南城市大里大城の丘陵上にある旧稲福集落内に分布する遺跡群☆|沖縄放浪日記

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2017年3月16日木曜日

南城市大里大城の丘陵上にある旧稲福集落内に分布する遺跡群☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回のブログ記事で、南城市大里大城の稲福集落内に点在する『ナカヌカー』・『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』をご紹介しましたが、今回は残りの史跡をご紹介しますね。

『大城按司の墓』『ナカヌカー』・『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』を見学した日から約10日後ほど経った頃、改めて南城市大里大城の稲福集落を訪れました。

沖縄県南城市大里大城の旧稲福集落に分布する

『稲福遺跡群』

稲福殿の写真
稲福区の村立ての屋敷跡である『稲福殿(いなふくとぅん)
この日も、『稲福ガイドマップ』が設置されている場所から近い距離にある史跡から順に見学していきました。
※『稲福ガイドマップ』は、前々回の記事に掲載してあるので、そちらをご参照ください。⇒http://oki-night.blogspot.jp/2017/03/blog-post_14.html

まず最初に向かったのは、ガイドマップのある場所から西へ約60mほどの距離にある⑥『クラシミガー』です。
クラシミガーの写真
クラシミガー
クラシミガーの写真
クラシミガー
『クラシミガー』は、片側1車線の本道から少し逸れた遊歩道の途中にあります。

だいぶ長い期間手入れがされていないみたいで、周囲やカー内部は、ご覧の通り、雑草が生い茂ってましたね。。。
クラシミガーの写真
『クラシミガー』の内部。雑草が生い茂ってました。。。
クラシミガーの写真
片隅に香炉らしきものが置かれてました。
ガイドマップによると、≪円形の堀抜井泉である。旧集落の西側住民が若水(わかみじ)や産湯などに使用した。≫とありました。

まだ水を湛えているらしく、井泉から上の方へと水道の配管らしきものが見えましたね。

この『クラシミガー』を後にし、次に向かったのは、ガイドマップから北向けに続く小道。

小道を入って約30mほど進んだところ右側に草木が生い茂った場所があり、その中央付近だけ開けていました。

カッチングヮーの写真
ガイドマップから北に約30mほどの距離にある草木が生い茂った場所。
カッチングヮーの写真
草木が生い茂った場所のほぼ中央付近だけ開けていました。
一応、開けていると言っても、ご覧の通り、雑草が繁茂していたので、入ろうかどうか一旦躊躇したんですが(笑)、雑草をかき分けながら、ちょこっと入ってみることにしました(笑)。

すると、開けた場所のほぼ中央付近、雑草に埋もれた拝所を発見‼
カッチングヮーの写真
草木に埋もれた『カッチングヮー』
ガイドマップの分布図によると、こちらは『カッチングヮー』と呼ばれる拝所なんだそうです。

こちらも、だいぶ長い間、手入れされていないみたいですね。。。

この『カッチングヮー』からさらに北へと向かいます。
イリの写真
『カッチングヮー』から北向けに約30mほどの距離に『イリ』の案内板が設置されています。
イリの写真
藪の奥に開けた場所があるんですが、その左奥に『イリ』があります。
『カッチングヮー』から北向けに約30mほど進んだところに小さな十字路があるんですが、そこに④『イリ』の案内板が設置されています。

この十字路を左折し、突き当りを右折して、すぐ右側の藪の奥に④『イリ』があります。
イリの写真
イリ
ガイドマップによると、≪稲福区の村立てを行なった人たちが住んでいた屋敷跡(根屋)。現在はブロック造の祠が建てられ多くの香炉が置かれている。≫とありましたが、実際に行ってみると、その通りになっていました(笑)。

また、『イリ』の手前にも、説明板が設置されていたので、引用させて頂きます。
イリの写真
イリ
≪「イリ」は稲福区の根屋(にーや)です。根屋とは村立てを行った人たちが住んでいた屋敷とされています。

かつては村の祭祀を司る家でしたが、区内には子孫がいないため現在は区役員で行っています。

稲福の二月ウマチーは、「カミの香炉はノロが拝み、ウヤファーフジの香炉はイキーが拝む」とされ、前者を「ウマチー」、後者を「シチマ」と呼んで区別しました。

一般的には五月ウマチーをシチマとするところが多いので、稲福の特殊事情だといえます。≫とありました。

こちらを見学した後、『イリ』の案内板があった十字路まで戻り、さらに北へと進みます。
稲福殿とイリジョーガーの写真
稲福殿の手前にある『イリジョーガー』
すると、遠くの方に『稲福殿』が見えるんですが、その手前左側にある藪の中にも拝所があるんです。
イリジョーガーの写真
イリジョーガー
こちらは『イリジョーガー』と呼ばれる拝所なんだそうです。

この『イリジョーガー』がある場所から小道に出て、『稲福殿』の方へ少し進むと、その左側の小道沿いにも小さな祠があります(笑)。
イリジョーガーの写真
左側は『イリジョーガー』で、右側の雑草の中にも小さな祠が見えます。
イリジョーガーの写真
『イリジョーガー』の脇にあった小さな祠の拝所。
『イリジョーガー』を後にし、さらに北へ進むと、開けた場所にたどり着き、奥に『稲福殿』、小道を挟んで右側には『ノロの踏石』があります。
稲福殿とノロの踏石の写真
向かって左側が『稲福殿』、右側に『ノロの踏石』があります。
まずは、『ノロの踏石』から見学。。。

