◎閑静な住宅街にある古代人の住居跡☆|沖縄放浪日記

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2015年7月9日木曜日

◎閑静な住宅街にある古代人の住居跡☆

どぉ~もぉ~ヽ(^。^)ノ

時間が経つにつれて、雨・風共に、かなり強くなってきましたねぇ。。。

県内の企業やお店などでは、早めに閉店したり、また、各交通機関も欠航や運休になってます。。。

沖縄本島は、明日の朝方まで、暴風や強い雨が続くとの事。。。ヽ(^。^;

明日の午前中までは、引き続き厳重に警戒しないといけませんね。。。

さてさて☆

この前、那覇市にお出かけした後、以前からちょっと行ってみたかった遺跡があったので、帰りがけに立ち寄ることにしました☆

沖縄県浦添市牧港にある
『チヂフチャー洞穴遺跡』
チヂフチャー洞穴遺跡
こちらは、浦添市の国道330号線沿いにある『浦添市立中央公民館 分館』から入り、直進して行くと、そこが『安川団地』になります。

洞穴遺跡は、この『安川団地』内の一角にあるんですが、国道から入る際に、小さな案内板が設置されてますので、その案内板に従って進むと、すぐ辿り着くことができます。

洞穴遺跡と民家の間に、クルマ一台分くらいのスペースがあるので、そちらに少しの間だけ駐車させてもらい、すぐさま見学を開始致しました。
真正面から見た洞穴入口付近
この洞穴遺跡がある場所一帯は、標高約50mの琉球石灰岩の台地となっていて、すぐ後ろ側の崖下は、牧港川が流れています。

その牧港川を挟んで、その対岸には、グスク時代の『真久原遺跡(まくばる)』があるそうなんですが、現在、その『真久原遺跡』は無いみたいですね。
※ネットなどで、いろいろ調べたんですけど、詳細が書かれてるページを見つけることができませんでした。
洞穴入口の様子(左側から奥に続いてるみたいでした)
洞穴入口(中央付近)
この『チヂフチャー洞穴遺跡』は、1986年3月に浦添市の史跡に指定された自然の鍾乳洞なんだそうです。

1987年の発掘調査では、洞穴入口付近から、約1500年~800年前くらいの沖縄貝塚時代後期~グスク時代(三山時代)の土器や貝殻等の食糧残滓(ざんし)が発見され、その中の一点は、約6600年前の爪形文土器もあったとの事。
洞穴入口(中央付近)
各所で鍾乳石が見られます。
また、洞穴一帯には風葬墓があり、沖縄焼の壺等がみられることから、古代人が住居として利用していたのでは・・・と、推測されているみたいです。

洞穴は、ドリーネ地形と呼ばれる、石灰岩台地の地表に生ずるすり鉢状のくぼ地になっており、内部の広さは、幅4~11m、高さ1.5~4.5m、全長150mとなっているようです。
洞穴入口(右側)
内部には、ストロー(鍾乳管)、つづら石(氷柱石)、石筍(ドーム状、円錐状、長柱状の石)、石柱(石灰華柱、石灰石柱)、中空鍾乳石、洞穴サンゴ、ヘリタイト(ねじれながら垂れ下がってる鍾乳石)、フローストーン(流華石)などがあり、鍾乳洞のかなり発達した洞穴なんだそぉです。

古代人の住居として使用された、この『チヂフチャー洞穴遺跡』は、沖縄戦時には、住民の避難壕としても使用されていたそぉで、当時の物品なども多数残されていたとの事。
チヂフチャー洞穴遺跡の側面
上から見た洞穴入口
洞穴には、本島南部に行くことができない老人や子供達が、こちらで避難生活をしていたとか。。。

多い時で、集落の住民およそ400余りが避難していたみたいですが、米軍に嘉数高台を突破された後、すぐに占領されてしまったんだとか。。。
浦添大公園と伊祖トンネル方面を臨む
現在、洞穴横には、ブランコと滑り台だけがある小さな公園があり、洞穴遺跡の周囲は、木々とフェンスで囲われています。

今回、ワタクシは入洞しませんでしたが、比較的安全な洞穴らしく、入ることも可能ではあるみたいです。

しかし、その際には、安全靴やヘルメット着用などといった万全の体制で入った方がいいみたいですよ。

また、洞穴周辺は、住宅密集地であり、駐車場もないため、訪れる際には、くれぐれも近隣住民に迷惑をかけないように心がけてください。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『チヂフチャー洞穴遺跡』☆

☆場所:〒901-2131
      沖縄県浦添市牧港3丁目(安川団地内)
      ※国道330号線から団地内に入る道に案内板あり

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場無し

☆トイレ無し

※聖域ですので、くれぐれも汚さないように心がけましょう。