今月(10月)の10日は、午後から久しぶりに北中城村の史跡を見学しに行ってきました。
今回足を運んだのは、北中城村の字荻道・字大城の両集落で、2つのグスク跡をはじめ、井泉や拝所などが点在しているんですが、まず最初にご紹介するのは、両集落の北側にある丘陵上に位置する2つのグスク跡の内の1つです。
沖縄県中頭郡北中城村大城にある
『大城グスク(うふぐしくぐすく)』☆
グスク域の主郭北側にある『大城御嶽』(右側)と三角錐状の琉球石灰岩の岩(写真中央)。 |
県道146号線から見た『大城グスク』へと続く道の入口。その左側には『チブガー庭苑』があります。 |
『チブガー庭苑』横の道路から『大城グスク』側を見たところ。 |
『チブガー庭苑』後方の道路を上がって来たところ。前方の森がグスク域となっています。 |
この森は、地元では「上の杜」と称されているらしく、標高150m~165mの丘陵上に位置しており、最後部は北中城村内で一番高い場所となるんだそうですよ。
(※参考⇒北中城観光ポータルサイト KITAPO『大城グスク(うふぐしくぐすく)』)
グスク域の入口。 |
グスク域内に立つ木の根元にあった石積み。 |
この日は猛威を振るった台風25号が通過してまだ数日くらいしか経っておらず、森の至る所に折れた木の枝や落葉などが散乱してました。。。
グスク域内にあった琉球石灰岩の奇岩。 |
石垣の上に、暴風で倒されてしまったであろう木。 |
主郭へと続く獣道上にも倒されてしまった木々がありました。 |
獣道の先にあったグスクの主郭と思われる小さな広場。 |
北中城観光ポータルサイト『KITAPO』内の『大城グスク(うふぐしくぐすく)』のページを読んでみると、グスク域内には『大城御嶽』という拝所があるとのことですが、どうやらこちらがその『大城御嶽』となっているようですね。
主郭の北側。右手前にある石灰岩の根元に数基の香炉が置かれていました。 |
Googleearthで作成された北中城村の資料『北中城村の遺跡・文化財(暫定)』を見てみると、グスク域内に『旧日本軍機関銃座跡』と記されており、沖縄戦の際、こちらには旧日本軍の部隊が配備されていたようですね。
根元に数基の香炉が置かれた拝所。こちらが『大城御嶽』と思われます。 |
岩の根元に置かれていた古い数基の香炉。 |
(※参考⇒Wikipedia『越来賢雄』(鬼大城・大城賢雄))
『大城御嶽』の左後方にある三角錐状の一際大きい琉球石灰岩。 |
大きな石灰岩の根元にあった祭壇のような場所。 |
ちょ~っと分かりにくいですがw、『大城御嶽』の向かい側にあった2つの獣道。 |
んで、もう一方の右奥へと伸びる獣道は、比較的歩きやすそうだったんで、こちらの先へ行ってみることにしました。
獣道の途中にあった石灰岩の穴に納められていた古い厨子のような人工物。 |
自然に出来た石灰岩の穴に納められていた古い厨子のようなもの。 |
この厨子のようなものが納められた場所まで見学した後は、引き返して一旦グスク域を出ました。
グスク域の北東側。むき出しの石灰岩が点在していましたが、こちら側には"拝所"などはありませんでした。 |
北東側は石灰岩がむき出しになっていて、こちらからも先程の主郭へ向かうことが出来そうではあったんですが、道の途中、草木が生い茂っていて、それ以上進むことが出来なくなっていました。
『大城グスク』の北東側から沖縄市方面を見たところ。 |
沖縄市泡瀬~勝連半島方面。眼下に見えるのは『大西テェラスゴルフ』です。 |
北中城観光ポータルサイト『KITAPO』の『大城グスク(うふぐしくぐすく)』のページによると、『大城グスク』は天孫氏最後の王『英祖王』の第三子『中城王子』が住んでいたとの言い伝えがあるそうなんですが、護佐丸の弟『安里大親』が居城していたという言い伝えや、『台グスク』の城主であった護佐丸の兄『伊寿留按司』の居住跡であったという言い伝えも残されているんだそうですよ。
・・・と、今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介しますね。
それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
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☆『大城グスク(うふぐしくぐすく)』☆
☆場所:〒901ー2314
沖縄県中頭郡北中城村大城
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。