前々回にご紹介した那覇市小禄の『森口公園』内にある『小禄ノ嶽』を見学した後、一旦クルマに戻ったんですが、スマホでちょこっと調べてみると、同区内にも"火之神"や"ビジュン"などの拝所が点在しているらしいので、今度は区内を散策してみることにしました。
※今回も少し長くなりますので、ご了承下さい。。。🙇
沖縄県那覇市小禄の区内にある
『拝所・石畳・井戸跡などの史跡群』☆
閑静な住宅街の一画にひっそりと佇む『小禄里主所火神』。 |
なので、まず最初に『小禄ノ嶽まーい』の分布図が示すその場所に行ってみると・・・
『カミガー(カミンガー)』があった場所。 |
唯一、"井戸跡"っぽい痕跡といえば、土地の一画にコンクリートブロックで造られた四角い箱状のものがあるのみでした。
木々が植樹された場所の一画にあったコンクリートブロックで造られた箱状のもの。 |
この『カミガー(カミンガー)』跡からさらに坂を下ると、道沿い右側に小さな丘があり、そこにいくつかの祠らしきものが見えたので、そちらへ上ってみると・・・
『賓頭盧(ビジュン)』の拝所がある小さな丘。右の道を上がっていくと『森口公園』です。 |
『賓頭盧(ビジュン)』。 |
『賓頭盧(ビジュン)』の祠。その後方にもいくつかの小さな祠がありました。 |
この屋根の形の祠は、字小禄のオリジナルなんだそうですよ。
大きな祠の右後方にある2基の小さな祠。 |
インドの仏教を護持しようと誓ったとされる十六羅漢の筆頭で仏様をお守りするための修行者の一人なんだそうです。
祠の左後方。5基の祠がありました。 |
※(参考資料⇒字小禄財産管理運営会『小禄字誌 編集委員会だより No.2』)
こちらの拝所は、旧暦の4月の『腰ユックイ(クシユックイ)』(農民の一年間の収穫祝い)という年中行事の際に、野菜のおつゆや豚肉の煮物をお供えするのだそうですよ。
※(参考資料⇒『旧小禄村における年中行事』)
この『賓頭盧(ビジュン)』の"拝所"を後にし、さらに坂を下っていくと、その下を横切る道路の手前右側に広場があり、そこには大きな石碑が建立されていました。
正七位 高良隣徳先生顕彰碑。 |
その碑文を読んでみると・・・
≪正七位 高良隣徳先生顕彰碑≫
≪明治五年 小禄村字小禄 屋号 沢岻で出生明治二九年 東京高等師範学校卒業
明治四四年 県立第二中学校初代校長
大正五年 県会議員当選
大正六年 沖縄県議会第五代議長
大正八年 議長在職中死去
正七位 高良隣徳先生顕彰碑。台座部分には石像が納められていました。 |
又当時の官僚の独断的植民地視に抗して県政に参画し県民福祉のため活躍されました。≫
・・・とありました。
この"顕彰碑"がある広場の、『森口公園』へ伸びる道路を挟んで反対側には『字小禄ハワイ会館』という建物があるんですが、この会館の前の道路を挟んだ向かい側に細い階段があります。
字小禄ハワイ会館。 |
『高良隣徳先生顕彰碑』と『字小禄ハワイ会館』の道向かいにあった拝所。 |
こちらの拝所を見学した後、階段を引き返して『字小禄ハワイ会館』前の道路に戻り、
西側へと移動します。
"会館"前から約140mほど進んでいくと、『小禄ノ嶽まーい』によると、この付近に『イリガーガー・アシビナー跡』があるとのことでしたが・・・
『字小禄ハワイ会館』から西へ約140mほど進んできたところ。 |
んで、この約140m地点からさらに西向けに約30mほど進むと、右側に中ほどまで砂利が敷かれた小道があるんですが、その先に行ってみると・・・
『小禄里主所火神』に通ずる小道。 |
祠の内部には、手前側に香炉と祭壇が置かれ、その後方には霊石が祀られていました。
小禄里主所火神。 |
この『小禄里主所火神』は、小禄間切全体の"火ヌ神"なんだそうで、こちらも"小禄ノロ"が司っているとのことです。
※(参考資料⇒字小禄財産管理運営会『小禄字誌 編集委員会だより No.1』)
この『小禄里主所火神』を見学した後、再び『字小禄ハワイ会館』向けに進み、会館を通過してすぐ右側に細い石畳があります。
坂下から見た『神通(カミミチ)』と呼ばれる石畳。 |
