前々回、浦添市沢岻の『中の殿』と『金満御嶽』を見学した後、『金満御嶽』から区内を東向けに行った場所にある拝所へと向かいました。
こちらは、かつては沢岻区内に点在していた各拝所が、宅地造成によって一ヵ所に合祀された拝所なんだそうです。
沖縄県浦添市沢岻にある
『沢岻拝所』
立派な祠の中に7基の拝所が合祀されており、その後方の塀にも8基の拝所が合祀されていました。 |
合祀された『沢岻拝所』の入口には大きな鳥居が建てられています。 |
拝所がある丘の上まで続く階段。 |
ワタクシが訪れた時は、鳥居や階段の周辺は雑草が生い茂っていたんですが、定期的に清掃しているようで、思ってたよりも綺麗でとても見学しやすかったですね。
んで、階段を上がっていくと、階段の終点の両側には灯籠が立てられていました。
階段の途中から見た拝所。両側に灯籠が立てられていました。 |
んで、階段を上りきると、立派な祠が建立されており、その中に7基の拝所が祀られています。
沢岻拝所 |
『根所』以外の左側6基の拝所は、どうやら『御嶽』となっているようです。
『御嶽』とは、琉球の神話の神が存在、或いは来訪する場所となっており、また祖先神を祀る場所でもあります。(Wikipedia『御嶽(沖縄)』のページより一部引用)
また、『根所』は、『ニードゥクル』と呼ばれ、村落内で守護神となる氏祖が祀られた御嶽を中心に形成された際、その最も近い代弁者が住んでいる家のことを指しており、かつてその家があったことを示す拝所のことなんだそうです。(Wikipedia『琉球神道』のページより一部引用)
左から『火水の守』・『西之お嶽』・『中之お嶽』 |
『公芳お嶽』・『金満お嶽』・『東之お嶽』 |
6基の拝所と少し離れて『根所』の拝所が霊石と共に祀られていました。 |
『沢岻拝所』の祠の後方にあった8基の拝所。 |
『殿(トゥン)』とは、御嶽の祭祀を行う場所のことを指しており、また、『ガー(若しくは『カー』)』や『ヒージャー』は湧水を利用した集落の共同井泉のことを指してます。
『沢岻拝所』の祠の前から西側を見たところ。 木々の向こうに『慰霊之碑』が見えました。 |
んで、そちらへ行ってみると、字沢岻の戦没者慰霊之碑でした。
慰霊之碑 |
慰霊之碑 |
≪永久(トワ)に平和求(モト)めて 沢岻の人(シマンチュ)は 安らかに眠れとぞ祈る 故郷(サト)の高嶺(タカネ)に
仁儀≫
・・・と記されていました。鎮魂の詩 |
≪ここはふるさと 沢岻の丘 静かに安らかに 眠ってください
私たちは二度と あの残酷な戦争を 起こさないように 子や孫たちに 平和の尊さを 語り伝えます
平和を守ることを誓います
供養になると信じ 三四五柱の御芳名を刻銘し ご冥福を祈ります
建立期成会一同≫
・・・とありました。『慰霊之碑』の碑文 |
字沢岻戦没者御芳名 |
・・・と、ここまで見学した後で、クルマへ戻りました。
この浦添市沢岻一帯には、拝所やヒージャー(井泉)、古墓などの史跡が、まだ数か所ありますので、またそちらも少しずつご紹介できればと思います。
『慰霊之碑』がある場所から『沢岻拝所』側を見たところ。 |
☆『沢岻拝所』・『慰霊之碑』☆
☆場所:〒901-2112
沖縄県浦添市沢岻1丁目33
☆見 学:無料
☆駐車場:無し