◎読谷村字渡慶次にある大きな御嶽と按司墓☆|沖縄放浪日記

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2015年10月9日金曜日

◎読谷村字渡慶次にある大きな御嶽と按司墓☆

どーもども(´▽`)ノ

この数日間、突然の体調不良に見舞われ、ブログの更新も出来ず、ずーっと寝込んでました。。。( ̄◇ ̄;

・・・ですが、た~くさん眠ったお陰で、だいぶ回復致しました♪o(^-^)o

G+にて、ご心配のコメントをくださった皆様、本当にありがとうございましたm(_ _)m

さてさて☆

以前、ヨメさんと沖縄本島中部の読谷村へドライブに出かけた際、たまたま通りかかった字(あざ)で、大きな御嶽を発見したので、ちょこっと見学させてもらいました。

沖縄県中頭郡読谷村字渡慶次にある
『渡慶次御嶽』
渡慶次御嶽
こちらは、まず読谷村の国道58号線から県道6号線を残波岬方面に進んでいき、『読谷小学校』を通過して、二つ目の信号を左斜めに左折します。

その道を、ずーっと直進して行くと、『渡慶次小学校』とゆー学校があり、そこも通過して行くと、右手側に大きな木が見えてくるので、そこが『渡慶次御嶽』になります☆
ボージヌ前(メー)
御嶽内に設置されてた新しめの説明書きより
≪大木を抱きそびえ立つ岩盤一帯を御嶽と称し、祭祀の対象になっている。この一帯を祖先は昔から渡慶次御嶽と呼んでいる。

中央の岩はボージヌメーの拝所、左には簡素な火之神(ヒヌカン)、右に在郷軍人会による忠魂碑が建立され、今日では字の慰霊碑となっている。
2015年3月25日 読谷村教育委員会
渡慶次文化財保存委員会≫
この『渡慶次御嶽』の中央にある大きな岩の下が『ボージヌ前(メー)』と呼ばれる拝所なんだそうです。
※『ボージ』とは沖縄の方言で、『坊主』のことです。

読谷村の渡慶次公民館HP内にある『続・渡慶次の歩み』のプロローグに書かれていた説明によると、この『ボージヌ前(メー)』の呼称には諸説あるらしく、未だに解明されていないとのこと。。。

しかし、渡慶次集落形成に大きく貢献した人物だったようで、旧暦の8月2日には『ボージヌ御願』と呼ばれる祭事があり、連綿と継承されているんだそうですよ。
渡慶次御嶽の裏側①
渡慶次御嶽の裏側②こちらはちょうど忠魂碑の裏側になっています。
次に、この『ボージヌ前』のすぐ右隣りには『忠魂碑』が建立されています。

読谷村内には現存する『忠魂碑』が2基あるんですが、その内の1基は以前、当ブログでご紹介したことがある『忠魂碑』で、読谷村運動広場勤労者体育センター横のテニスコートの傍にあり、もう1基がこちらの『忠魂碑』です。
渡慶次在郷軍人会が建立した忠魂碑
碑のすぐ横にある説明書きより
≪慰霊碑として再利用

忠魂碑は、国のため 天皇のため 戦争で犠牲になった軍人軍属の忠義の魂を顕彰する碑である。

読谷村には二基現存するが、渡慶次区の建立年月日は古く、区民は長年慰霊碑としての意識を持ち続けている。

この新城に配慮して、この歴史的構築物に恒久平和の願いをこめ慰霊碑として利用することを合意するものである。
平成18年8月15日 読谷村字渡慶次≫

こちらも渡慶次公民館HPの『続・渡慶次の歩み』のプロローグによると、この忠魂碑は渡慶次西郷軍人会が1913年に建立した石碑なんだそうで、碑の裏側には日露戦争で亡くなった渡慶次区出身の戦没者3名と支那事変で亡くなった3名の計6名の犠牲者の名前が刻銘されているんだそうです。
戦没者名が刻まれた刻銘碑
渡慶次区民は大戦後に、この忠魂碑を戦没者の慰霊碑としてその霊を弔ってきたとのこと。

以前のブログ記事でもお話したんですけど、忠魂碑とは《国の為、天皇陛下の為に戦死した軍人・軍属の『忠義』の魂を『顕彰』するために建てられた碑》なのですが、こちらの渡慶次区では60年余にわたり、忠魂碑を『慰霊碑』として毎年6月23日にこの場所で慰霊祭を実施しているんだとか。。。

そして、2006年8月15日に、住民心情に配慮し、忠魂碑という歴史的建造物を慰霊碑として見なし、再利用することが合意され、その趣旨が刻まれた石板を建立したのだそうです。

この忠魂碑は、台風によって大木が倒れ、碑が押し倒される被害に見舞われたこともあったようですが、その都度改修工事を行ってきたんだそうですよ。

渡慶次御嶽の境内の角には、石組の質素な『火之神(ヒヌカン)』が祀られてる拝所があります。
火之神
古代の琉球では巨岩や大木が生い茂る場所、小高い丘、海に突き出ている場所などを御嶽あるいはグスクと呼ばれていて、こちらの渡慶次御嶽もその一例なんだとか。

昔は、もっと大木が生い茂っていたそうなんですが、周辺が整備されるにつれ、枝打ちされて現在の大きさに落ち着いたようです。

この渡慶次御嶽の北側には、屋号虎城間屋(トラーグスクマヤー)と称される按司墓があります。
道路側から見た按司墓
こちらは、少し奥まった場所にあったので、ちょっと分かりづらいと思いますが、御嶽の北側を通る道路の向かいにあるので、ちょこっと注意して探すとすぐに見つけることができると思います(^-^;
屋号虎城間屋(トラーグスクマヤー)の按司墓
渡慶次公民館のHPによると、この渡慶次御嶽按司墓の他にも、たくさんの拝所や御嶽、石碑などがあるみたいなので、また機会を設けて、ゆっくり見学しに行ってみたいと思います☆

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『渡慶次御嶽』・『按司墓』☆

☆場所:〒904-0326
      沖縄県中頭郡読谷村渡慶次

☆時間:自由見学

☆入場料:無料

☆駐車場:無し

☆トイレ:無し

※渡慶次区の住宅密集地にありますので、見学に行かれる際は区民の迷惑にならないよう十分注意してください。