※(参考資料⇒『那覇まちま~い ④小禄に残る古道を歩く』)
そして、この石畳の中間あたり右側に脇道があるんですが、その脇道奥に『小禄ノロ火之神』が祀られている『小禄呑殿内(ウルクヌンドゥンチ)』があります。
※(参考⇒那覇市歴史博物館『小禄ノロ殿内』)
この『神アシャギ』のある場所から、先程の『神通(カミミチ)』の石畳を下り、石畳終点を左折すると、すぐ右側に『ヌールガー跡』があります。
ヌールガー跡。 |
※あくまで個人的な憶測なので、定かではありませんよ。
『ヌールガー跡』を見学した後、東向けに進むとすぐ南北に伸びる道に出ます。
今度は、この道を北向けに約70mほど進んでいくと、2基の"井戸跡"があります。
この小道の中間あたりと奥に2基の"井戸跡"があります。 |
カー(井戸跡)。 |
ビンガー。 |
『ビンガー』の後方に立てられていた小さな石碑。 |
この2基の"カー(井戸跡)"を後にし、一旦『森口公園』の入口前に向かいます。
んで、公園入口から東へと伸びる遊歩道があるんですが、今度はその先へと進みます。
ちなみにこの遊歩道は、かつては"石畳の道"だったそうですよ。
この遊歩道を進んでいくと、途中から階段になっており、階段下は急激に狭まりますが、そこを抜けると、左側に『クシンカーガー』という"井戸跡"があります。
後ン川ガー(クシンカーガー)。 |
『後ン川ガー』。左側に香炉が1基置かれており、香炉にも『後ン川ガー』と記されていました。 |
この『クシンカーガー』からさらに東へ進み、『ナカミチ』と称される道に出ます。
そしてこの『ナカミチ』を北へ進んでいくと、右側に『ミーガーモー』と呼ばれるかつての小禄村の『アシビナー(遊び庭)』があります。
ミーガーモー。 |
『ミーガーモー』の拝所(右)と『原石(ハルイシ)』(左)。 |
『ミーガーモー』の拝所。 |
原石(ハルイシ)。 |
班ヌカー。 |
そして、『小禄ノ嶽まーい』によると、『班ヌカー』から北へ約65mほど距離右側に『九班ヌカー』があるとのことで、分布図にあるイラストでは『班ヌカー』とほぼ同サイズの大きさらしいんですが、その場所へ行ってみるとそのような"井戸跡"は見当たりません。。。
んで、その周辺をちょこっと見渡してみると、駐車場の一画に小さな祠と筒状のものが設置されているのを見つけました。
『九班ヌカー』の拝所(?) |
※あくまで憶測なので、定かではありませんよ。。。
そして、この場所から『ナカミチ通り』をさらに北上し、県道221号線に出て左折すると、すぐ左側に『後原ヒージャー小(ヒーザーガー)』と呼ばれる拝所があります。
後原ヒージャー小(ヒーザーガー)。 |
昔ほどではないそうですが、現在も水を湛えているとのことですよ。
ワタクシが訪れた際は、水は見当たりませんでしたが。。。
後原ヒージャー小(ヒーザーガー跡)。 |
公園入口まで戻ってきた時に、再度、資料に目を通すと、あと一ヵ所"石畳"が残されているのを発見してしまいました(泣)
冒頭でご紹介した『カミガー(カミンガー)』横の小道から入って、突き当りを右折すると、すぐ左側に綺麗な『石畳』の道がありました。
『森口公園』入口近くにあった『石畳』。 |
『石畳』近くにあった小さな"井戸跡"。 |
・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。
今回は、3回に分けて那覇市小禄内にある史跡をご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか?
もし興味がある方は、以前ご紹介した『小禄グスク』や『小禄ノ嶽』を訪れた際には、区内をゆっくり散策してみて下さいね。
それでは、かなり長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『小禄区内に点在する史跡』☆
☆場所:〒901-0152
沖縄県那覇市小禄(字)
☆見 学:無料
☆駐車場:あり(森口公園)
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。