米第十軍司令官が戦闘指揮中に戦死した丘に建立された慰霊碑☆|沖縄放浪日記

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2017年3月2日木曜日

米第十軍司令官が戦闘指揮中に戦死した丘に建立された慰霊碑☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、糸満市真栄里にある『栄里之塔』を見学した後、そこから西側へ約70mほどの距離にある慰霊碑を見学しに向かいました。

その慰霊碑が建立されている丘は、沖縄戦の最中、米軍の最高司令官が、この丘に視察に訪れていた際、すぐ近くに爆弾が炸裂し、着弾した岩の破片が司令官の胸部に直撃してしまい、戦死してしまったんだそうです。。。

沖縄県糸満市真栄里にある

『バクナー中将慰霊碑』

バクナー中将慰霊碑の写真
小高い丘の上に建立された『バクナー中将慰霊碑』
こちらは、『栄里之塔』がある五叉路から西側へと伸びる道へ進み、約70mほど進んでいくと道路沿い左側にあります。
バクナー中将慰霊碑の写真
『バクナー中将慰霊碑』の入口
バクナー中将慰霊碑の写真
『バクナー中将慰霊碑』が建立された丘を『栄里之塔』の前から見たところ
道路から慰霊碑のある丘の上へと続く階段を上がっていくと、立派な台座の上に慰霊碑が建てられており、その左側にも、十字架が型どられた墓標らしきものや慰霊碑などが建立されていました。
バクナー中将慰霊碑の写真
入口から丘の上を見たところ
米国陸軍准将クローディアス・M・イーズリー追悼碑の写真
米国陸軍准将クローディアス・M・イーズリー追悼碑
階段を上がっていくと、その頂上には『米国陸軍准将クローディアス・M・イーズリー追悼碑』が建立されていました。

そして、その追悼碑には、日本語と英語で碑文が刻まれています。

≪追悼碑≫
≪米国陸軍准将 クローディアス・M・イーズリー 1891年‐1945年 1945年6月19日 この地に於いて戦死す≫
・・・とありました。
米国陸軍准将クローディアス・M・イーズリー追悼碑の写真
米国陸軍准将 クローディアス・M・イーズリーの追悼碑
この米国陸軍准将クローディアス・M・イーズリーも、バクナー中将が戦死した翌日の6月19日に戦闘指揮中に銃撃に遭い戦死してしまったんだそうですよ。。。
米軍歩兵第383旅団長 エドウィン・T・メイの慰霊碑の写真
米軍歩兵第383旅団長 エドウィン・T・メイの慰霊碑
また、クローディアス・M・イーズリー追悼碑と同じ台座には、陸軍第24軍団大96師団歩兵383連隊の連隊長エドウィン・T・メイの慰霊碑も建立されていました。

エドウィン・T・メイが連隊長を務めた米軍歩兵383連隊は、旧日本軍の陸軍第62師団歩兵63旅団独立歩兵第13大隊と、沖縄戦で最も熾烈を極めたと云われてる『嘉数の戦い』を繰り広げた部隊なんだそうですよ。。。

碑文には「A GREAT SOLDIER FOUGHT AND DIED HERE」と刻まれていることから、エドウィン・T・メイもこの地で戦死されたんですね。。。
クローディアスMイーズリーとエドウィンTメイの追悼碑の説明の写真
二人の慰霊碑の説明
ほいで、お二人の慰霊碑の台座部分には、碑文が刻まれていたんですが、ちょっとガンバって訳してみました。。。
もし、間違ってたらすいません🙇🙇🙇

《1995年6月24日、第96歩兵部隊によってクローディアス・M・イーズリーとエドウィン・T・メイの記念碑が再奉献のために建立されました。

クローディアス・M・イーズリーとエドウィン・T・メイは、1万人の死傷者が犠牲となった第96歩兵部隊の卓越した武勇の代表として選ばれました。

クローディアス・M・イーズリーは、ここから東にあるYUZA-DAKE(たぶん与座岳)で戦死しました。エドウィン・T・メイ連隊長は、東風平で戦死しました。(その時は『IWA』と呼ばれていました)

特別な感謝を込めて:沖縄県戦没者慰霊保存会 琉球・アメリカ歴史研究会 第5海軍機動建設大隊(SEABEES) 米陸軍第10地域支援群 第96歩兵部隊“DEADEYES(たぶん狙撃チームの名称です)”より寄贈》・・・といったところでしょうかね(笑)😅
バクナー慰霊碑の写真
クローディアス准将・エドウィン連隊長の追悼碑に向かって左側にバクナー中将の慰霊碑があります。
クローディアス・M・イーズリー准将とエドウィン・T・メイ連隊長の追悼碑に向かって左側奥に、バクナー中将の慰霊碑があります。
バクナー中将慰霊碑の写真
バクナー中将慰霊碑
慰霊碑が建立されている場所には、十字架を模した御墓のようなものがあり、十字架には「諸霊安らかに」と日本語で記されており、十字架の台座部分らしき場所には、「IN MEMORIAL」と題された碑文が書かれていました。
バクナー中将慰霊碑の写真
十字架を模した御墓
碑文は「THE OKINAWAN,AMERICAN,JAPANESE VICTIMS OF THE BATTLE FOR OKINAWA MAY THEIR SOULS REST IN PEACE!」と書かれてました。
たぶん「沖縄戦における沖縄の人、アメリカ人、日本人の被害者のご冥福をお祈り致します。。。」という意味だと思います😅

