ハイサ~イ( ̄▽ ̄)ノ☆
台風9号が沖縄から離れていくにつれ、徐々に雨・風が落ち着いてきてますが、時折吹き返しの風が強かったりするので、まだまだ油断はできませんね☆
台風時には、たくさんのフォロワーさんから、ご心配の声を頂きまして、誠にありがとうございましたm(_ _)m
お陰さまで、我が家の被害は、電気メーターの上部カバーが吹き飛んだだけで済みました(笑)
本日、電気会社の方にカバーを新しく取り付けてもらい、復旧が完了致しました♪
さてさて☆
この前、偶然発見した『大一食堂』で遅めの昼食を食べ終わった後、すぐ向かいにある公園に行ってきましたヽ(^。^)ノ
以前、ネットで調べ物をしていた際に、偶然見つけたサイトによると、この公園内に『戦跡』があるらしいんです。
沖縄県那覇市田原にある《田原公園》内の
こちらは、那覇市の『奥武山公園』から県道221号線を小録方面へ直進し、田原(北)の交差点を左折して、しばらく進むと『田原公園』が右手に見えてきます☆
ホントは、こちらに行くことが目的で、到着した際に『大一食堂』をたまたま発見したんですよ(笑)
んで、昼食がまだだったので、食べてから見学しよぉってことになったんです(^艸^)♪
ハラが減っては戦はできませんからネwww
園内に入っていくと、広々とした公園で、遊具もあり広場もあって、整備が行き届いてる感じがして、とても綺麗でした☆
現存する壕の出入り口は、全部で4ヵ所。
公園の中央裏手側に位置してる丘の東側へ歩いていくと、すぐさま旧海軍壕の出入り口を2ヶ所発見致しました。
こちらの丘は、戦前まではカテーラムイと呼ばれていた拝所だったみたいで、『寿山』と言われたのは、日本軍が上空から見た際に、漢字の『寿』に見えたことから、そう名づけたんだそぉです。
1944年の8月~12月にかけて、地元住民も動員され、突貫工事で完成に至ったとの事。
本壕は、旧海軍航空隊巌(いわを)部隊の本部陣地壕で、小録飛行場防衛のために造られた壕の一つ。
戦時中、小録・豊見城一帯は、海軍少将太田實(おおたみのる)司令官の指揮の下、連合陸戦部隊が編成され、多くの陣地壕が建造されたんだそぉです。
壕の総延長は、約350mほどで、内部には、司令室・作戦室・暗号室を始め、通信室・兵員室・士官室などが構築されているとの事で、かなり大きな壕だったようですね。
壕内には、最大で約1000人余りの将兵や住民がいたみたいですよ。。。
壕内部は、敵が容易に入りこめない複雑な構造になっているらしく、入口から内部へ約10mくらいを左右交互に突出部を出して、銃弾や手榴弾を簡単に投入できないように構築されているとの事。
また、その先は深く落とし穴のように掘られていて、その上側の一部を開口して人が出入りできるようにしてあるんだとか。。。
そして、司令部とか暗号室などの中枢部は、コンクリートで壁面を構築して補強されているようです。
作戦室から各部屋への連絡は、電話が通じていたため、良好な状態だったようですが、照明には苦労していたみたいです。
1945年6月7日、米軍はこのカテーラムイ一帯に激しい攻撃を仕掛けてきたそぉです。
そして、本壕への攻撃方法は、『馬乗り攻撃』と言って、頂上から壕まで穴を掘り、壕内部に達した時点で、ガソリンを流し込んで火を放つというもの。。。
また、各入口からも火炎放射攻撃を受けたみたいですが、曲がりくねった通路のお陰で、奥の方までは火が届かなかったそぉです。
現在、壕入口は4ヵ所ですが、当時は約10ヵ所くらいあったみたいで、火炎放射攻撃を受ける度に、熱風に煽られ酸欠状態に陥ったりしたが、多くの出入り口と排気口のお陰で、酸欠で死ぬことはなかったらしいですね。
壕内の至るところに火炎放射の跡が、今でも残ってるみたいですよ。。。
南部への撤退、避難民、戦死者数などは、すべて不明とのことですが、1945年の8月段階でも約50人が壕内に留まっていたとの事。
戦後、このカテーラムイ一帯は米軍の管理下にあったみたいですが、返還後にマンションの建設計画があったようです。
・・・が、当時の関係者らが、遺骨の発掘とカテーラムイ一帯の公園化を陳情したため、その計画は中止となり、現在の公園が整備され、壕も保存されることとなりました。
現在、壕内部は、状態が悪く、崩落の危険性があるので、非公開となっており、入ることはできません。
