前々回は、八重瀬町の小城集落内に点在する"拝所"をご紹介させて頂きましたが、今回から2回に分けて『西部プラザ公園』の東南側に位置する志多伯集落内に点在する5体の石獅子や拝所などの史跡をご紹介させて頂きたいと思います。
んで、今回は、集落内に点在する5体の石獅子と、県道134号線沿いにある立派な赤瓦屋根のカー(拝井泉)などをご紹介させて頂きます。
沖縄県島尻郡八重瀬町字志多伯にある
『志多伯の石獅子と中ヌ井』☆
志多伯集落内を走る県道134号線沿いにある『中ヌ井』。 |
石獅子が設置されている場所は4ヶ所なのに、なぜ"5体"かとゆーと、設置されている4ヵ所のうち1ヵ所に2体の石獅子が設置されているんですよ。
『赤石の杜』の東南側にある石獅子と『カミジャナ之嶽』へ向かう獣道の入口。 |
こちらは、『西部プラザ公園』の東門近くのウマチーロードから向かうことができます。
※『カミジャナ之嶽』へ向かう入口は集落側にもあって、そちらからも向かうことができますよ。
ウマチーロードから獣道を入ってきたところ。この獣道の途中に石獅子が設置されています。 |
『カミジャナ之嶽』へ続く獣道沿いに設置されている石獅子。 |
志多伯集落では、旧暦の5月と6月の際に行われる年中行事『ウマチー』の際に石獅子を回って拝みを行うそうなんですが、拝み回りを行う前に草刈りをするんだそうです。
志多伯集落の北側にある石獅子。 |
こちらの石獅子は、人工的に造られたものではなく、自然石をそのまま用いているようですね。
石獅子からさらに獣道を奥へ進んできたところ。獣道の終点に『カミジャナ之嶽』があります。 |
拝所の手前に説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・
≪カミジャナ之嶽≫
≪カンジャナ之嶽は神々が集まる所と伝えられていた。 字の資料には「神座之嶽」と記されており、旧国記名にも「神茶名嶽」とあることから神の集まる場所としての意味を持つと考えられる。≫・・・とありました。『カミジャナ之嶽』の説明板。 |
カミジャナ之嶽。 |
県道134号線から少し入った場所から志多伯集落の馬場と『西ヌ端の石獅子』がある場所を見たところ。 |
『西部プラザ公園』の県道134号線沿いにある駐車場の出入口から志多伯集落向けに約120mほどの距離右側にある脇道に入ると、前方に木々に囲われた広場があります。
この広場は志多伯集落の"馬場"なんだそうで、『志多伯豊年祭』が開催される場所です。
(※参考⇒UG2-Home Page『沖縄の馬場』・『沖縄の馬場Ⅱ』)
志多伯の馬場。 |
豊年祭では、集落の拝所を回る『道ズネー』に始まり、こちらの馬場で『獅子加那志』という獅子舞が披露されるんだそうですよ。
この『獅子加那志』とは、字の守り神なんだそうで、無病息災・五穀豊穣を祈願して『獅子加那志』による獅子舞が行われるとのことです。
(※参考⇒『温故知新 字の誇り 八重瀬町志多伯の獅子加那志豊年祭』)
志多伯の馬場の片隅にある『西ヌ端の石獅子』。 |
前方から見た『西ヌ端の石獅子』。 |
また、『西ヌ端の石獅子』は、『テミグラグスク(テミグラの杜)』に向かって設置されていました。
ちょっと分かりにくいんですが、『テミグラグスク』の方に向かって設置されていました。 |
県道134号線沿いにある『中ヌ井(ナカヌカー)』。 |
中ヌ井(ナカヌカー)。 |
≪中ヌ井(ナカヌカー)≫
≪共同作業後の休憩所として利用されていた。 拝みの際に竜が天に昇っていくという伝承があるが詳しくは定かではない。 豊年祭では道ズネーの最後の拝所であり、水にちなんだ踊りが披露される。≫・・・とありました。『中ヌ井(ナカヌカー)』の説明板。 |
