ハイサ~イ☆
ここ数日、沖縄は気温が20℃前後と、暖かくなってきましたねo(^-^)o
予報によると、明日と明後日は気温が14~15℃くらいまで一旦下がるみたいですが、水曜日以降は、また次第に気温が上がり、暖かくなるようです☆
暖かくなって天気が安定してきたら、久しぶりに『磯釣り』に出かけたいですねヽ(^。^)ノ☆
さてさて☆
以前、ネットでいろいろ調べ物をしてる時に偶然見かけたブログがありまして、そのブログによると、なんでも、名護市嘉陽に勝連から移住してきた大主が築いたグスクがあるとのこと。。。
しかも、そのグスクは国道沿いから入って行けるとのことなので、2月7日(日曜日)、名護市天仁屋に行った帰りに、そちらにも寄ってみることにしました(^^♪
沖縄県名護市嘉陽にある
こちらは、名護市辺野古の国道329号線と331号線がぶつかる交差点から、国道331号線に入って国頭郡東村向けに北上していくと、平成21年(2009年)に統廃合により廃校となってしまった『名護市立 嘉陽小学校』を過ぎて約200mくらい進むと、左側にあります☆
この『嘉陽上グスク』は、伝承によると、『嘉陽大主(かよううふしゅ)』という人物が、うるま市の勝連から移住してきて築城したといわれるグスクなんだそうです。
嘉陽上グスクは、別名『嘉陽城嶽』とも言われているそうです。
沖縄県立博物館の《グスクの縄張りについて(下)》によると、嘉陽集落の背後に聳える円錐形の山の上に位置し、国頭方東海道の道筋にあると書かれています。
国頭方東海道とは、首里城を起点として、中頭方を本島北部方面へ向かう二つの主要な道のうちの一つです。
嘉陽が、東側の南北ルートとしての交通の要衝だったらしく、このことを睨んで築かれたグスクであったと考えられているんだそうです。
築城年代は不明みたいですが、一の曲輪と二の曲輪(主郭部)と、尾根に雛段状に続く小曲輪、そして大手ルートを抑えるための腰曲輪からなる小規模のグスクとのこと。
現在は、主郭部の二の曲輪入口に昭和15年に建立された鳥居があり、曲輪内部には御嶽や拝所などがあるだけです。
長い急勾配のあまり整備されていない道を登っていくと、昭和15年に建立された鳥居が見えてきます。
ここが二の曲輪らしいですね。
この曲輪の東側には本殿があり、その前庭部は『トノ』と呼ばれ、以前はアサギがあったみたいですが台風で倒壊してしまったんだとか。。。
昔は、ここで嘉陽集落の祭祀行事が行われていたみたいですが、現在は、村人全員は登らずに、グスクに上ることができない老人たちや体力がない人たちは、グスクの麓にあるウトゥーシ祠で御願を行っているそうです。
一の曲輪は、標高67mの位置にあり、面積は30m×15mくらいの規模らしく、土塁は確認されていないとのこと。
一の曲輪にも行ってみたかったんですけど、入口が分からず、かなり荒れているみたいだったので、今回は断念しました。
また、他の小曲輪や腰曲輪なども、かなり草木が生い茂っていて荒れ放題の状態だったので、確認できませんでしたね。。。
この『嘉陽グスク』は、独立した小高い山に築城されたため、堀切をもたず切岸だけを巧みに使用したグスクともいえるんだそうです。
規模はとても小さく、一見、曲輪が単純に配置されているようなんですが、防御施設などを上手く配置して、城郭としての体制が整えられているグスクなんだそうですよ。
本殿の内部には、自然石が数個と香炉が二基安置されていますが、直径20㎝くらいの石の球は石弾の可能性があるんだとか。。。
本殿は、何か所かの拝所が合祀されているらしく、本来は≪ウタキのイベ『神名。アカウズカサノ御イベ(?)』≫が祀られているんだそうですよ。
そして、本殿に向かって左側にも、小さな拝所があります。
この拝所は、『火の神』が祀られているとのこと。
そして、本殿に向かって右側には『紀元二千六百年祭』を記念して建立された石碑があります。
嘉陽集落は、この『嘉陽上グスク』が築城されてから形成された可能性があるみたいですね。
グスク内は、この二の曲輪しか見学できなかったため、本殿や拝所などを見た後は、そのままクルマへと戻りました。
曲輪までの道のりは、少しキツいんですけど、もし嘉陽区を訪れた際は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。。。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『嘉陽上グスク(嘉陽城嶽)』☆