この『カテーラムイ旧海軍壕』も、戦争の悲惨さを後世に伝えていくための貴重な『戦跡』ですので、豊見城市にある『旧海軍司令部壕』のように、ちゃんと補修・整備して保存していってほしいものですね。。。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『カテーラムイ(寿山)旧海軍壕』☆
☆場所:〒901-0156
沖縄県那覇市田原3丁目(田原公園内)
☆時間:自由見学
☆入場料無料
☆駐車場無し
☆トイレ無し
台風9号が沖縄から離れていくにつれ、徐々に雨・風が落ち着いてきてますが、時折吹き返しの風が強かったりするので、まだまだ油断はできませんね☆
台風時には、たくさんのフォロワーさんから、ご心配の声を頂きまして、誠にありがとうございましたm(_ _)m
お陰さまで、我が家の被害は、電気メーターの上部カバーが吹き飛んだだけで済みました(笑)
本日、電気会社の方にカバーを新しく取り付けてもらい、復旧が完了致しました♪
さてさて☆
この前、偶然発見した『大一食堂』で遅めの昼食を食べ終わった後、すぐ向かいにある公園に行ってきましたヽ(^。^)ノ
以前、ネットで調べ物をしていた際に、偶然見つけたサイトによると、この公園内に『戦跡』があるらしいんです。
沖縄県那覇市田原にある《田原公園》内の
『カテーラムイ(寿山)旧海軍壕』
『カテーラムイ旧海軍壕』がある『田原公園』 |
ホントは、こちらに行くことが目的で、到着した際に『大一食堂』をたまたま発見したんですよ(笑)
んで、昼食がまだだったので、食べてから見学しよぉってことになったんです(^艸^)♪
ハラが減っては戦はできませんからネwww
公園内の様子☆ |
現存する壕の出入り口は、全部で4ヵ所。
公園の中央裏手側に位置してる丘の東側へ歩いていくと、すぐさま旧海軍壕の出入り口を2ヶ所発見致しました。
手前側と左奥に壕入口が見えます。(東側) |
1944年の8月~12月にかけて、地元住民も動員され、突貫工事で完成に至ったとの事。
2つの壕入口が写ってる写真の左奥の壕入口と中の様子(東側) |
戦時中、小録・豊見城一帯は、海軍少将太田實(おおたみのる)司令官の指揮の下、連合陸戦部隊が編成され、多くの陣地壕が建造されたんだそぉです。
2つの壕入口が写ってる写真の手前側の壕入口(東側) 右側天井付近に、当時使用されていたと思われる電球がぶら下がっていました。 |
壕内には、最大で約1000人余りの将兵や住民がいたみたいですよ。。。
遊歩道途中にある壕入口(北側) 撮影してた時に、野良ネコさんが当たり前のように壕内へ入って行きましたw |
また、その先は深く落とし穴のように掘られていて、その上側の一部を開口して人が出入りできるようにしてあるんだとか。。。
道路側にある壕入口(北西側) |
作戦室から各部屋への連絡は、電話が通じていたため、良好な状態だったようですが、照明には苦労していたみたいです。
カテーラムイの頂上 |
そして、本壕への攻撃方法は、『馬乗り攻撃』と言って、頂上から壕まで穴を掘り、壕内部に達した時点で、ガソリンを流し込んで火を放つというもの。。。
また、各入口からも火炎放射攻撃を受けたみたいですが、曲がりくねった通路のお陰で、奥の方までは火が届かなかったそぉです。
案内板にあった壕内部の写真の拡大① |
壕内の至るところに火炎放射の跡が、今でも残ってるみたいですよ。。。
案内板にあった壕内部の写真の拡大② |
戦後、このカテーラムイ一帯は米軍の管理下にあったみたいですが、返還後にマンションの建設計画があったようです。
・・・が、当時の関係者らが、遺骨の発掘とカテーラムイ一帯の公園化を陳情したため、その計画は中止となり、現在の公園が整備され、壕も保存されることとなりました。
頂上から東側を臨む |
この『カテーラムイ旧海軍壕』も、戦争の悲惨さを後世に伝えていくための貴重な『戦跡』ですので、豊見城市にある『旧海軍司令部壕』のように、ちゃんと補修・整備して保存していってほしいものですね。。。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『カテーラムイ(寿山)旧海軍壕』☆
☆場所:〒901-0156
沖縄県那覇市田原3丁目(田原公園内)
☆時間:自由見学
☆入場料無料
☆駐車場無し
☆トイレ無し