読谷村伊良皆のサシチムイにある第一尚氏王統・第二代目中山王の墓☆|沖縄放浪日記

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2017年4月26日水曜日

読谷村伊良皆のサシチムイにある第一尚氏王統・第二代目中山王の墓☆

ハイサぁ~イ☆

この前の日曜日は、読谷村伊良皆にあるサシチムイ(佐敷森)と呼ばれる森へ行ってきました。

こちらの森の中には、琉球王国第一尚氏王統・第二代目中山王が葬られている墓があるんだそうで、以前から一度訪れてみたかった場所の1つなんですよ。

沖縄県中頭郡読谷村伊良皆にある

『尚巴志王の墓』

尚巴志王之墓の写真
小道入口に建立されている『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑。
こちらはまず、読谷村の国道58号線と県道6号線がぶつかる『伊良皆』の交差点から、国道58号線を同村喜名向けに約110mほど進み、右側にある脇道へと入ります。

脇道を入って約120mほど進むと左側に脇道がありますので、そちらへ左折し、道なりに約850mほど進んでいくと、左側に森に覆われた丘がありますので、御墓はその森の奥にあります。
尚巴志王之墓の写真
『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑が建立された御墓への入口。
御墓へは、車で向かうことは出来ませんので、御墓へ続く小道の入口向かい側にある車3台ほどが駐車できる空きスペースに車を停め、徒歩で向かいます。

駐車スペースの道向かい側に、草刈り清掃された斜面があるのですが、『尚巴志王之墓』へ直接向かう場合は、車で入ってきた道を約十数メートルほど戻ると、道沿い右側に『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑が建立された入口がありますので、そこから入って下さい。
尚巴志王之墓の写真
『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑。
入口を入り、石碑を横切って、森の奥へと向かいます。

約100mほど歩いていくと、前方に石柱が見えてきて、右側の岩壁中腹に、コンクリートブロックで造られた『尚巴志王之墓』が見えます。
尚巴志王之墓の写真
入口を入ってしばらく歩いてきた道の途中。この先に『尚巴志王之墓』があります。
尚巴志王之墓の写真
『尚巴志王之墓』の前まで来たところ。右側の小道が入って来た小道です。
御墓手前にある一番大きな石柱には、≪第一尚氏王統 第二代尚巴志王 第三代尚忠王 第四代尚志達王 陵墓≫と刻まれていました。

どうやら、こちらの御墓に葬られているのは、第二代『尚巴志王』だけではなく、第三代『尚忠王』、第四代『尚志達王』も葬られているようです。

第三代『尚忠王』は『尚巴志王』の次男で、第四代『尚志達王』は『尚忠王』の子で、『尚巴志王』の孫にあたります。
尚巴志王之墓の写真
御墓の前には、宮城島の『東江門中』と佐敷村字佐敷の『みひち門中』の参拝記念碑も建立されています。
尚巴志王之墓の写真
『第一尚氏王統 第二代尚巴志王 第三代尚忠王 第四代尚志達王 陵墓』と記された石碑
なぜ、第一尚氏王統の3人の王がこちらに葬られているのかとゆーと・・・

『尚巴志』は、当時の中山王であった『武寧』を討伐し、その後、北山も討伐して、父親である苗代大親(なーしるうふやー)こと『尚思紹』を中山王に即位させます。

そして、『尚思紹王』が薨去(こうきょ)した翌年、『尚巴志』が中山王に即位します。

第二国王となった後、南山王であった『他魯毎(たるみぃ)』を滅ぼし、琉球王国第一尚志王統を成立させました。
尚巴志王之墓の写真
古い石段を上がっていくと『尚巴志王之墓』の前に行くことができます。
尚巴志王之墓の写真
『尚巴志王之墓』
第一尚志王統は、7代にわたり63年間続いたのですが、第7代『尚徳王』が薨去(こうきょ)した後に、重臣であった『金丸』らによるクーデターが行われ、『金丸』が第二尚志王統の初代国王『尚円王』となります。

当初、『尚巴志』らの墓は、『首里城』近くにあったみたいなんですが、『金丸』こと『尚円王』は、『尚巴志』らが葬られているその墓を破壊しようとしたんだそうです。

その事を聞き付けた旧臣の『平田子(ひらたしー)』『屋比久子(やびくしー)』は、破壊される前に墓から『尚巴志』らの遺骨を持ち出し、現在の場所に葬ったんだそうです。
尚巴志王之墓の写真
墓口の扉には3人の王の名が刻まれており、手前に香炉が1基置かれていました。
『尚巴志』らの遺骨を持ち出した『平田子』と『屋比久子』の御墓も、この近くにあります。

『尚巴志王之墓』のある場所から、入ってきた道を戻っていくと、小道の入口手前左側に丘の上へと続く小道があります。

その小道に入り、しばらく進んで行くと、左側の岩壁の窪んだ場所に『屋比久子』の御墓があります。
屋比久子之墓の写真
屋比久子之墓
屋比久子之墓の写真
こちらにも香炉が1基置かれていました。
そして、『屋比久子之墓』を通過して、さらに進んでいくと、草木が伐採された開けた斜面に出るんですが、そこからさらに左上に上がると『平田子之墓』があります。
平田子之墓の写真
奥に見えるのが『平田子之墓』。こちらにも『宮城島 東江門中参拝記念碑』がありました。
平田子之墓の写真
平田子之墓
こちらには、『平田子』の系図らしき石板も設置されていましたね。
平田子之墓の写真
『平田子』の系図(?)
また、この森の一帯には、『尚巴志王之墓』や『平田子之墓』・『屋比久子之墓』の他にも、古墓が点在しています。
尚巴志王之墓の写真
『尚巴志王之墓』の近くにあった3基の古墓
平田子之墓の隣にあった古墓の写真
『平田子之墓』のすぐ隣にあった古墓
屋比久子之墓の隣にあった古墓の写真
『屋比久子之墓』の隣にあった古墓
冒頭でもお話しましたが、この一帯の森は『サシチムイ』と呼ばれているんだそうで、かつては伊良皆の旧集落があった場所なんだそうです。

『サシチムイ(佐敷森)』と呼ばれる由来については定かではないようですが、『尚巴志』の出身地である『佐敷』(現在の南城市佐敷)にちなんで名づけられたものだと思われるんだそうです。

この『尚巴志王之墓』がある『サシチムイ』一帯には、集落であった跡である『カー(井泉)』跡や拝所が点在しています。

この一帯に、どのくらいの数の『カー(井泉)』や拝所が点在しているのかは不明なんですが、その内のいくつかは足を運んできましたので、そのカー跡や拝所については、また別の回にご紹介しましょうね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『尚巴志王の墓』

☆場所:〒904-0303
      沖縄県中頭郡読谷村伊良皆

☆見 学:無料

☆駐車場:無し