◎うるま市石川伊波にある『伊波城跡』周辺の史跡☆|沖縄放浪日記

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2015年9月5日土曜日

◎うるま市石川伊波にある『伊波城跡』周辺の史跡☆

どーもども☆

週末金曜日、いかがお過ごしでしょうか?

昨日(9月4日)から日曜日(5日)までの3日間、沖縄本島中部にある沖縄市にて『第60回 沖縄全島エイサー祭り』が開催されてるみたいですね♪

昨日金曜日は、沖縄市の県道20号線の米軍嘉手納基地第2ゲートと沖縄市の国道330号線の胡屋十字路を結ぶ区間、通称『ゲート通り(空港通り)』にて開催されているとのこと。

本日の土曜日と日曜日の2日間は、『コザ運動公園陸上競技場』にて開催される予定です♪

全島エイサー祭りと同時に『オリオンビアフェスト2015』が同じ2日間、同運動公園のサブグラウンドにて開催されるみたいですよ♪

大学生の頃は、よく両イベントに遊びに行ってたものです( ̄▽ ̄)ノ☆

さてさて☆

今回は、『伊波城跡』を見終わった後、その周辺にある史跡・遺跡を見学しに行った時のお話です。

沖縄県うるま市石川伊波にある
『伊波ヌンドゥンチと神アシャギ・伊波ヌール墓・伊波貝塚』

まずは、『伊波ヌンドゥンチ・神アシャギ』から。
伊波ヌンドゥンチ・神アシャギ
こちらは、『伊波城跡』の南側入り口のすぐ向かい側にあります。

『ヌンドゥンチ』とは、祝女殿内とか野呂(ノロ)殿内などと表記され、女性神役の方々(ノロ若しくはヌル)が、村落などの祭祀を行う場所のことで、もともとはノロの公的な住居のことを指します。

本来、『殿内』とは、『御殿』と同じような意味合いを持ち、親方や各式のある士家などの邸宅を指す言葉だったんですが、各式が高い宗教施設にも用いられていたようです。

『ノロ殿内』の主神は『火の神』とのことです。
伊波ヌンドゥンチ(ヌール家)
伊波ヌンドゥンチの内部
お次は、その隣の『神アシャギ』

『神アシャギ』とは、村の神様を招待し、祭事を行う場所のことを指します。
伊波ヌンドゥンチのすぐ隣にある『神アシャギ』
本来は、建物の有無は関係ないようで、後に祭事用の建物が建てられ、建物自体も『神アシャギ』と呼ばれるようになったとのことです。

また、琉球王国時代に、裕福な民家では来賓を『アシャギ』と呼ばれた離れに迎え入れていたことから、『神アシャギ』は神様を歓待する場所という意味から来ているのではとも言われているそうです。

『神アシャギ』とは、もともと沖縄本島北部やその周辺離島での呼び名なんだそうで、本島中南部では、これに類似した建物のことを『トゥン(殿)』と呼ぶとのことです。

続いて向かったのは、『伊波城跡』から表の村道に出て、そこからさらに西側へ約400m行ったところにある『伊波ヌール墓』
伊波ヌール墓
こちらは、表の村道までは、ちゃんとした案内板があったんですけど、その先の案内板は、簡易的に作ってあったみたいで、風雨などで壊れてしまってて、全然辿り着けなかったんですよ。。。

んで、一旦、村道に戻ると、ちょうど集落内に住んでるお爺さんと遭遇したので、行き方を訪ねてみると、ご親切にヌール墓入口近くまで誘導してくださいました♪(´▽`)ノ
お爺さん、その節は本当にありがとうございましたm(_ _)m

『ヌール』とは、これまた『ノロ』のことらしく、要するに、『伊波』の『ノロ(祝女)』の『お墓』とゆー意味のようです。
伊波ヌール墓《うるま市指定文化財》
ヌール墓横に設置されている説明板によると・・・
≪伊波ヌール(ノロのこと)墓は、伊波ノロの遺骨を納めた墓と伝えられています。伊波ノロは、琉球王府より任命された公事ノロで、伊波、山城、嘉手苅、石川の祭祀を司っていました。

旧石川市教育委員会の調査の結果、墓室内には15基の厨子甕(ずしがめ)があり、そのほとんどに2対分の骨が納められていたことが分かりましたが、銘書(ミガチ)はなく、遺骨の名前や亡くなった年代を特定するには至りませんでした。

現在は、伊波自治会を中心に管理され、収穫祭のウマチー行事や清明祭のときに参拝が行われるなど、地域にかかわりの深い文化財として大切にされています。

ノロ墓の下を通るトンネルの丘陵崖下には、タカ御墓(スミス御墓)など多くの古墓が点在しています。
 2011年3月 うるま市教育委員会≫
・・・と書かれていました。

『伊波ヌール墓』の下は現在、国道329号線(石川バイパス)が通っていて、トンネルを造ることにより、ヌール墓やその他の古墓を保存することができたんですね。
こちらも、浦添市の『伊祖の高御墓』と『浦添貝塚』を保存するために造られた『伊祖トンネル』の話に似てますネo(^-^)o

この『伊波ヌール墓』を見学した後、最後に『伊波城跡』のほぼ裏手側に位置する『伊波貝塚』を見に行ってきました。
国指定史跡伊波貝塚』
石碑の隣りにある説明板より
昭和47年5月15日 国指定

この貝塚は、金武湾を望む標高約90メートルの丘陵下方のゆるやかな傾斜地に形成されています。遺跡の範囲は東西約160メートル、南北約20メートルで、貝層がその中に点在しています。

貝層の厚さは60センチメートルほどで、海水産・淡水産・陸産の貝類のほか魚骨、じゅごん・いのしし・いぬ等の獣骨等とともに、磨製石器等の石器、土器、骨針等の骨製品、垂飾類の貝製品が出土しています。

この貝塚は、大正9年大山柏氏が発掘を実施し、荻道貝塚とともに戦前から著名な貝塚として知られています。

伊波式土器を出土する標準遺跡でもあって沖縄諸島貝塚時代前期に属し、南島の先史文化を考える上で欠かすことのできない遺跡の一つです。
沖縄県教育委員会≫

うるま市文化課のHPによると、鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)とゆー人物が、明治37年に来沖した際に、石川の『チヌヒンチヤ貝塚』とゆー貝塚を発見して、翌年その調査内容を発表したんだそうです。

そして、大山柏氏は、大正9年にその鳥居さんの調査報告をたよりにして『伊波貝塚』を発見したとのことです。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『伊波ヌンドゥンチ・神アシャギ』☆

☆場所:〒904-1115
      沖縄県うるま市石川伊波

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場無し

☆トイレ:無し

☆『伊波ヌール墓』☆

☆場所:〒904-1115
      沖縄県うるま市石川伊波

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場無し

☆トイレ:無し

☆『伊波貝塚』☆

☆場所:〒904-1115
      沖縄県うるま市石川伊波485

☆時間:自由見学(但し、住宅地裏にあるので、地元住民に聞いて教えてもらった方が良いと思います。

☆入場料無料

☆駐車場無し

☆トイレ:無し