ハイサぁ~イ⭐
前々回、南城市玉城富里にある『南城市陸上競技場』の駐車場内にある
『仲栄真グスク』をご紹介しましたが、
『仲栄真グスク』を見学した後、今度はグスクの道向かいにある史跡を見学しに向かいました。
沖縄県南城市玉城富里にある
『主留前殿内(するめーどぅんち)』☆
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大きな岩の根元にひっそりと佇む『豊見城按司の墓』。
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『仲栄真グスク』の標柱が立てられている場所の道向かいに森の中へと続く獣道があったので、そこから森の中へ入っていくと、獣道が奥の方まで続いていました。
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『仲栄真グスク』の標柱の道向かいにある獣道入口。 |
獣道の入口から少し進んでいくと、右側に大きな岩があるんですが、その岩の前で道が二手に分かれていました。
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獣道の分岐点。直進すると『主留前殿内』、左折すると『豊見城按司の墓』に向かうことが出来ます。 |
分岐点から左折して、その獣道の先へ行ってみることに。。。
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分岐点から左奥へと続く獣道。 |
分岐点から左折して少し進むと、右側にある大きな岩の根元に岩陰があるんですが、その岩陰にコンクリートブロックや石などが山積みに置かれていました。
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岩の根元にある岩陰に無造作に置かれていたブロックや石の山積み。 |
ブロックや石などを集めて置いてあるだけって感じだったので、"古墓"や"拝所"などの遺構ではなさそうでした。。。
んで、こちらを後にしてさらに奥へ進んでいくと、また右側の岩の根元に石積みがありました。
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岩陰にあった石積み。 |
こちらの石積みは、ただ集めてあるって感じではなく、綺麗に並べて置かれている感じがしたので、もしかすると古墓跡か拝所跡だったのかもしれませんね。。。
※あくまでワタクシの憶測ですので、定かではありませんが。。。
ほいで、この岩陰の石積みの前から獣道はさらに奥へと続いていたので、そのまま突き進みます。
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岩陰にあった石積みの前からさらに奥へ進んできたところ。 |
すると、獣道の先に見える大きな岩の根元に、立派な崖葬墓が見えました。
その崖葬墓に近づいてみると・・・
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豊見城按司の墓。 |
崖葬墓は、大きな石を加工して造られており、左右には石積みが設けられていました。
後でこの御墓を調べてみると、こちらは琉球王国第一尚氏王統 第二国王『尚巴志』の妾の子といわれる『豊見城按司』の御墓なんだそうです。
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御墓の上にある切り立った大きな岩。 |
御墓の墓口前には1基の香炉が置かれており、"拝み"に訪れる人がたまにいらっしゃるようでしたね。
また、『豊見城按司の墓』の前を通過して奥の方を見てみると、巨岩と巨岩の間の少し奥まった場所にも小さな古墓らしき石積みがありました。
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『豊見城按司の墓』の左後方にあった小さな古墓。 |
この小さな古墓の前にも、香炉代わりのコンクリートブロックが2つ並べて置かれており、こちらも"拝み"の対象となっているようでした。
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『豊見城按司の墓』の近くにあった小さなガマ。 |
・・・と、この『豊見城按司の墓』を見学し終え、墓周辺を一通り見渡しても、この2基の御墓以外には、特に何も見当たらなかったので、獣道を引き返して分岐点へと戻りました。
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分岐点から奥へ進んできたところ。 |
分岐点から獣道を直進していくと、だんだん視界が開けていき、森の中にある広場に出ました。
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獣道の先にあった『主留前殿内(するめーどぅんち)』。 |
この広場は、『主留前殿内(するめーどぅんち)』と称される場所で、琉球王国第一尚氏王統 第六代国王『尚泰久』の長男『安次富加那巴志
(あしとかなはし)』と次男『三津葉多武喜
(みつばたぶき)』、そして四男の『八幡加那志
(はちまんがなし)』が、三男の『尚徳』が王位についた際に、この地に辿り着き、こちらに仮の住居を立てて住んでいたんだそうです。
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広場に残されている敷石跡。 |
『主留前殿内』内には、屋敷跡の敷石やいくつかの拝所があります。
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屋敷跡の後方にある拝所。 |
『主留前殿内』の平場には、屋敷跡の一列に並べられた敷石があるんですが、そのすぐ後方には、六基の香炉が置かれた拝所があります。
