金武町の伊芸集落にある推定樹齢約300年となるガジュマルと集落内に点在する史跡☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2018年4月29日日曜日

金武町の伊芸集落にある推定樹齢約300年となるガジュマルと集落内に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した金武町の屋嘉集落にある『底森御嶽』『ヨリブサノ御嶽』などを見学した後、次に向かったのは屋嘉集落の北に位置する伊芸集落です。

この日は、あまり時間が無くて伊芸集落内の史跡は1ヵ所だけ訪れたんですが、後日、改めて足を運び、残りの史跡も見学してきました。

沖縄県国頭郡金武町伊芸にある

『伊芸のガジマルとその他の史跡』

伊芸のガジマルの写真
伊芸集落のほぼ中央に位置する『伊芸のガジマル』。
伊芸集落を訪れたのは、集落のほぼ中央に位置する推定樹齢約300年にもなるという"ガジュマル"の巨木を見たかったから。。。

この"ガジュマル"の巨木が立つ場所は、現在『がじまる公園』として整備されています。
がじまる公園の写真
『伊芸のガジュマル』が立つ『がじまる公園』。
『伊芸のガジュマル』に近づいていくと、根元に説明板が設置されていたので、そちらを読んでみることに・・・

≪金武町指定文化財 がじまる(クワ科)≫
≪一、種別 記念物
 一、指定 平成三年七月十八日
 一、所在地 金武町字伊芸三十三番地

がじまるは部落の中心に位置し、周囲は伊芸遺跡の布分地で古くは拝所があり神アサギがあった。

がじまるは推定樹齢約三〇〇年、胸高円周三・九メートル、樹高十一メートルの巨木である。
伊芸のガジュマルの写真
『金武町指定文化財 がじまる(クワ科)』の説明板。
長い歳月を生き続けるがじまるは見事な気根を形成し、部落の歴史をその樹幹に刻み部落の風致景観を創り風水(フンシ)がじまるとして緑の潤を与え語らいの場を提供し区民のシンボルとして親しまれている巨木である。
金武町教育委員会≫
・・・とありました。
伊芸のガジュマルの写真
『伊芸のガジュマル』の太い枝から地面に伸びる気根。
伊芸のガジュマルの写真
公園横の道路上から見た『伊芸のガジュマル』の気根。
説明を読み終え、ガジュマルに近づいてみると、説明にあったように、無数に広がる枝から、地面に向かって太い気根が伸びており、幻想的な感じがしました。
伊芸のガジュマルの写真
北側から見た『伊芸のガジュマル』。
気根が伸びている場所からガジュマルの反対側へ回ると、その大きさがよく分かります。

また、ガジュマルの北側には"神アサギ"が設けられていました。
伊芸の神アサギの写真
『がじまる公園』の北側にある"神アサギ"。
伊芸のガジュマルの写真
"神アサギ"の横から見た『伊芸のガジュマル』。
・・・と、この日は、この『伊芸のガジュマル』を見学した後、そのままクルマに乗り込み、次の目的地へと向かったんですが、後日、再び伊芸集落を訪れ、その他の史跡を見学してきました。
豊穣の大地記念碑の写真
伊芸集落南側の国道329号線沿いにある『豊穣の大地記念碑』。
まず最初に訪れたのは、伊芸集落南側の国道329号線沿いにある石碑です。
豊穣の大地記念碑の写真
台座には『伊芸土地改良区事業完了記念碑』と記されていました。
石碑の左隣には『団体営農地開発事業』と題された案内板が設置されていたんですが、どうやらこの周辺の田畑の区画整理事業が完了した際に建立された記念碑となっているようですね。

この『豊穣の大地記念碑』を後にし、次に向かったのは、伊芸集落の北側に位置する『さくまつ公園』です。
さくまつ公園の写真
集落北側の高台に位置する『さくまつ公園』。
なぜこちらに立ち寄ったのかとゆーと、この公園内には、伊芸区の慰霊碑と拝所が建立されているんですよ。
伊芸集落の慰霊碑の写真
伊芸集落の慰霊碑。
慰霊碑は、4つに分かれて建立されており、向かって左側には「平和の祈り」と題された詩が刻まれた石碑が設けられ、右側には碑文が記された石碑が建立されていました。
伊芸区の慰霊碑の写真
「平和の祈り」と題された詩が記された石碑。
左側の石碑には・・・
≪平和の祈り≫
≪〇戦場ぬ哀り 忘てぃ忘らりみ 慰霊碑建やい 御霊祀ら

 〇命やかふかに 優る事わさみ 御霊人ゆ寄して 語てぃ継がな

 〇戦場ぬ哀わり 肝に思み染みて 戦闘無ん浮世 創くていかな≫
という詩が記されていました。
伊芸区の慰霊碑の写真
碑文が記された石碑。
そして右側の石碑には・・・
≪碑 文≫
≪第二次世界大戦に於いて散華された軍人軍属及び戦禍に巻き込まれ犠牲になられた一般区民の御霊を弔い、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく平和の尊さを正しく後世に伝え、世界の恒久平和実現への誓いと願いを込めて、金武湾と恩納岳を展望するゆかりの地、此処さくまつ公園内に全区民の心からなる浄財に依り、伊芸区戦没者七十六柱の御芳名と慰霊碑を建立する。
二〇〇七年(平成十九)八月吉日 建立 伊芸区民一同≫
・・・とありました。

