前々回まで読谷村喜名にあるいくつかの史跡をご紹介させて頂きましたが、今回は再び八重瀬町にある『西部プラザ公園』内にある史跡をご紹介させて頂きたいと思います。
以前、『西部プラザ公園』内にある『テミグラグスク(テミグラの杜)』や『金満の杜(フサトモー・クワギブク嶽』等をご紹介してきましたが、同公園内にはあと1ヵ所、"杜"があるんですよ。
この"杜"にも、いくつかの拝所や古墓などが点在しているんですが、公園内に建立されている石碑の説明によると、こちらは志多伯集落の"クサティムイ(腰当森)"となっているようですね。
※今回も少し長くなりますが、ご了承下さいませ。。。
沖縄県島尻郡八重瀬町志多伯の『西部プラザ公園』内にある
『赤石の杜』☆
『赤石の杜』のウマチーロード沿いにある『国元ヌアジシー』の墓。 |
『西部プラザ公園』内に設置されている案内図によると、こちらは東門となっているようです。
志多伯集落の北側にある東門前から見た『赤石の杜』。 |
その2ヵ所の拝所を通過して東門へ足を進めていくと、丘の中腹辺りに立派な石碑が建立されていました。
神谷夏吉翁畜産功労碑。 |
『神谷夏吉翁畜産功労碑』の前面。 |
『神谷夏吉』氏は、1869年(明治2年)に東風平尊志多伯に屋号神谷の四男として生れたんだそうです。
そして、沖縄県師範学校を卒業した後、東風平村の初代村長に就任し、24年間村政を担当したのだそうですよ。
村長に在任中、1913年(大正2年)には県会議員に当選し、大正6年にも再選されたのだそうです。
『神谷夏吉翁畜産功労碑』の裏面。沖縄戦の際にできた弾痕が残されています。 |
それだけに留まらず、氏は1938年(昭和13年)に農林大臣より馬事振興功労賞、翌年の昭和14年には高松宮宣仁親王殿下より「銀製花瓶壱箇」を下賜され、さらに昭和18年には監受褒賞を受賞されたんだそうです!
氏の活動と多大な功績を讃え、島尻郡畜産組合では1941年(昭和16年)に畜産功労碑を建立したのだそうです。
『神谷夏吉翁畜産功労碑』の台座部分。文字が擦れて判読出来ませんでした。。。(泣) |
石碑の裏面には、沖縄戦の際にできた弾痕が残されていましたよぉ~。。。
この『神谷夏吉翁畜産功労碑』を見学した後、東門から『赤石の杜』へ上ろうとすると、東門の近くに小さな説明板が立てられた階段を発見しました。
『地頭之殿』の入口。 |
んで、説明によると・・・≪当銘を治めていた地頭が住居を構えていたことから、村の人たちは地頭之殿とよんでおり拝所となっている。ウマチーでは稲穂をお供えし、上ヌ西神谷(ウイヌイリガナ)からタバコ盆を借りて休憩所として利用している。≫とありました。
階段の先にあった『地頭之殿(ジトウノトン)』の拝所。 |
こちらを見学させて頂いた後は、すぐに引き返し、東門から『赤石の杜』へと入っていきました。
東門から『赤石の杜』に入って来たところ。 |
ほんで、その説明板へ近づいて、記されていた説明を読んでみると・・・
『ウマチーロード』沿いに立てられていた『高岩』と『国元ヌアジシー』の説明板。 |
『高岩(タカシー)』のお墓がある場所の入口。 |
岩の根元にあった『玉城世』と『高岩(タカシー)』(右)のお墓。 |
そして、『玉城世』と『高岩』の御墓の向かいに森の中へと続く階段があり、その先に獣道があったので、今度はそちらへ進んでみることにしました。
『玉城世』と『高岩』の向かい側にあった獣道。 |
獣道沿いにあった『高御墓』。 |
獣道は、この『高御墓』の前からさらに奥へと続いていたので、そちらへ歩を進めました。
獣道の先にあった『金クン・ウ御墓』と記された石柱の立つ崖葬墓。 |
崖葬墓の前には1基の香炉が置かれており、その横には『金クン・ウ御墓』と記された石柱が立てられていました。
こちらもまた説明には記されていなかったため、どのような人物が葬られているのかなどの詳細は、残念ながら不明です。。。
獣道の突き当りには、こちらの崖葬墓しかないようでしたので、獣道を引き返してウマチーロードに戻り、ウマチーロードをさらに北向けに進むことにしました。
ウマチーロード上から見た『国元ヌアジシー』の御墓。 |
その御墓の前には2基の香炉と1本の石柱が立てられていたので、ちょこっと近づいてみると・・・石柱には『国元ヌアジシ』と記されていました。
岩の根元にあった『国元ヌアジシー』の御墓。 |
この『国元ヌアジシー』の御墓を後にし、ウマチーロードをさらに進んでいくと、少し開けた場所に差し掛かり、その東側に森の中へ入ることの出来る入口がありました。
ウマチーロードの少し開けた場所にあった森の入口。 |
ウマチーロードから階段を下りてきたところ。獣道は上ってるように見えますが、実は下ってます(笑)。 |
獣道の先にあった崖葬墓跡らしき石積み。 |
また、周辺には、この遺構以外に"拝所"や"古墓"などの史跡は見当たらなかったため、獣道を引き返して、さらに北へ進むことにしました。
開けた場所からウマチーロードを北向けに見たところ。 |
『赤石の杜』から見た『テミグラグスク(テミグラの杜)』(左)と『フサトモー(金満の杜)』。 |
ウマチーロード沿いにあった休憩所。 |
ウマチーロード沿いにあった階段。この先は草木が繁茂していて進入出来ませんでした(泣)。 |
階段の先の様子。草木が繁茂していてこれ以上進めませんでした。。。 |
もう一方の階段の先にあった遊歩道。 |
『フサトモー(金満の杜)』側にある階段上から見た『赤石の杜』。 |
字当銘に伝わる『東風平間切り各村めぐり歌』が記された歌碑。 |
また、歌碑の左隣には<歌碑の説明>が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・
<歌碑の説明>
≪この歌碑は、字当銘に残る先人から伝わる「東風平間切り各村めぐり歌」の中の志多伯・当銘・小城を詠んだ歌詞である。 歌詞の内容は、いずれもクサティムィの特徴から表現されている。歌碑の左隣に設置されていた<歌碑の説明>。 |
●うたきくさとる・・・当銘の御嶽は、琉球国王・舜天との関係も深く、琉球国由来記に「当銘ノ嶽神名ソントンノ御イベ」とあり、その御嶽は背後地の「テミグラの杜」というクサティに抱かれている。
●にせがすなわい・・・小城のクワギフクの御嶽は、獅子を形どった「ニンセー石」の史跡があり、字民の五穀豊穣・無病息災・子孫繁栄の祈願の拝所である。特に昔から男子出生との関わりが伝えられている。≫
・・・とありました。
この歌碑まで見学した後は、ウマチーロードを引き返してクルマへと戻り、次は小城集落や志多伯集落内に点在する"拝所"は"拝井泉"などの史跡を見学しに向かいました。
歌碑の前から見た八重瀬岳。 |
それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『赤石の杜(西部プラザ公園)』☆
☆場所:〒901ー0413
沖縄県島尻郡八重瀬町志多伯(西部プラザ公園内)
☆見 学:無料
☆駐車場:あり(西部プラザ公園駐車場)
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。