琉球王朝第一尚氏の初代国王『尚思紹』こと『苗代大屋』の屋敷跡☆|沖縄放浪日記

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2018年2月15日木曜日

琉球王朝第一尚氏の初代国王『尚思紹』こと『苗代大屋』の屋敷跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前回のブログ記事でご紹介した南城市玉城志堅原にある『もずくそばの店 くんなとぅ』に行った翌日(8日)も南城市へ行ってきました。

この日は同市佐敷字佐敷にある三山を統一した『尚巴志』の父で、後の琉球王朝第一尚氏・初代国王となった『尚思紹』の屋敷跡です。

沖縄県南城市佐敷字佐敷にある

『苗代大屋の屋敷跡』

苗代大屋の屋敷跡の写真
佐敷集落後方にある森の中にひっそりと佇む『苗代大屋の屋敷跡』。
こちらは、まず南城市の国道331号線県道137号線がぶつかる『新里』の交差点から国道331号線を同市佐敷向けに進み、国道沿いにある『佐敷公民館』を過ぎて約150mほどの距離にある信号を右折し、二つ目の小さな十字路を左折します。
苗代大屋の屋敷跡の写真
『苗代大屋の屋敷跡』の入口。
そして、そこから約70mほど進んだところにある二つ目の十字路を右折すると、その正面突き当りにあります。

こちらには専用駐車場が無いため、路肩にクルマを停めさせてもらい、さっそく見学へと向かいました。
苗代大屋の屋敷跡の写真
『苗代大屋の屋敷跡』入口横に掲示されていた説明板。
入口横の壁面に簡単な説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに・・・

≪苗代大屋の屋敷跡≫
≪苗代大屋(後の尚思紹王)の屋敷跡。戦前は白木(槇)造り平屋の赤島瓦葺きであったが、第2次大戦で焼失し、戦後氏子のミヒチ=御引、仲里.アンザ.喜友名.場佐良門中の子孫が現在のコンクリートブロックに建てかえて拝んでいる。≫
・・・とありました。
苗代大屋の屋敷跡の写真
入口から森の中へと伸びる階段。
説明を読み終え、すぐさま屋敷跡へ向かいます。

森の中へと続く階段を上っていくと、突き当りが二手に分かれており、左側は未舗装の獣道、右側は比較的綺麗に整備された階段が続いていました。
苗代大屋の屋敷跡の写真
二手に分かれた分岐点から右側を見たところ。この奥に屋敷跡があります。
苗代大屋の屋敷跡の写真
分岐点から左側を見たところ。この先は行き止まりになっており、何もありませんでした。
屋敷跡を見学した後で、左側の獣道の先へ行ってみたんですが、行き止まりになっており、特に何もありませんでした。
苗代大屋の屋敷跡の写真
分岐点左側の道を進んできたところ。この先は道が無く、行き止まりとなっていました。
また、獣道から斜面上の方へも細い獣道があり、そちらへも行ってはみたんですが、残念ながら(?)、こちらにも何もありませんでした。

分岐点から右側の整備された階段を進んでいくと、左側の一段高くなった場所の奥に≪苗代大屋の屋敷跡』がありました。
苗代大屋の屋敷跡の写真
階段上から見た『苗代大屋の屋敷跡』。
苗代大屋の屋敷跡の写真
記念物(史跡) 苗代大比屋の屋敷跡。
敷地入口の壁に設置されていた説明にあったように、コンクリート製の神アシャギが建てられており、その手前に『記念物(史跡) 苗代大比屋の屋敷跡』と記されていました。

設置されていた説明板やネット上では『苗代大屋』と表記されていますが、こちらの標柱や南城市の資料には『苗代大比屋』と記されているんですけど、どちらも"うふやー(あるいは"うひやー"とも)"と読みます。
苗代大屋の屋敷跡の写真
建物の手前に立てられていた『記念物(史跡) 苗代大比屋の屋敷跡』と記された標柱。
ワタクシが訪れた際、ご覧の通り建物の扉は閉じられた状態で内部を見学することはできませんでしたが、南城市の資料によると、建物の内部には『尚思紹』の位牌等が安置されているんだそうですよ。
苗代大屋の屋敷跡の写真
『苗代大屋の屋敷跡』の敷地横の藪の中にコンクリートブロックで造られた祠がありました。
また、屋敷跡が建つ敷地横の藪の中にもコンクリートブロックで造られた祠のようなものがありました。

近づいてみたかったんですけど、草木が繁茂していて接近するのは困難だったため、断念しました。。。
苗代大屋の屋敷跡の写真
『苗代大屋の屋敷跡』の敷地の西側を通る獣道。
『苗代大屋の屋敷跡』を見学し終え、敷地を出ると、敷地の西側に南向けに伸びる獣道を発見したので、そちらの方へ行ってみることにしました。

