この前、糸満市真栄里にある『栄里之塔』を見学した後、そこから西側へ約70mほどの距離にある慰霊碑を見学しに向かいました。
その慰霊碑が建立されている丘は、沖縄戦の最中、米軍の最高司令官が、この丘に視察に訪れていた際、すぐ近くに爆弾が炸裂し、着弾した岩の破片が司令官の胸部に直撃してしまい、戦死してしまったんだそうです。。。
沖縄県糸満市真栄里にある
『バクナー中将慰霊碑』☆
小高い丘の上に建立された『バクナー中将慰霊碑』 |
『バクナー中将慰霊碑』の入口 |
『バクナー中将慰霊碑』が建立された丘を『栄里之塔』の前から見たところ |
入口から丘の上を見たところ |
米国陸軍准将クローディアス・M・イーズリー追悼碑 |
そして、その追悼碑には、日本語と英語で碑文が刻まれています。
≪追悼碑≫
≪米国陸軍准将 クローディアス・M・イーズリー 1891年‐1945年 1945年6月19日 この地に於いて戦死す≫・・・とありました。
米国陸軍准将 クローディアス・M・イーズリーの追悼碑 |
米軍歩兵第383旅団長 エドウィン・T・メイの慰霊碑 |
エドウィン・T・メイが連隊長を務めた米軍歩兵383連隊は、旧日本軍の陸軍第62師団歩兵63旅団独立歩兵第13大隊と、沖縄戦で最も熾烈を極めたと云われてる『嘉数の戦い』を繰り広げた部隊なんだそうですよ。。。
碑文には「A GREAT SOLDIER FOUGHT AND DIED HERE」と刻まれていることから、エドウィン・T・メイもこの地で戦死されたんですね。。。
二人の慰霊碑の説明 |
もし、間違ってたらすいません🙇🙇🙇
《1995年6月24日、第96歩兵部隊によってクローディアス・M・イーズリーとエドウィン・T・メイの記念碑が再奉献のために建立されました。
クローディアス・M・イーズリーとエドウィン・T・メイは、1万人の死傷者が犠牲となった第96歩兵部隊の卓越した武勇の代表として選ばれました。
クローディアス・M・イーズリーは、ここから東にあるYUZA-DAKE(たぶん与座岳)で戦死しました。エドウィン・T・メイ連隊長は、東風平で戦死しました。(その時は『IWA』と呼ばれていました)
特別な感謝を込めて:沖縄県戦没者慰霊保存会 琉球・アメリカ歴史研究会 第5海軍機動建設大隊(SEABEES) 米陸軍第10地域支援群 第96歩兵部隊“DEADEYES(たぶん狙撃チームの名称です)”より寄贈》・・・といったところでしょうかね(笑)😅
クローディアス准将・エドウィン連隊長の追悼碑に向かって左側にバクナー中将の慰霊碑があります。 |
バクナー中将慰霊碑 |
十字架を模した御墓 |
たぶん「沖縄戦における沖縄の人、アメリカ人、日本人の被害者のご冥福をお祈り致します。。。」という意味だと思います😅
そして、この十字架の御墓のすぐ後ろには『米國第十軍司令官 シモンBバクナー中将戦死之跡』と刻まれた石碑が立てられていました。
米國第十軍司令官シモンBバクナー中将戦死之跡と刻まれた石碑 |
岩の側面に英語のプレートが設置されていました |
英語のプレート |
たぶん、先程の十字架の御墓とその後ろの石碑、さらにその後ろの大きな岩全体が、バクナー中将の慰霊碑となっているみたいですね。
上部の石板には、日本語で記されていました。 |
この慰霊碑にも「諸霊よ安らかに」との文字が刻まれており、こちらの台座部分にも「THE OKINAWAN,AMERICAN,JAPANESE VICTIMS OF THE BATTLE FOR OKINAWA 1APR~23JUN 1945 MAY THEY REST IN PEACE ERECTED 18JUNE 1985 BY AMERICAN・OKINAWA・JAPANESE VOLUNTEERS」と刻まれていました。
どうやらこちらの慰霊碑は、アメリカと沖縄、そして日本のボランティアの団体が建立した慰霊碑のようですね。
沖縄戦で亡くなった沖縄の人々やアメリカ人、そして日本人に対しての慰霊塔 |
そして、1952年に米軍によって記念碑が建立されたそうなんですが、1974年にキャンプ・フォスターに移設されたため、翌年の1975年6月に沖縄県慰霊奉賛会によって現在の碑が建立されたんだそうです。
『バクナー中将慰霊碑』側から見た『クローディアス准将』と『エドウィン連隊長』の追悼碑 |
そして、1954年には功績が認められて『大将』を追贈されたとのことです。(Wikipedia『サイモン・B・バックナー・ジュニア』のページより一部引用)
何の変哲もない普通のあぜ道ですが、沖縄戦の際に米軍の戦車が使用していた道なんだそうですよ。 |
在日米海兵隊の公式HPによると、10数年前に糸満市在住の金城丘志さんが、こちらの慰霊碑に特別な関心を寄せ、行動を起こしたんだそうです。
慰霊碑周辺が荒れ果てていることに気づき、2007年にイーグル・スカウトのプロジェクトとして、環境整備をしようと思い立ったとのこと。。。
そして、家族の助けを借りて、在沖米国領事館の協力の下、海兵隊や陸軍の隊員たちと共に慰霊碑とその周辺の清掃活動を始めたんだそうです。
日米ボランティアの方々の美化活動によって綺麗に保たれているんですね。。。 |
日米ボランティアが連携して、定期的に美化活動をされているからこそ、今回訪れた際も見学しやすかったんですねぇ~。
在日米海兵隊公式HPの紹介ページ⇒http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/news/130328-buckner.html
また、花の植え付けを行っているそうなんですが、それと同時に桜の木も、毎年7本ずつ植樹しているとのこと。
なんでも、慰霊碑を訪問する人達が、開花した桜の花を見て、今ある平和を大切にしてくれることを願い、植樹しているんだとか。。。
なので、桜の開花時期に合わせて、見学に訪れてみてもいいかもしれませんね。
今回は、ちょっと長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『バクナー中将慰霊碑』☆
☆場所:〒901-0362
沖縄県糸満市字真栄里615
☆見 学:無料
☆駐車場:なし