そして、この十字架の御墓のすぐ後ろには『米國第十軍司令官 シモンBバクナー中将戦死之跡』と刻まれた石碑が立てられていました。
米國第十軍司令官シモンBバクナー中将戦死之跡と刻まれた石碑の写真
米國第十軍司令官シモンBバクナー中将戦死之跡と刻まれた石碑
さらに、その後方には大きな岩があり、岩の側面には英語が刻まれたプレートが、そして上部には石板が設置されていました。
バクナー中将慰霊碑の写真
岩の側面に英語のプレートが設置されていました
その側面のプレートには、「LIEUTTENANT GENERAL SIMON BOLIVAR BUCKNER JR KILLED ON THIS SPOT 18 JUNE 1945 BATTLE OF OKINAWA」と刻まれていました。
英語のプレート
また、上部の石板には、日本語で「一九四五年六月十八日米国陸軍中将サイモンボリバーバックナー此の地に於て戦死す」と刻まれていました。

たぶん、先程の十字架の御墓とその後ろの石碑、さらにその後ろの大きな岩全体が、バクナー中将の慰霊碑となっているみたいですね。
バクナー中将慰霊碑の写真
上部の石板には、日本語で記されていました。
そして、この十字架の御墓や大きな岩の左側には、立派な慰霊塔が建立されていました。

この慰霊碑にも「諸霊よ安らかに」との文字が刻まれており、こちらの台座部分にも「THE OKINAWAN,AMERICAN,JAPANESE VICTIMS OF THE BATTLE FOR OKINAWA 1APR~23JUN 1945 MAY THEY REST IN PEACE ERECTED 18JUNE 1985 BY AMERICAN・OKINAWA・JAPANESE VOLUNTEERSと刻まれていました。

どうやらこちらの慰霊碑は、アメリカと沖縄、そして日本のボランティアの団体が建立した慰霊碑のようですね。
バクナー中将慰霊碑の写真
沖縄戦で亡くなった沖縄の人々やアメリカ人、そして日本人に対しての慰霊塔
糸満市の公式HP『バクナー中将戦死之跡』のページによると、バクナー中将は、1945年6月18日の午後1時15分に、この丘の上で戦史されたそうなんですが、これは2013年現在に至るまで、アメリカ軍史上において最高位の階級(中将)で戦死した事例なんだそうです(Wikipedia『サイモン・B・バックナー・ジュニア』のページには2014年現在と記載されていました)

そして、1952年に米軍によって記念碑が建立されたそうなんですが、1974年にキャンプ・フォスターに移設されたため、翌年の1975年6月に沖縄県慰霊奉賛会によって現在の碑が建立されたんだそうです。
『クローディアス准将』と『エドウィン連隊長』の追悼碑の写真
『バクナー中将慰霊碑』側から見た『クローディアス准将』と『エドウィン連隊長』の追悼碑
また、バクナー中将の遺体は、沖縄に埋葬されたそうなんですが、戦後に、バクナー中将の故郷であるケンタッキー州のフランクフォート墓地に改葬されたんだそうです。。。

そして、1954年には功績が認められて『大将』を追贈されたとのことです。(Wikipedia『サイモン・B・バックナー・ジュニア』のページより一部引用)
糸満市真栄里のあぜ道の写真
何の変哲もない普通のあぜ道ですが、沖縄戦の際に米軍の戦車が使用していた道なんだそうですよ。
今回、この『バクナー中将慰霊碑』を訪れて思ったのは、とても綺麗な状態が保たれてて、見学しやすかったんですよね。

在日米海兵隊の公式HPによると、10数年前に糸満市在住の金城丘志さんが、こちらの慰霊碑に特別な関心を寄せ、行動を起こしたんだそうです。

慰霊碑周辺が荒れ果てていることに気づき、2007年にイーグル・スカウトのプロジェクトとして、環境整備をしようと思い立ったとのこと。。。

そして、家族の助けを借りて、在沖米国領事館の協力の下、海兵隊や陸軍の隊員たちと共に慰霊碑とその周辺の清掃活動を始めたんだそうです。
バクナー中将慰霊碑の写真
日米ボランティアの方々の美化活動によって綺麗に保たれているんですね。。。
当初は、一度限りの予定だったみたいなんですが、その後、海兵隊と陸軍の隊員たちが慰霊碑が綺麗に保たれるようにと、県民ボランティアの人々と連携して、毎年恒例のイベントとなっているんだそうです。

日米ボランティアが連携して、定期的に美化活動をされているからこそ、今回訪れた際も見学しやすかったんですねぇ~。
在日米海兵隊公式HPの紹介ページ⇒http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/news/130328-buckner.html

また、花の植え付けを行っているそうなんですが、それと同時に桜の木も、毎年7本ずつ植樹しているとのこと。

なんでも、慰霊碑を訪問する人達が、開花した桜の花を見て、今ある平和を大切にしてくれることを願い、植樹しているんだとか。。。

なので、桜の開花時期に合わせて、見学に訪れてみてもいいかもしれませんね。

今回は、ちょっと長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『バクナー中将慰霊碑』

☆場所:〒901-0362
      沖縄県糸満市字真栄里615

☆見 学:無料

☆駐車場:なし