前々回、南城市玉城富里にある『主留前殿内』を見学した後、今度は富里集落内に点在する史跡を見学しに向かいました。
昨年も、この富里集落内に点在する史跡をご紹介したことがあるんですが、後日、いろいろ調べてみると、その時ご紹介した史跡の他にもいくつかの拝所や井泉などがあることが分かったんですよ。
※過去に富里集落内に点在する史跡をご紹介したブログ記事は、こちらからどうぞ⇒https://oki-night.blogspot.com/2017/09/blog-post_4.html
んで、今回『仲栄真グスク』や『主留前殿内』を見学しに訪れた際に、ついでにその見落としていた残りの史跡も見学しよぉ~ってことにしたわけなんです。
沖縄県南城市玉城富里にある
『世礼井や掟の殿などの史跡』☆
富里集落の北東に位置する『仲栄真グスク』の城壁の石が使われたといわれる『ウザファビラ』の石畳道。 |
すると、この小道の途中右側の少し低くなった場所に"井泉"がありました。
富里集落の『根屋』の前から集落へと伸びる小道。 |
『根屋』の前の小道沿いにある『世礼井』。 |
立てられていた『世礼井(しりーがー)』と記された標柱。 |
小道から見た『世礼井』の全景。 |
小道から水が溜められている貯水槽の前へ下りていくと、その貯水槽の左横に古い石柱が立てられていました。
『世礼井(しりーがー)』の貯水槽。水が溜められてはいましたが、少し濁っていましたね。。。 |
「大正七年八月」と記された『世礼井』の石柱。 |
『世礼井』の綺麗な石垣。 |
んで、その小さな方形の穴には香炉のような石が1基置かれており、もしかすると、拝みを行う際は、下と上の2ヵ所を拝むのかもしれませんね。。。
※あくまでワタクシ個人の憶測なので、定かではありませんよwww
集落側から『主留前殿内』側を見たところ。左側に『世礼井』の石垣が見えます。 |
南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』に掲載されている富里集落の分布図よると、この近くには『仲栄真井』と称される井泉があるんだとか。。。
『世礼井』から集落に出てきたところにあった大きな岩。 |
その『仲栄真井』という井泉があると分布図で示されている場所には、標柱や案内板ではなく、大きな岩がそびえ立っており、その根元付近に水たまりがありました。
岩の根元にあった水たまり。たぶんここの付近が『仲栄真井』と思われます。。。 |
しかし、その水たまりの周辺を見渡してみると、岩の根元に香炉のようなものがあり、線香か何かを焚いたような跡を発見したんですよ。。。
岩の根元にあった香炉のような石。何かを焚いたような跡がありました。 |
・・・が、集落の人に伺おうにも、この時辺りには人が全く見当たらず、結局確かめることは出来なかったため、詳細は不明です。。。(泣)
※確かめることが出来なかったので、もし間違っていたら、すいません🙇🙇🙇
この『仲栄真井』(?)まで見学した後は、一旦クルマに戻り、今度は集落の中心へと向かいました。
『掟の殿(うっちのとぅん)』。 |
んで、クルマから降りてその標柱に近寄ってみると、『掟の殿(うっちのとぅん)』と記されていおり、その右後方にはコンクリートブロックでコの字に囲われた1基の香炉が置かれた"拝所"がありました。
『掟の殿』の拝所。 |
この『掟の殿』を後にし、集落内へ移動します。
民家の敷地内と思われる場所にあった『佐慶田井』。 |
南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』の分布図によると、この近くに『佐慶田井』という井泉があるとのこと。。。
クルマを降りて、その分布図が示す場所の近くに行ってみると・・・民家の敷地奥にそれらしき遺構を発見‼
道路上から望遠レンズを使用して撮影した『佐慶田井』。 |
南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』の分布図でも、民家と民家の間に印が付けられていたので、こちらがその『佐慶田井』に間違いないかと思われます。
※とは言っても、あくまでワタクシ個人の憶測なので定かではありませんよ。。。
この『佐慶田井』を見学した後、クルマに乗り込み、集落北東側の傾斜地へと向かいました。
富里集落の北東側に位置する『ウザファビラ』の入口。 |
『ウザファビラ』へは、集落北東の道路から階段が伸びており、そこを上がると、上の方まで石段が伸びています。
道路から階段を上がってきたところ。ここからしばらく石段が続きます。 |
※『百十踏揚の墓』をご紹介した過去のブログ記事はこちらからどうぞ⇒https://oki-night.blogspot.com/2017/09/blog-post_2.html
『ウザファビラ』から『百十踏揚の墓』・『三津葉多武喜の墓』へ続く小道。 |
石段の途中。定期的に草刈りが行われているようで、思いのほか歩きやすかったですね。 |
んで、この石段を上がっていくと、石段が右へL字にカーブした地点に差し掛かるんですが、そこを通過すると今度は石畳道が現れました。
石段の先にある石畳道。 |
石畳道の先にあった階段。 |
階段は手前側と奥側に2ヵ所設けられており、その途中の踊り場っぽい場所からは、南城市の海や集落、そして八重瀬町の方まで一望することができ、とても見晴らしが良かったですね。
『ウザファビラ』の途中から見た南城市の海。 |
眼下には富里集落が見え、遠くの方には八重瀬町の『八重瀬岳』まで一望出来ました。 |
『ウザファビラ』の先にあった展望台と思われる場所。 |
『ウザファビラ』の展望台から見た景色。先程よりも海側はあまり見えませんでした。。。 |
先程よりも、より一層遠く・広く見えて、とーっても綺麗でしたよん。 |
遊歩道の先にあった車止め。 |
反対側から見ると、シーサーの形になってました(笑)。 |
遊歩道の二手に分かれた分岐点。この先は、どちらの遊歩道も『なんじー公園(グスクロード公園)』に出ます。 |
・・・なので、この場所から遊歩道を引き返し、『ウザファビラ』へと戻りました。
『ウザファビラ』の石段の途中にあった獣道。 |
しかも、この獣道も綺麗に草刈りされて歩きやすくなっていたので、最後にその奥へ行ってみることにしました。
獣道沿いにあった石垣。 |
石垣は、それほど高く積まれてはなかったので、グスクなどの城壁や家屋の塀って感じではなかったですね。
獣道の先にあった拝所。 |
石段の先にあった拝所。中央の窪んだ所に1基の香炉が置かれていました。 |
※あくまで憶測ですが。。。
さらにこの石積みの左側や左後方には、先程の石垣と似たような石垣があり、屋敷跡のようにも思えましたが、もしかすると、ここは昔の『ウザファビラ』なのかな・・・とも思えました。
"拝所"の右側。石積みが崩れかかってました。 |
・・・と、ここまで見学した後は、来た道を引き返してクルマへと戻り、今度は富里集落の南西側に位置する當山集落に点在する史跡を見学しに向かいました。
今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。
それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆
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☆『富里集落内に点在する史跡』☆
沖縄県南城市玉城富里
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。