☆場所:〒905-2262
沖縄県名護市嘉陽
☆時間:自由見学
☆トイレ:無し
☆駐車場:無し
ここ数日、沖縄は気温が20℃前後と、暖かくなってきましたねo(^-^)o
予報によると、明日と明後日は気温が14~15℃くらいまで一旦下がるみたいですが、水曜日以降は、また次第に気温が上がり、暖かくなるようです☆
暖かくなって天気が安定してきたら、久しぶりに『磯釣り』に出かけたいですねヽ(^。^)ノ☆
さてさて☆
以前、ネットでいろいろ調べ物をしてる時に偶然見かけたブログがありまして、そのブログによると、なんでも、名護市嘉陽に勝連から移住してきた大主が築いたグスクがあるとのこと。。。
しかも、そのグスクは国道沿いから入って行けるとのことなので、2月7日(日曜日)、名護市天仁屋に行った帰りに、そちらにも寄ってみることにしました(^^♪
沖縄県名護市嘉陽にある
『嘉陽上グスク』☆
(かよううぃぐすく)
国道沿いにある『嘉陽上グスク』の入口 |
この『嘉陽上グスク』は、伝承によると、『嘉陽大主(かよううふしゅ)』という人物が、うるま市の勝連から移住してきて築城したといわれるグスクなんだそうです。
嘉陽上グスクは、別名『嘉陽城嶽』とも言われているそうです。
二の曲輪に続く階段。勾配がちょっとキツイので、入口に杖代わりの棒が数本ありました(笑) |
国頭方東海道とは、首里城を起点として、中頭方を本島北部方面へ向かう二つの主要な道のうちの一つです。
嘉陽が、東側の南北ルートとしての交通の要衝だったらしく、このことを睨んで築かれたグスクであったと考えられているんだそうです。
階段は曲輪まで伸びる道の1/3までで終わっており、そこから曲輪までは急勾配で未舗装の道が続いてます。 |
現在は、主郭部の二の曲輪入口に昭和15年に建立された鳥居があり、曲輪内部には御嶽や拝所などがあるだけです。
長い急勾配の道を登っていくと、平虎口に立つ鳥居が見えてきました。 |
二の曲輪平虎口に建立された鳥居。 |
ここが二の曲輪らしいですね。
この曲輪の東側には本殿があり、その前庭部は『トノ』と呼ばれ、以前はアサギがあったみたいですが台風で倒壊してしまったんだとか。。。
昔は、ここで嘉陽集落の祭祀行事が行われていたみたいですが、現在は、村人全員は登らずに、グスクに上ることができない老人たちや体力がない人たちは、グスクの麓にあるウトゥーシ祠で御願を行っているそうです。
写真左側の開けた場所が二の曲輪の前庭部。『トノ』と呼ばれているようです。 昔はアサギが建っていたみたですが、台風により倒壊してしまったとのこと。。。 |
一の曲輪にも行ってみたかったんですけど、入口が分からず、かなり荒れているみたいだったので、今回は断念しました。
また、他の小曲輪や腰曲輪なども、かなり草木が生い茂っていて荒れ放題の状態だったので、確認できませんでしたね。。。
二の曲輪にあった本殿と拝所、そして『紀元二千六百年祭記念』と刻まれた石碑、寄付者の芳名石板。 |
鳥居のすぐ後方にも寄付者の芳名石板がありました。 |
規模はとても小さく、一見、曲輪が単純に配置されているようなんですが、防御施設などを上手く配置して、城郭としての体制が整えられているグスクなんだそうですよ。
本殿、『紀元二千六百年祭記念』の石碑、寄付者芳名石板を前庭部から見たところ |
本殿 |
本殿内部 |
本殿は、何か所かの拝所が合祀されているらしく、本来は≪ウタキのイベ『神名。アカウズカサノ御イベ(?)』≫が祀られているんだそうですよ。
そして、本殿に向かって左側にも、小さな拝所があります。
祠 |
そして、本殿に向かって右側には『紀元二千六百年祭』を記念して建立された石碑があります。
紀元二千六百年祭を記念して建立された石碑 |
記念碑隣りの寄付者芳名の石板 |
グスク内は、この二の曲輪しか見学できなかったため、本殿や拝所などを見た後は、そのままクルマへと戻りました。
曲輪に向かう途中の道から見た嘉陽集落と海の風景(^^♪ |
嘉陽上グスク全景☆ |
それでは、この辺で。。。でわでわ☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『嘉陽上グスク(嘉陽城嶽)』☆
☆場所:〒905-2262
沖縄県名護市嘉陽
☆時間:自由見学
☆トイレ:無し
☆駐車場:無し