そして、さらにその後方には切り立った大きな岩場があるんですが、その岩の根元にも拝所が3ヵ所設けられていました。
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切り立った岩壁の根元にあった拝所。 |
その岩壁に向かって、右側には1基の拝所があります。
この拝所は石積みで造られており、真ん中に1基の香炉が置かれていました。
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岩壁に向かって左側。こちらには拝所が2ヵ所ありました。 |
ほんで、岩壁に向かって左側には拝所が2ヵ所ありました。
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岩壁のちょい手前にあった拝所。 |
1つは、岩壁から少し離れた場所にあり、ちょうど屋敷跡後方の拝所と岩壁の間くらいにあります。
そして、もう1つは岩壁の根元にあり、1基の香炉と霊石らしき石が数個置かれていました。
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左側の岩壁の根元にあった拝所。 |
また、この岩壁の根元にある拝所から、さらに左側にも"拝所"があるのかと覗いてみたんですが、そちらには特に何もありませんでした。。。
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岩壁の一番左側。数個の自然石が転がっているだけでしたね。。。 |
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、先程の獣道をさらに奥へと進んでみることにしました。
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『主留前殿内』の屋敷跡前から見た獣道の先。 |
『主留前殿内』からさらに奥へ進んでいくと、道沿いに案内板を兼ねた説明板が設置されていました。
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獣道の先にあった『主留前殿内』の案内兼説明板。写真の奥が『主留前殿内』の屋敷跡。 |
その案内板に記されていた説明を読んでみると・・・
≪主留前殿内(するめーどぅんち)≫
≪尚泰久王の長男である安次富加那巴志(あしとかなはし)や次男の三津葉多武喜(みつばたぶき)、四男の八幡加那志(はちまんがなし)は、三男尚徳が王位についたことでこの地にきました。
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『主留前殿内』の案内兼説明板。 |
主留前殿内はその際の仮住居だと伝承されています。
敷居の跡と思われる古木の埋まった跡もあったようですが、戦時中多くの人々が避難していたため荒らされ、残っていません。
現在は、屋敷跡と火の神を拝んでいます。≫・・・とありました。
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『主留前殿内』から集落側に出てきたところ。 |
この案内兼説明板は、『主留前殿内』の反対側(集落側)に向けて立てられていたので、こちら側が『主留前殿内』の入口となっているようですね(笑)。
案内兼説明板を後にし、集落側に出ると、獣道の先に『根屋』がありました。
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根屋。 |
『富里公民館』前に設置されている『富里ガイドマップ』によると・・・
≪尚泰久王の四男である八幡加那志は「大仲栄真家」を創設しここに住んでいた。 八幡加那志は字の創始者として屋敷内に根屋が建てられた。 現在は「石唐倉」「金唐倉」「大仲栄真殿」「当山里主所火神」の香炉がある。≫・・・とありました。
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『根屋』の内部にある祭壇には、香炉や位牌が置かれ、その上には門中の集合写真が掛けられてました。 |
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反対側から見た『根屋』の内部。 |
また、この富里集落の『根屋』の隣には民家があるんですが、その民家の庭先には『富里里主所火神』の拝所がありました。
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『根屋』のすぐ近くにあった『富里里主所火神』の拝所。 |
『富里里主所火神』の祠は、個人宅の庭先にあったため、祠の内部を見学することはできませんでした。。。(泣)
この『富里里主所火神』の祠まで見学した後は、『根屋』の前を通って集落へと向かいました。
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『根屋』の前から集落へと続く小道。 |
・・・と、今回も結構長~くなってしまいましたので、ここで終わりにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。
それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『主留前殿内・豊見城按司の墓』☆
☆場所:〒901ー0611
沖縄県南城市玉城富里
☆見 学:無料
☆駐車場:あり(南城市陸上競技場駐車場)
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。
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