前々回、読谷村喜名の『観音堂公園』内に建立されている『喜名観音堂』と『土帝君』をご紹介しましたが、そちらを見学した後次に向かったのは、『観音堂公園』の東側に位置する"古窯跡"を見学しに向かいました。
沖縄県中頭郡読谷村喜名にある
『喜名古窯跡』☆
喜名集落の閑静な住宅街にある『喜名古窯跡』。 |
そしてそこから約50mほど進むと右側に白い敷石が敷かれた小道があるんですが、その奥にあります。
正面から見た『喜名古窯跡』。 |
『喜名古窯跡』に続く小道入口に説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに。。。
≪喜名焼・喜名古窯≫
≪喜名古窯は知花窯、湧田窯、宝口窯、古我地窯、壺屋窯などと並ぶ沖縄の代表的な古窯で、壺、甕、厨子甕、鉢などの様々な種類の器が伝わっています。1250~1280度の高温で焼かれ、固く焼き締まっているのが特徴です。
『喜名古窯跡』の入口に立てられていた説明板。 |
現在、「康熙九年」(1670年)の銘書きのある喜名焼厨子甕が見つかっています。
説明板に記されていた『喜名焼・喜名古窯』の説明。 |
これまで窯は不明でしたが、ついに2003年に発見されました。
[世界遺産(座喜味城跡)周辺整備事業 読谷村建設経済部商工観光課 2006年2月制作]≫
・・・とありました。
説明板に掲示されていた『沖縄の古窯分布図』。 |
≪窯跡の発掘調査≫
≪2003年の発掘調査で見つかった窯は3基で、いずれも焚き口を南西にして北東方向に伸びる形をしています。1号窯はアーチ状の天井が良い状態で残っていますが、内部には陶片が蜜に詰められており、すでに廃棄された状態であることがわかります。サイズは床の間口が約1.6メートル、床から天井までの高さが約1.1メートルで、断面は半円形をしています。
説明板に記されていた『窯跡の発掘調査』の説明。 |
間口は約1.1メートルで、堆積した地層から1号窯より古いことがわかります。
窯と物原の位置を示した図。 |
また、窯の両壁では厚さ5センチもある塼(せん)が棚状に積まれています。
ちょ~っと見づらいですが、説明板に掲載されていた発掘調査の際に撮影された写真。 |
床の間口は約1.8メートルで、1号窯と同様なアーチ状の天井があったと見られます。物原(失敗作を捨てる場所)が3基の窯を挟むように2ヵ所で見つかっていて、厚い箇所では1メートル近くになっています。≫
・・・とありました。
喜名焼・喜名古窯跡。 |
先程の「窯と物原位置」を示した図とGoogle earthを照らし合わせてみると、こちらの祠の内部に見える窯跡は1号窯と2号窯のようですね。
そして、3号窯がある場所は、先述した説明板が立てられている場所付近のようで、3号窯は消滅しているようです。
んで、失敗作を捨てる場所である「物原」は、『喜名古窯跡』前の道路と、後方の路地になるようですが、そちらも何も残ってはいませんでした。。。
『喜名焼・喜名古窯跡』の内部の様子。写真左側に陶片などが見えます。 |
また、奥の方には2号窯があるとのことですが、そちらは土で埋められてしまっているようで、あまりよく見えなかったですね。。。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、車に乗り込み次の目的地へと向かいました。
現地に設置されていた説明板によると、今回ご紹介したような"古窯跡"は、県内各地にあり、保存されている"窯跡"もあるようなので、時間を設けて他の"古窯跡"も見学しに行ってみたいものですね~。
今回は少し短いですが、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『喜名焼・喜名古窯跡』☆
☆場所:〒904ー0302
沖縄県中頭郡読谷村喜名
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。