『中ヌ井』の井戸(奥の祠の中)と手前に設けられた貯水槽。 |
また、その貯水槽の後方にはアルミ格子が設置されており、その奥に自然の井泉があったんですが、内部はかなり暗くてよく見えませんでしたね。。。
ほいで、この日は気付かなかったんですが、別の日に残りの3つの石獅子を見学しに再訪した際、この『中ヌ井』の両側にある一段高くなった場所に2基の拝所が1基ずつありました。
『中ヌ井』に向かって左側の一段高くなった場所にあった『中ヌ井』と記された標柱の立つ拝所。 |
そして、今度はその反対側へ移動すると、奥の方形の岩の前に『中ヌお岳』と記された石板が立てられており、そこにも1基の香炉が置かれていました。
『中ヌ井』に向かって右側の一段高くなった場所にある『中ヌお岳』。 |
中ヌお岳。 |
この『中ヌ井』まで見学した後、この日はこのまま帰路に就いたんですが、後日改めて志多伯集落を訪れ、残りの石獅子を見学しました。
『午ヌ端の石獅子』がある志多伯公民館。 |
公民館にいた集落の方に許可を頂き、裏手に回り込むと・・・
志多伯公民館の裏手。方形に造られた台座に設置されていました。 |
台座の上に設置されていた『午ヌ端の石獅子』。 |
午ヌ端の石獅子。 |
ほんで、『午ヌ端の石獅子』を見学しながら撮影していると、公民館の方がこちらに来て、集落の上の方にも石獅子があるので、良かったらそちらもどうぞ~と案内して下さいました。
志多伯集落の東側にある『夫婦獅子』がある高台。 |
この案内された石獅子は、『卯ヌ端の夫婦(ミートゥ)獅子』と称される石獅子で、同じ場所に2体設置されているんです。
『卯ヌ端の夫婦獅子』がある場所は施錠されているので、公民館からカギを借りないと見学出来ません。 |
『卯ヌ端の夫婦獅子』は、集落の方々に一際大切にされているようで、『卯ヌ端の夫婦獅子』を見学し終えて公民館に戻ろうと敷地を出ようとすると、出入口前に集落の方が心配そうにこちらを見てたんですよ(笑)
んで、事情を説明し、ちゃんと公民館から許可を得たことを伝えると、ホッとしたような表情になり、少しばかり集落内の拝所について説明して下さいました(笑)。
出入口から『夫婦獅子』のある丘の上へと続く階段。 |
階段は結構勾配が急なので、一歩ずつ慎重に上がっていくと、頂上に『夫婦獅子』がありました。
丘の上にある『卯ヌ端の夫婦獅子』。 |
(※参考⇒スタジオde-jin シーサーの石彫刻『八重瀬町志多伯 「夫婦獅子」と「知られていない獅子」』)
旦那さんの石獅子。 |
奥さんの石獅子。 |
・・・と、『卯ヌ端の夫婦獅子』を見学させて頂いた後は、丘を下りてしっかりカギをかけ、志多伯公民館へと向かいました。
志多伯集落の石畳。 |
『卯ヌ端の夫婦獅子』がある丘の前から集落の北向けに進んでいくと、『志多伯神谷の門構え』と『石畳』がありました。
石畳道は、新しく造ったみたいで真新しい感じがしましたが、石畳道に沿う右側の石垣は古くからのものと思われます。
志多伯神谷家の門構え。 |
志多伯集落は、もともと蔡温家の領地だったんだそうで、この門構えは琉球王国の三司官であった蔡温が設計したとのことです。
門に向かって左側の石垣。 |
門に向かって右側の石垣。 |
・・・と、今回も少し長くなってしまいましたので、今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。
それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『志多伯集落内に点在する史跡』☆
☆場所:〒901ー0415
沖縄県島尻郡八重瀬町字志多伯
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。