前々回にご紹介した金武町の屋嘉集落にある『底森御嶽』や『ヨリブサノ御嶽』などを見学した後、次に向かったのは屋嘉集落の北に位置する伊芸集落です。
この日は、あまり時間が無くて伊芸集落内の史跡は1ヵ所だけ訪れたんですが、後日、改めて足を運び、残りの史跡も見学してきました。
沖縄県国頭郡金武町伊芸にある
『伊芸のガジマルとその他の史跡』☆
伊芸集落のほぼ中央に位置する『伊芸のガジマル』。 |
この"ガジュマル"の巨木が立つ場所は、現在『がじまる公園』として整備されています。
『伊芸のガジュマル』が立つ『がじまる公園』。 |
≪金武町指定文化財 がじまる(クワ科)≫
≪一、種別 記念物一、指定 平成三年七月十八日
一、所在地 金武町字伊芸三十三番地
がじまるは部落の中心に位置し、周囲は伊芸遺跡の布分地で古くは拝所があり神アサギがあった。
がじまるは推定樹齢約三〇〇年、胸高円周三・九メートル、樹高十一メートルの巨木である。
『金武町指定文化財 がじまる(クワ科)』の説明板。 |
金武町教育委員会≫
・・・とありました。『伊芸のガジュマル』の太い枝から地面に伸びる気根。 |
公園横の道路上から見た『伊芸のガジュマル』の気根。 |
北側から見た『伊芸のガジュマル』。 |
また、ガジュマルの北側には"神アサギ"が設けられていました。
『がじまる公園』の北側にある"神アサギ"。 |
"神アサギ"の横から見た『伊芸のガジュマル』。 |
伊芸集落南側の国道329号線沿いにある『豊穣の大地記念碑』。 |
台座には『伊芸土地改良区事業完了記念碑』と記されていました。 |
この『豊穣の大地記念碑』を後にし、次に向かったのは、伊芸集落の北側に位置する『さくまつ公園』です。
集落北側の高台に位置する『さくまつ公園』。 |
伊芸集落の慰霊碑。 |
「平和の祈り」と題された詩が記された石碑。 |
≪平和の祈り≫
≪〇戦場ぬ哀り 忘てぃ忘らりみ 慰霊碑建やい 御霊祀ら〇命やかふかに 優る事わさみ 御霊人ゆ寄して 語てぃ継がな
〇戦場ぬ哀わり 肝に思み染みて 戦闘無ん浮世 創くていかな≫
という詩が記されていました。
碑文が記された石碑。 |
≪碑 文≫
≪第二次世界大戦に於いて散華された軍人軍属及び戦禍に巻き込まれ犠牲になられた一般区民の御霊を弔い、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく平和の尊さを正しく後世に伝え、世界の恒久平和実現への誓いと願いを込めて、金武湾と恩納岳を展望するゆかりの地、此処さくまつ公園内に全区民の心からなる浄財に依り、伊芸区戦没者七十六柱の御芳名と慰霊碑を建立する。
二〇〇七年(平成十九)八月吉日 建立 伊芸区民一同≫
・・・とありました。この慰霊碑を見学させて頂いた後、慰霊碑が建立されている場所から南側へ移動すると、木々が立ち並ぶ場所の一画に社を発見しました。
『さくまつ公園』内にあった拝所。 |
『さくまつ公園』内に建立されていた一基の香炉が納められた拝所。 |
上の写真の拝所を背に伊芸集落を見たところ。 |
『さくまつ公園』の斜面の麓にあった拝井泉。 |
拝井泉の内部の様子。貯水槽の手前に1基の香炉が置かれていました。 |
こちらの拝井泉は、もしかすると元々は別の場所にあって、後に現在の場所に移築されたのかもしれませんね。
※あくまでワタクシ個人の憶測ですが。。。
拝井泉を後にし、さらに北向けに進み、小さな十字路を左折します。
すると、左側の高台に伊芸区の集会所があるんですが、その出入口を挟んで向かい側に『ノロ殿内』がありました。
『伊芸地区集会所』の向かい側にある『ノロ殿内』。 |
ノロ家。 |
『ノロ家』の隣に建立されていた拝殿。 |
(※参考⇒金武町公式観光情報visitkintown『伊芸区アブシバレー』、金武町伊芸地区公民館『アブシバレー(虫払い、蛙払い)』)
道路上から見た拝殿の内部。祭壇と数基の香炉が見えました。 |
『ノロ殿内』の後方にある拝所への入口。 |
『ノロ殿内』後方にあった拝所。 |
『ノロ殿内』後方の拝所の内部の様子。2基の香炉が見えます。 |
『ノロ殿内』やこちらの拝所まで見学した後は、一旦クルマへと戻り、最後に集落の北東側に位置する"坊主森"と呼ばれる場所へ移動しました。
伊芸集落の北東に位置する"坊主森"。 |
その階段の下から上の方を伺うと、"拝殿"と記された社が建立されていました。
『山里和尚の墓』の入口。 |
上里和尚の墓。 |
実際、社の間口の上部に"拝殿"って記されていますしね。。。
また、社の後方には2基の石柱が立てられており、その手前に1基の香炉が設けられていました。
『山里和尚の墓』の社後方にあった2基の石柱と香炉。 |
伝承によると、かつてこの『山里和尚』という人物が、布教活動の最中、伊芸集落を訪れ、集落の農業振興に携わり貢献したため、住民から人望を得たんだとか。
んで、その子孫は伊芸集落に住む山里家と云われているんだそうですよ。
(※参考⇒ブログ:沖縄拝所巡礼・ときどき寄り道『伊芸の僧侶墓(いげいのそうりょばか)・補陀落渡海を実践した捨身行者かと・・・、妄想でした。』)
・・・と、この『山里和尚の墓』まで見学させて頂いた後は、伊芸集落を後にしました。
金武町内に点在する史跡のご紹介はまだ続きますが、この続きは、また別の回にご紹介しますね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
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☆『伊芸区内に点在する史跡』☆
☆場所:〒904ー1202
沖縄県金武町字伊芸【伊芸のガジマル・ノロ殿内・坊主森(山里和尚の墓)・豊穣の大地記念碑】など。
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。