この慰霊碑を見学させて頂いた後、慰霊碑が建立されている場所から南側へ移動すると、木々が立ち並ぶ場所の一画に社を発見しました。
さくまつ公園内にある拝所の写真
『さくまつ公園』内にあった拝所。
拝所の名称や何が祀られているかなどの詳細は不明ですが、社の内部には1基の香炉が納められていました。
さくまつ公園の拝所の写真
『さくまつ公園』内に建立されていた一基の香炉が納められた拝所。
んで、この拝所がある場所の前から斜面の下へと階段が伸びていたので、そちらを下りていき、斜面の麓を通る道路を北向けに進みました。
伊芸集落の写真
上の写真の拝所を背に伊芸集落を見たところ。
すると、その道中左側に、赤瓦屋根の綺麗な拝井泉を発見しました。
伊芸区の拝井泉の写真
『さくまつ公園』の斜面の麓にあった拝井泉。
こちらは、ごく最近改築されたようで白い柵で囲われており、とても綺麗に整備されていました。
伊芸区の拝井泉の写真
拝井泉の内部の様子。貯水槽の手前に1基の香炉が置かれていました。
拝井泉の内部には、方形の貯水槽が設けられ、その手前に1基の香炉が置かれていました。

こちらの拝井泉は、もしかすると元々は別の場所にあって、後に現在の場所に移築されたのかもしれませんね。
※あくまでワタクシ個人の憶測ですが。。。

拝井泉を後にし、さらに北向けに進み、小さな十字路を左折します。

すると、左側の高台に伊芸区の集会所があるんですが、その出入口を挟んで向かい側に『ノロ殿内』がありました。
ノロ殿内の写真
『伊芸地区集会所』の向かい側にある『ノロ殿内』。
高台にある家屋の出入口の塀に『ノロ殿内』と記されていたので、そこから入っていくと、そこにある家屋に『ノロ家』と記されていました。
ノロ家の写真
ノロ家。
ネットに上がっている情報によると、伊芸区の"ノロ(祝女)"は、現在後継者がいない状態となっているようですね。
ノロ殿内の写真
『ノロ家』の隣に建立されていた拝殿。
金武町伊芸地区公民館のブログによると、五穀豊穣を願う『アブシバレー(虫払い、蛙払い)』という旧暦4月の吉日に行なわれる行事の際に、こちらの『ノロ殿内』や"神家"で御願が行われ、その後に浜に出て『アブシバレー』を行うんだそうですよ。
(※参考⇒金武町公式観光情報visitkintown『伊芸区アブシバレー』、金武町伊芸地区公民館『アブシバレー(虫払い、蛙払い)』)
ノロ殿内の写真
道路上から見た拝殿の内部。祭壇と数基の香炉が見えました。
また、『ノロ家』と拝殿の後方にも"拝所"が設けられていました。
ノロ殿内後方の拝所の写真
『ノロ殿内』の後方にある拝所への入口。
ノロ殿内後方の拝所の写真
『ノロ殿内』後方にあった拝所。
こちらの拝所は、先述した『さくまつ公園』内にある拝所の社と、造りが少し似ているんですが、屋根の形が違っており、また内部に収められている香炉も、こちらは2基でした。
ノロ殿内後方にある拝所の写真
『ノロ殿内』後方の拝所の内部の様子。2基の香炉が見えます。
また、社の間口の左右には、"奉納"と記されており、"皇紀二千六百年記念""昭和十五年辰旧九月三日建設"とも記されていました。

『ノロ殿内』やこちらの拝所まで見学した後は、一旦クルマへと戻り、最後に集落の北東側に位置する"坊主森"と呼ばれる場所へ移動しました。
坊主森の写真
伊芸集落の北東に位置する"坊主森"。
近くの空きスペースにクルマを停めさせてもらい、さっそく見学へ向かうと、道路から森の南側へ小道が伸びており、その先に丘の上へ伸びる階段が設けられていました。

その階段の下から上の方を伺うと、"拝殿"と記された社が建立されていました。
山里和尚の墓の写真
『山里和尚の墓』の入口。
冒頭でご紹介した『伊芸のガジュマル』が立つ『がじまる公園』内に設置されていた伊芸エリアマップによると、こちらの社は『上里和尚の墓』なんだそうです。
上里和尚の墓の写真
上里和尚の墓。
階段を上がって社に近づいてみると、"御墓"って感じではなく、むしろ"拝所"っぽかったですね。
実際、社の間口の上部に"拝殿"って記されていますしね。。。

また、社の後方には2基の石柱が立てられており、その手前に1基の香炉が設けられていました。
山里和尚の墓の写真
『山里和尚の墓』の社後方にあった2基の石柱と香炉。
右側の石柱は、劣化が酷く、文字などは見当たりませんでしたが、左側の石柱には「大清康凞五十九年 天 権大僧都法卯頼宥 庚子十月二十二日去 正位」と記されていました。(※石柱の漢字は、個人的に判読しているので、正確ではありませんが。。。)

伝承によると、かつてこの『山里和尚』という人物が、布教活動の最中、伊芸集落を訪れ、集落の農業振興に携わり貢献したため、住民から人望を得たんだとか。

んで、その子孫は伊芸集落に住む山里家と云われているんだそうですよ。
(※参考⇒ブログ:沖縄拝所巡礼・ときどき寄り道『伊芸の僧侶墓(いげいのそうりょばか)・補陀落渡海を実践した捨身行者かと・・・、妄想でした。』)

・・・と、この『山里和尚の墓』まで見学させて頂いた後は、伊芸集落を後にしました。

金武町内に点在する史跡のご紹介はまだ続きますが、この続きは、また別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ  

『伊芸区内に点在する史跡

☆場所:〒904ー1202
      沖縄県金武町字伊芸【伊芸のガジマル・ノロ殿内・坊主森(山里和尚の墓)・豊穣の大地記念碑】など。

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。