この前、後輩と一緒に宜野湾市我如古にある『麺工房 島風』さんで食事を終えた後、帰りがけに同市字宜野湾の住宅街の一角にある慰霊塔を見学しに向かいました。
こちらは、普段は門が閉められており、自由に見学することが出来ないようなのですが、ワタクシ達が到着した際、ちょうど敷地内で草刈り作業されている方がいらっしゃったんですよ。
んで、クルマを路肩に停めて、その方に見学しても良いか尋ねると、「大丈夫ですよぉ~」との返答を頂いたので、二人でちょこっとお邪魔させて頂きました。
沖縄県宜野湾市宜野湾にある
『マータクドー』☆
『マータクドー』の敷地内に建立された『はらから之塔』。 |
脇道を入って、道なりに約530mほど進んでいき、『沖縄国際大学』の裏手側に通ずる道路の一つ手前の右側にある脇道を右折すると、その突き当りにあります。
『マータクドー』 |
『マータクドー』の石碑 |
石碑の裏側には、説明書きが刻まれていました。 |
≪マータクドー≫
≪この地は昔からマータクドーと呼ばれ、字のウシナー(闘牛場)として使用されていた。戦後も一時期はウシナーとして区民に親しまれていた。
昭和43年(1968年)『はらから之塔』が建立されて、毎年、慰霊祭が行われている。
その後、平成17年(2005年)恒久平和を願い区民の健康増進に役立つ多目的広場として、関係各位のご協力により整備された。
竣工 平成17年(2005年)4月10日 字宜野湾郷友会≫
・・・とありました。先程の草刈り作業をされていた方に、少しばかりお話を伺うと、説明にあったように、戦後もしばらくは闘牛場として使用され、字で優勝した『牛』は、県大会に参加させて、県内各地で勝ち抜いてきた他の牛たちと競わせていたんだそうです。
『マータクドー』の広場 |
しかし、字の人々が、『普天間基地』のお偉いさんと交渉して、フェンスを基地側へ移動してもらい、現在の面積にしてもらったんだそうですよ。
さらに、『マータクドー』から、『普天間基地』内へと『河川』が流れているそうで、基地内を流れる川沿いには拝所がいくつか点在しているとのこと。
なので、年に1度、特別に許可をもらって基地内に入り、拝所やガマなどの清掃や拝みを行っているんだそうですよ。
はらから之塔 |
『はらから之塔』には、沖縄戦で亡くなられた字宜野湾出身の戦没者251名(沖縄戦以外で亡くなられた方を合わせると、総数259名になられるみたいです)が祀られています。
『はらから之塔』に向かって右側の側面に刻まれていた『戦没者御芳名』 |
『はらから之塔』に向かって左側の側面に刻まれていた『戦没者御芳名』 |
『はらから之塔』の台座正面には刻まれた短歌。 |
≪ふるさとに みたましずめて はらからも むねやすらぎて とわにねむらん≫
また、先程の方のお話によると、この『はらから之塔』から、基地内に向かって約40~50mほど離れた場所には大きなガマ(壕)があったんだそうです。
沖縄戦の際、字の人々は皆、そちらに避難していたそうなんですが、アメリカ軍がガマの入口を塞いでしまったため、数日間の後に投降したんだそうですよ。。。
そちらにも、字の人々が清掃や拝みを行うために、年に1度訪れているんだそうです。
最後に恒久平和を願って、合掌。。。 |
こちらの慰霊祭も、参加者の大半が戦争体験者とのことですが、年々高齢化が進み、県内各地で行われている慰霊祭を開催しにくくなっているとのお話も聞いたことがあります。。。
沖縄戦を風化させないためにも、毎年行われる慰霊祭を、次世代であるワタクシ達がしっかり受け継いで存続させていかなければいけませんね。。。
今回は少し短いですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『マータクドー(はらから之塔)』☆
☆場所:〒901-2211
沖縄県宜野湾市字宜野湾東原457
☆駐車場:無し
※普段は、門が閉められており、警告板が設置されています。
(広場での危険防止 安全管理等のため 許可なき立入り及び使用を禁じます。
安全管理者:字宜野湾郷友会 連絡先:宜野湾区公民館)