この間まで、八重瀬町の小城・当銘・志多伯の3集落にある史跡や『西部プラザ公園』内にある3つの杜などをご紹介してきましたが、先週から今週にかけて、久しぶりに南城市内にある史跡をいくつか見学してきたので、今度はそれらをご紹介したいと思います。
まず最初にご紹介するのは、南城市玉城富里にある公園なんですが、この場所にはかつての琉球王府の役場である"間切番所"があったんだそうです。。。
沖縄県南城市玉城富里にある
『番所公園』☆
『番所公園』内にある『仲村渠樋川』を模して造られた『番所ヌカー』。 |
県道48号線の旧道(南城市 農業委員会事務局前)の道路と競技場へ向かう道路の角にある『番所公園』。 |
歩道から『番所公園』を見たところ。奥の方に建造物がチラッと見えます。 |
公園の正面入口と思われる場所へ向かうと、表の道からその建造物へと伸びる公園の小道入口には、2頭のシーサー(石獅子)が設けられていました。
『番所公園』の入口。 |
小道を入って公園内を見たところ。 |
『番所公園』と記された石碑。 |
石碑の後方にある『番所公園』の井泉。 |
この『番所公園』には、今回初めて訪れたはずなんですが、この井泉の形にスゴーく見覚えがあるんですよ。。。
番所公園内にある『仲村渠樋川』を模して造られた『番所ヌカー』。 |
(※参考⇒南城市 資料『第3章 対象施設周辺の状況』)
そして、このどこかで見覚えのある形の井泉は、南城市玉城仲村渠にある『仲村渠樋川』(国指定重要文化財)を模して造ったんだそうです。
どうりで見覚えがあると思ったんですよねぇ~(笑)
井泉の手前側に小さな石板が設置されていたんですが、そこには≪この水は以前簡易水道に使用していた湧水を利用しています≫・・・とだけ記されていました。
井泉の前に設置されていた小さな石板。 |
樋口から貯水槽に勢いよく流れ出る湧水。 |
『番所ヌカー』の右側。草木が生い茂っててこちらにも湧水が溜められているのかは分かりませんでした。 |
碑文は、文字が擦れてしまってて判読出来ませんでしたが、石碑の名称だけはなんとか判読できました。
『歴史と文化観光の道整備事業』と記された石碑。 |
そして、先述した『番所公園』と記された石碑の前から公園内に再び目をやると、前の道と平行して流れる公園内の小川の途中に、ポツンと小さな石柱が立てられているのを見つけたので、今度はそちらへ行ってみると・・・
公園内を流れる小川沿いにあった『玉城小学校発祥之地碑』 |
正面から見た『玉城小学校発祥之地碑』。 |
どうやら玉城間切番所内で玉城小学校が開校されたようですね。
この『玉城小学校発祥之地碑』を見た後、再度、公園内を散策しましたが、石碑や拝所などの史跡は見当たらなかったので、2頭のシーサーがある出入口から公園を出ました。
植木の根元に置かれていた『玉城村道路元標』。 |
こちらの前の歩道には、かつて道に設置されていた『玉城村道路元標』があるとのこと。。。
しかし、事務局前の歩道に着いても、それらしきものがない‼‼
事務局と『番所公園』の間に設けられている休憩所っぽい場所をくまなく探してもない‼‼
再び歩道に戻ると、元標が立てられていたであろう台座らしきものを発見‼‼
台座から折れてしまい、木の根元にそのまま放置されていた『玉城村道路元標』。。。 |
そりゃ~分かんないよぉ~(泣)
たぶん、この方形の石が『玉城村道路元標』だと思われます。。。
せっかく残された史跡なのに、壊れた状態での放置はちょっと残念でしたね。。。(泣)
スゴーく残念な気持ちになり、元標を起こしてあげたかったんですが、なんせ"史跡"なので、個人的に触るわけにもいかず、そのまま元標を後にしました。。。(泣)
『南城市陸上競技場』へ続く道路側から見た『番所公園』。 |
南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』にある拝所や井泉などの分布図によると、この道沿いに『門井』という井泉があると記されていたんですよ。
『番所公園』から陸上競技場向けに『門井』があるとされる場所を見たところ。 |
・・・と、ここまで『番所公園』や『玉城村道路元標』などを見学し終えた後は、そのままクルマへと乗り込み、次の目的地へと向かいました。
区切りが良いので、今回はここまでにして、この続きは、また別の回にご紹介したいと思いまーす。
それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『番所公園』☆
☆場所:〒901ー1400
沖縄県南城市玉城富里
☆見 学:無料
☆駐車場:なし
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。