前々回、糸満市の小波蔵集落内に点在する史跡をご紹介しましたが、小波蔵集落を後にし、この日最後に小波蔵集落東側に隣接する糸洲集落にある壕跡へと向かいました。
同壕跡は、沖縄戦の際に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成された『ひめゆり学徒隊』がいた壕の1つなのだそうです。
沖縄県糸満市糸洲にある
『陸軍病院第二外科壕』☆
鬱蒼とした森の中にある『陸軍病院第二外科壕』。 |
※十字路の角に『ぬちどぅ宝』と記された小さな石碑があります。
小波蔵集落と糸洲集落を結ぶ道路と第二外科壕跡へ続く道路がぶつかる十字路にある小さな石碑。 |
『ぬちどぅ宝』の石碑がある十字路から少し入ってきた場所から見た外科壕跡がある丘陵地。 |
『糸洲第二外科壕』の入口。 |
道路から少し入って来たところ。左側に標柱、右側に石碑が建立されています。 |
入口左側に建立されていた『陸軍病院第二外科壕』と記された標柱。 |
また、資料によると栃木県宇都宮市出身で沖縄師範学校女子部の助教授であった内田文彦先生という人物と、与那嶺松助先生という人物の二人が引率教師だったのだそうで、『ひめゆり学徒隊』の生徒らもこの壕にいたんだそうですよ。
壕口に向かって右側に建立されている『ぬちとうたから』と刻まれた石碑。 |
お二人も生徒たちに遅れて『伊原第一外科壕(アブチラ壕)』に到着しますが、すでに解散命令が出された後だったため、お二人と生徒たちはこちらの壕も脱出したそうです。
陸軍病院 糸洲第二外科壕。 |
これ以降、内田先生は消息不明となり、また与那嶺先生は生き残ったそうですが、沖縄戦について多くは語らなかったため、『糸洲第二外科壕』についての詳細は不明となってしまったのだそうです。。。
(※参考⇒『ひめゆり平和祈念資料館 資料館だより』)
壕入口右側から内部の様子を見たところ。奥にコンクリート製の建造物が見えます。 |
また、以前は『守魂の塔』という慰霊塔(たぶん)が建立されていたみたいですが、現在は撤去されて、代わりに『ぬちとうたから』碑が建立してあるようです。
壕入口左側から内部を伺ったところ。壕入口にもコンクリートブロックの残骸が残されていました。 |
壕の真上に立っている大きなガジュマルの木。 |
(※参考⇒『沖縄洞窟探検 糸洲第二外科壕』)
壕入口左側の様子。 |
壕口右側の『ぬちとぅたから』碑後方の様子。 |
・・・と、『糸洲第二外科壕』を見学させて頂いた後は、この日最後に、第二外科壕からほど近い場所にあった"拝所"を見学しに向かいました。
今回は、少し短いですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『陸軍病院第二外科壕』☆
☆場所:〒901ー0342
沖縄県糸満市糸洲
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。