獣道を進んでいくと、ちょうど屋敷跡の裏手に位置する場所に『つきしろの岩・井』がありました。
つきしろの岩・井の写真
『苗代大屋の屋敷跡』の南側にあった『つきしろの岩・井』。
つきしろの岩・井の写真
『市指定史跡 つきしろの岩・井』と記された標柱。
こちらも今回初めて訪れた場所だったんですが、なぁ~んか見覚えのある場所だなぁ~って思っていたら、後日ネットで調べてみたら、2017年の3月にRBC琉球放送で放送されていた『琉球歴史ドラマ 尚巴志』で『場天ノロ』が祈りを捧げているシーンで登場した場所とのことでした😊💦
※2017年12月27日には『ディレクターズカット版』も放送されていますよ。⇒http://www.rbc.co.jp/tv_program/shouhashi/

どぉ~りで見覚えがあったんですねぇ~(笑)
つきしろの岩・井の写真
市指定史跡 つきしろの岩・井。
南城市の資料によると、この『つきしろの岩・井』には伝承があるらしく、美里之子の娘が、赤子であった『尚巴志』を捨てた場所とされているんだそうで、産湯をつかった井戸ともされているとのことです。

現在は、井戸の水は枯れていますが、井戸に向かって左側と手前に香炉が1基ずつ置かれていました。

香炉手前の平たい石は祭壇に使用されているものと思われます。
※あくまでワタクシ個人の憶測なので定かではありませんが。。。
泉代の写真
『泉代』と記された円柱状の水タンク。
『つきしろの岩・井』を見学した後、獣道をさらに奥へと進みます。

すると、『つきしろの岩・井』の後方の木々に囲まれた場所に円柱状の水タンクらしき建造物がありました。

その側面上部に、『苗代泉』と記されており、そのすぐ下に『一九六三年十一月十六日竣工』と右から左に記されていました。
苗代泉の写真
側面上部に『苗代泉』と記されていました。なぜか右から左に表記されています。
ネットで『苗代泉』についても調べてはみたんですが、資料等が出てこず、詳細は不明ですが、このすぐ横に小さな祠の拝所が設置されていました。
苗代泉の拝所の写真
『苗代泉』の水タンク横にあった拝所。内部に方形の香炉が1基納められていました。
そして『苗代泉』の水タンクの南側には『苗代殿(ナーシルトゥン)』という拝所がありました。
苗代殿の写真
苗代殿(ナーシルトゥン)。
苗代殿の写真
『苗代殿』と記された標柱。
南城市資料によると、こちらは祠が建つ敷地入口に立てられている2本の石柱だけが残っていたようで、拝所の祠は1967年に造られたとのことです。
苗代殿の写真
苗代殿。
苗代殿の写真
祠の内部。中央付近に大小2基の香炉が置かれており、その周囲に数基の霊石が置かれていました。
内部には2基の香炉と数基の霊石が納められていました。

そして『苗代殿』を見学させて頂いた後、獣道がさらに森の奥へと続いていたので、その先へ行ってはみたんですが、途中から道幅がかなり狭くなっていき、草木もかなり繁茂していて歩くのが困難になったため、進入を断念し、そのまま引き返しました。
苗代大屋の屋敷跡の写真
『苗代殿』の前からさらに南向けに伸びる獣道。
苗代大屋の屋敷跡の写真
途中から歩くのがかなり困難になったため、ここから引き返しました(泣)。
『苗代大屋の屋敷跡』の敷地を出ると、東側の高くなった場所に木々に囲まれた家屋があるのを見つけたので、入口の階段を上がってみたんですが・・・
苗代大屋の屋敷跡の写真
『苗代大屋の屋敷跡』の敷地入口横に遭った平屋。敷地内はだいぶ荒れていました。
階段の頂上付近から屋敷までの間の場所が雑草が生い茂り、かなり荒れていたため、家屋に近づくことが出来なかったため、階段上から一枚だけ写真を撮らせてもらいました。

雑草が繁茂しているのを見ると、だいぶ長い間、人の出入りがなかったようですね。

家屋に近づけなかったため、こちらが"拝所"なのか、あるいは民家として使用されていたのか詳細は不明です。。。

・・・と、ここまで見学した後はクルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。

『苗代大屋の屋敷跡』は、2016年1月にご紹介した『佐敷(上)グスク』からも近いので、『佐敷(上)グスク』を訪れた際には、こちらも見学してみて下さいね。
苗代殿の写真
生い茂る草木の中にひっそりと佇む『苗代殿』。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『苗代大屋の屋敷跡』☆

☆場所:〒901ー1400
    沖縄県南城市佐敷佐敷77

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

☆問い合わせ:南城市役所大里庁舎文化課098-946-8990

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。