『ノロの踏石』のすぐ隣に説明板が設置されていたので、そちらを引用させて頂きます。
ノロの踏石の写真
ノロの踏石
≪稲福殿とノロの踏石≫
≪稲福区の村立ての屋敷跡です。社は平成十三年に建て直され、右側には香炉が、左側には火神(ひぬかん)が祀られています。

琉球大学による発掘調査では、このトゥンを囲むようにかつて集落が形成されていたことが確認されました。
ノロの踏石の写真
ノロの踏石
『琉球国由来記』には稲穂祭(現在の五月ウマチー)のことが記録されており、今でも昔ながらにウンサク(米で作られた神酒)を参加者にふるまいます。

稲福の祭祀行事はかつては大城ノロが司祭しており、現在も大城ノロの子孫の代表者と稲福区でここを拝んでいます。

ノロの踏石は、祭祀の際にノロが馬の乗り降りに使ったと考えられ、稲福・大城で三カ所確認されています。
稲福殿の写真
稲福殿
ノロ(祝女)はヌルとも発音され、集落または複数集落の祭祀を取りしきり、御嶽を管理した女性司祭のことです。
南城市教育委員会 平成二十七年三月設置≫
・・・とありました。

『ノロの踏石』を見学した後は、『稲福殿』を見学。

『稲福殿』の手前には、『稲福遺跡群』の説明板が設置されていたので、こちらも引用させて頂きます。
稲福殿の内部の写真
『稲福殿』の内部左側。説明板にあった通り右側に3基の香炉、左側に『火神』が祀られていました。
≪稲福遺跡群≫
≪稲福遺跡群は知念半島から延びる丘陵上に位置し、南側を除く三方を崖で囲まれた旧稲福集落(上稲福)全体に広がっています。

北側には山グスク、その手前に上御願遺跡、南側に稲福の殿を中心とした稲福遺跡、東側崖沿いに仲村御嶽遺跡、南東側に中森御嶽があり、それらを合わせて稲福遺跡群と呼んでいます。
稲福殿の内部の写真
『稲福殿』の内部右側。
部分的な発掘調査によって、160基にもおよぶ柱穴が検出され、稲福の殿を中心とした祭祀の広場を中心に、多くの建物が規則的に配置されていた集落の様子が想定されています。

また、グスク土器や輸入陶磁器、鏡等の青銅製品や鉄器、玉類、骨製品、古銭、炭化米や麦など多くの遺物が出土しており、グスク時代の人々の生活の様相を知ることができます(出土遺物は県立博物館で展示されています)。
稲福遺跡群の説明板の写真
『稲福遺跡群』の説明板にあった分布図
しかし、県内でもグスク時代の集落を知るうえで学術的に重要な遺跡にも関わらず、その多くで発掘調査が行われていません。

グスク時代の集落を紐解くためにも、これからn発掘調査が期待される遺跡群であります。
沖縄県南城市教育委員会≫
・・・とありました。
稲福殿の写真
『稲福殿』の横からさらに北へ小道が伸びています。
『稲福殿』の横から、小道がさらに北へと続いていましたので、そちらへと向かいます。

上の分布図によると、この小道の先に①『イーグスク(上グスク)』、②『イーウガン(上御願)』があるみたいです。
上御願の写真
『稲福殿』から北向けに進んできたところ。右側の藪の中にも拝所が点在しています。
『稲福殿』の横からさらに北へ進んでいくと、道の先には『稲福無線中継所』があります。

その中継所の手前右側の藪の中に拝所がありました。
上御願の写真
電柱の真後ろに拝所が隠れていました。
拝所の写真
拝所
『稲福ガイドマップ』によると、①の『上グスク(イーグスク)』は≪稲福遺跡群の中でもひときわ高い場所で、石垣等は発掘されていないが、かつてグスクだった様子を伝えている。ヤマグスクとも呼ばれる。≫とありました。

また、②『上御願』については≪村立てに関わるとされ、3基の祠が所在する。≫とありました。
  
・・・ということは、上の『拝所』は、その内の1基となるようですね。

また、藪の横から東向けに伸びる未舗装の脇道があったので、そちらの方へ行ってみると、突き当り左側の窪地にも拝所がありました。
上御願の写真
藪の横にある脇道。この奥の左側にも拝所がありました。
拝所。
小道に戻り、さらに北へと進みます。

突き当りは、『稲福無線中継所』となっており、立入禁止となっているんですが、その出入り口の右側に『上御願』の標柱と1基の香炉が設置されており、その後方にも拝所の祠があります。
上御願の写真
奥と右側のフェンスは『稲福無線中継所』です。その間に『上御願』の標柱が見えます。
上御願の写真
『イーウガン(上御願)』の標柱と香炉。
ネットでちょこっと調べてみると、『琉球国由来記』にある稲福村には、山城之嶽、上之嶽、中森、ハケ森の4つの御嶽と稲福之殿が記載されているとのことです。

そして現在は、山城之嶽と上之嶽を合わせて『上御願』、『中森』、『仲村御嶽』と『稲福殿』と呼ばれているんだそうですよ。
上御願の写真
『イーウガン(上御願)』の拝所
また、小道突き当りの『稲福無線中継所』がある一帯が、『イーグスク(上グスク)』(別称『山グスク』とも言われているみたいです)があったと推定される場所なんだそうです。

こちらまで見学した後は、一旦、小道を引き返し、次の遺跡を見学しに向かいました。

・・・と、かなり長くなってしまいましたので、今回はここまでにして、この続きは、また別の回にご紹介しましょうね。。。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『稲福遺跡群』

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市大里大城(上稲福集落)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し