』のようですね。
こちらには、この屋敷跡と小屋しか無かったので、再び説明板の方へと戻り、今度は、ヌル殿内後方へ回り込むように伸びる道へと行ってみることにしました。
最後に説明板左側の道を行ってみると・・・ |
『大川按司屋敷跡』後方に伸びる道を発見! |
『大川按司之墓』・『大川門中之墓』 |
墓標には、『昭和六十三年十二月二十九日』と刻まれていたので、たぶんその年に新しく造られたお墓なんでしょうね。
この『大川按司之墓』まで見学したところで、クルマまで戻り、そのまま帰路に着きました。
この『大川グシク』がある場所から、少し離れたところに、『福地川』とゆー川が流れています。
以前、見学に訪れた『漢那グシク』の説明板に、『宜野座大川の大川グシクが港の近くに立地している』と書かれていたので、たぶん、かつては大きな船を近くの港に停泊させておいて、小舟でこの『福地川』を上ってグシク近くまで運び、積荷を下ろしたりしていたんでしょうね。
現在の『福地川』は、小舟でも厳しいくらい水深が浅いんですが、その当時は、もう少し水深があったのかもしれませんね。。。
新しい国道を走っていると、ちょっと見落としてしまいそうな小高い丘なんですが、かつての宜野座地域で生活していた人々の歴史を知ることができる遺跡なので、宜野座村を訪れた際には、こちらにも少しばかり立ち寄ってみてはいかがでしょうか。。。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『宜野座ヌ古島遺跡(別称:大川グシク)』☆
☆場所:〒904-1302
沖縄県国頭郡宜野座村宜野座
☆入場料:無料
☆トイレ:あり
☆駐車場:あり(宜野座ヌル殿内前の広場に駐車できる可能)
※『宜野座ヌ古島遺跡』のすぐ隣には民家がありますので、迷惑をかけないよう静かに見学してくださいね。