前々回にご紹介した『スクブ御嶽(すくぶ公園)』を後にし、次に向かったのはうるま市宮里にあるグスク跡です。
こちらは、北山系の人物とされる『江洲按司』が初代の城主と云われているんだそうで、その後は、琉球王国 第一尚氏王統 第二代国王『尚巴志』の六男『尚布里』が城主となり、最後は琉球王国 第一尚氏王統 第六代国王『尚泰久』の五男『尚武』が城主となった"グスク"なんだそうです。
沖縄県うるま市宮里にある
『江洲グスク(別称:ツチグスク・イーシグシク)』☆
グスク域の頂上付近にある江洲按司とその妹である"つきおやのろ"の墓。 |
すぐ近くにある別の高台から見た『江洲グスク(江洲城跡)』遠景。 |
んで、今回は事前に入口の場所も調べてあったので、ちゃんとグスク域内へ入ることが出来ました(笑)。
住宅地からグスク域内へと伸びる参道は、途中から未舗装となっていました。 |
住宅地からグスク域内へと伸びる参道を入っていくと、手前側はコンクリートで舗装されていたんですが、途中から未舗装となっていましたね。
ですが、定期的に草刈り・清掃が行われているらしく、思いのほかとても歩きやすかったですよ。
参道途中、右側にあった森の中へと続く細い参道。 |
草木が生い茂り、参道が埋もれてましたw |
江洲城跡 御陵墓。 |
冒頭でも少しお話しましたが、『江洲グスク』は、初代 江洲按司をはじめ、琉球王国第一尚氏王統 第二代国王『尚巴志』の六男・尚布里や第一尚氏王統 第六代国王『尚泰久』の五男・尚武などが居城していたと伝えられており、グスク域内には江洲按司や、その親族が眠っています。
『江洲城跡 御陵墓』と記された墓標。 |
(※参考⇒ラジオ沖縄ハイサイポッド『江洲グスクの落石撤去作業完了』)
この御陵墓を見学させて頂いた後、先程の参道途中にあった開けた場所へすぐに引き返し、参道のさらに奥へ行ってみることにしました。
・・・が、参道に戻って奥へ進んでいくと、その途中に「KEEP OUT」と書かれた規制テープが貼られており、立入禁止となっているぢゃありませんかぁ。。。
そこから、その先の様子を見渡してみても、何も危険はないように見えたんですが、「立入禁止」となっていてはどうしようもないので、この日はそのまま引き返して帰路につきました。。。
そこで、後日、うるま市役所の文化財課に足を運び、係の人にその旨を話すと、昨年(2017年)の6月の大雨によって参道に直径3m50cm、重さ約20tの落石があり、参道が塞がれていたとのこと。。。
そして、その数ヵ月後に落石が撤去されたんだそうですが、今回の規制テープはその時に設置したものなんだそうです。
係の人も、規制テープはすでに全部撤去されたものだと思っていたみたいですよ。
落石撤去作業は完了しているので、気を付けながら足を踏み入れても大丈夫とのことでしたので、後日改めて『江洲グスク』へ足を運びました(笑)
これで4度目ですねwww
参道から丘の上へと続く参道。 |
階段状の参道入口左側に石垣があったんですが、この場所には特に何もありませんでした。。。 |
すると、参道の突き当りから丘の上へと続く階段状の参道があり、その入口右側に立派な石碑が建立されていました。
「大宗江洲按司宗祖武源明 妹 つきおやのろ 之陵墓」と刻まれた石碑。 |
また、石碑の裏には碑文のような文と、『江洲城跡』内の御墓の配置図と家系図が記されていました。
碑文は、判読しづらかったため省略させて頂きます。
階段状の参道沿いにあった崖葬墓。 |
正面から見た崖葬墓。 |
崖葬墓の右奥にはコンクリート製の古墓がありました。 |
また、奥のコンクリート製の御墓には「江洌王時代 仲宗根按司之先祖 昭和四十八年七月三十日竣工」と刻まれていました。
『仲宗根按司之先祖』の古墓。 |
藪の中にも御墓があったんですが、そちらは断念しました。。。 |
参道を挟んで崖葬墓の向かい側にあった獣道。 |
『つきおやのろ』の御墓がある丘の後方。大きな門中墓がありました。 |
獣道沿いにあった小さな崖葬墓。 |
獣道の先にあった大きな門中墓。 |
岩穴を利用して造られた門中墓。 |
参道の先にあった広場。奥の岩壁に2基の崖葬墓が見えます。 |
江洲按司と、その妹"つきおやのろ"の御墓。 |
2基の御墓の間に建立されていた石碑。「兄 えすあんじ之が左 妹 つきおやのろ之が右」と記されてました。 |
『兄 えすあんじ』の御墓。 |
『妹 つきおやのろ』の御墓。 |
『江洲按司』と『つきおやのろ』の御墓の前から見える景色。 |
また、嘉靖10年(1531年)から天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌謡集『おもろさうし』の巻16の1161には「ゑすの、もりくすく、ゑすの、つちくすく、ゑすは、かほう、くに、又 ゑす、のろの、おやのろ、けおの、よかる、ひに、しけち、もりに、まへて」(おもろさうし 原文・全文 巻16の1161)と記されており、高倉が立ち並んだ情景などが歌われているんだそうですよ。
(※参考⇒うるま市文化財シリーズ③『うるま市の遺跡』)
(※参考⇒おもろさうし『おもろさうし 原文・全文』)
この「おもろさうし」に記されている歌の中に「ゑすの、つちくすく」とあるため、別称『ツチグスク』とも称されているようですね。
沖縄市知花方面を見たところ。 |
(※参考⇒うるま市立中原小学校『学校の概要』)
『江洲按司』・『つきおやのろ』の御墓の向かい側にある石垣。 |
石碑前に戻ると、右斜め向かい側に森の中へと続く獣道を発見したので、今度はその先へ行ってみることにしました。
『つきおやのろ』の石碑と参道入口の右斜め向かい側にあった獣道。 |
この獣道は丘陵の下へと続いていたんですが、道なりに進んでいくと、その突き当りにある岩壁の根元にも古い崖葬墓がありました。
岩壁の根元にあった『江洌王之墓』。 |
『江洌王之墓』と記された墓標。 |
いろいろ調べてはみたんですが、『江洲按司』と『江洌王』が同一人物であるとか、はたまた別人であるとか等の詳しい情報は見つからなかったため、詳細は不明です。。。
・・・と、こちらの『江洌王』の崖葬墓まで見学した後は、そのまま引き返して、クルマに戻り、この日はそのまま帰路につきました。
いやはや、4度目にしてよぉ~やっと『江洲グスク(江洲城跡)』を見学することが出来ました(笑)
ちなみに、『江洲グスク(江洲城跡)』は、尚泰久王の五男・尚武が城主となった後は、第一王統が尚泰久王の重臣であった『金丸(尚円王)』らのクーデターによって廃退すると、そのまま廃城となってしまったのだそうですよ。。。
(※参考⇒沖縄の裏探検『江洲(えす)グスク』)
それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
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☆『江洲城跡(別称:イーシグシク)』☆
☆場所:〒904ー2243
沖縄県うるま市宮里
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。