前々回のブログ記事で、南城市大里大城の稲福集落内に点在する『ナカヌカー』・『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』をご紹介しましたが、今回は残りの史跡をご紹介しますね。
『大城按司の墓』や『ナカヌカー』・『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』を見学した日から約10日後ほど経った頃、改めて南城市大里大城の稲福集落を訪れました。
沖縄県南城市大里大城の旧稲福集落に分布する
『稲福遺跡群』☆
稲福区の村立ての屋敷跡である『稲福殿(いなふくとぅん)』 |
※『稲福ガイドマップ』は、前々回の記事に掲載してあるので、そちらをご参照ください。⇒http://oki-night.blogspot.jp/2017/03/blog-post_14.html
まず最初に向かったのは、ガイドマップのある場所から西へ約60mほどの距離にある⑥『クラシミガー』です。
クラシミガー |
クラシミガー |
だいぶ長い期間手入れがされていないみたいで、周囲やカー内部は、ご覧の通り、雑草が生い茂ってましたね。。。
『クラシミガー』の内部。雑草が生い茂ってました。。。 |
片隅に香炉らしきものが置かれてました。 |
まだ水を湛えているらしく、井泉から上の方へと水道の配管らしきものが見えましたね。
この『クラシミガー』を後にし、次に向かったのは、ガイドマップから北向けに続く小道。
小道を入って約30mほど進んだところ右側に草木が生い茂った場所があり、その中央付近だけ開けていました。
ガイドマップから北に約30mほどの距離にある草木が生い茂った場所。 |
草木が生い茂った場所のほぼ中央付近だけ開けていました。 |
すると、開けた場所のほぼ中央付近、雑草に埋もれた拝所を発見‼
草木に埋もれた『カッチングヮー』 |
こちらも、だいぶ長い間、手入れされていないみたいですね。。。
この『カッチングヮー』からさらに北へと向かいます。
『カッチングヮー』から北向けに約30mほどの距離に『イリ』の案内板が設置されています。 |
藪の奥に開けた場所があるんですが、その左奥に『イリ』があります。 |
この十字路を左折し、突き当りを右折して、すぐ右側の藪の奥に④『イリ』があります。
イリ |
また、『イリ』の手前にも、説明板が設置されていたので、引用させて頂きます。
イリ |
かつては村の祭祀を司る家でしたが、区内には子孫がいないため現在は区役員で行っています。
稲福の二月ウマチーは、「カミの香炉はノロが拝み、ウヤファーフジの香炉はイキーが拝む」とされ、前者を「ウマチー」、後者を「シチマ」と呼んで区別しました。
一般的には五月ウマチーをシチマとするところが多いので、稲福の特殊事情だといえます。≫とありました。
こちらを見学した後、『イリ』の案内板があった十字路まで戻り、さらに北へと進みます。
稲福殿の手前にある『イリジョーガー』 |
イリジョーガー |
この『イリジョーガー』がある場所から小道に出て、『稲福殿』の方へ少し進むと、その左側の小道沿いにも小さな祠があります(笑)。
左側は『イリジョーガー』で、右側の雑草の中にも小さな祠が見えます。 |
『イリジョーガー』の脇にあった小さな祠の拝所。 |
向かって左側が『稲福殿』、右側に『ノロの踏石』があります。 |
『ノロの踏石』のすぐ隣に説明板が設置されていたので、そちらを引用させて頂きます。
ノロの踏石 |
≪稲福殿とノロの踏石≫
≪稲福区の村立ての屋敷跡です。社は平成十三年に建て直され、右側には香炉が、左側には火神(ひぬかん)が祀られています。琉球大学による発掘調査では、このトゥンを囲むようにかつて集落が形成されていたことが確認されました。
ノロの踏石 |
稲福の祭祀行事はかつては大城ノロが司祭しており、現在も大城ノロの子孫の代表者と稲福区でここを拝んでいます。
ノロの踏石は、祭祀の際にノロが馬の乗り降りに使ったと考えられ、稲福・大城で三カ所確認されています。
稲福殿 |
南城市教育委員会 平成二十七年三月設置≫
・・・とありました。『ノロの踏石』を見学した後は、『稲福殿』を見学。
『稲福殿』の手前には、『稲福遺跡群』の説明板が設置されていたので、こちらも引用させて頂きます。
『稲福殿』の内部左側。説明板にあった通り右側に3基の香炉、左側に『火神』が祀られていました。 |
≪稲福遺跡群≫
≪稲福遺跡群は知念半島から延びる丘陵上に位置し、南側を除く三方を崖で囲まれた旧稲福集落(上稲福)全体に広がっています。北側には山グスク、その手前に上御願遺跡、南側に稲福の殿を中心とした稲福遺跡、東側崖沿いに仲村御嶽遺跡、南東側に中森御嶽があり、それらを合わせて稲福遺跡群と呼んでいます。
『稲福殿』の内部右側。 |
また、グスク土器や輸入陶磁器、鏡等の青銅製品や鉄器、玉類、骨製品、古銭、炭化米や麦など多くの遺物が出土しており、グスク時代の人々の生活の様相を知ることができます(出土遺物は県立博物館で展示されています)。
『稲福遺跡群』の説明板にあった分布図 |
グスク時代の集落を紐解くためにも、これからn発掘調査が期待される遺跡群であります。
沖縄県南城市教育委員会≫
・・・とありました。『稲福殿』の横からさらに北へ小道が伸びています。 |
上の分布図によると、この小道の先に①『イーグスク(上グスク)』、②『イーウガン(上御願)』があるみたいです。
『稲福殿』から北向けに進んできたところ。右側の藪の中にも拝所が点在しています。 |
その中継所の手前右側の藪の中に拝所がありました。
電柱の真後ろに拝所が隠れていました。 |
拝所 |
また、②『上御願』については≪村立てに関わるとされ、3基の祠が所在する。≫とありました。
・・・ということは、上の『拝所』は、その内の1基となるようですね。
また、藪の横から東向けに伸びる未舗装の脇道があったので、そちらの方へ行ってみると、突き当り左側の窪地にも拝所がありました。
藪の横にある脇道。この奥の左側にも拝所がありました。 |
拝所。 |
突き当りは、『稲福無線中継所』となっており、立入禁止となっているんですが、その出入り口の右側に『上御願』の標柱と1基の香炉が設置されており、その後方にも拝所の祠があります。
奥と右側のフェンスは『稲福無線中継所』です。その間に『上御願』の標柱が見えます。 |
『イーウガン(上御願)』の標柱と香炉。 |
そして現在は、山城之嶽と上之嶽を合わせて『上御願』、『中森』、『仲村御嶽』と『稲福殿』と呼ばれているんだそうですよ。
『イーウガン(上御願)』の拝所 |
こちらまで見学した後は、一旦、小道を引き返し、次の遺跡を見学しに向かいました。
・・・と、かなり長くなってしまいましたので、今回はここまでにして、この続きは、また別の回にご紹介しましょうね。。。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『稲福遺跡群』☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市大里大城(上稲福集落)
☆見 学:無料
☆駐車場:無し