前々回にご紹介した南城市玉城富里の陸上競技場横にある『百十踏揚の墓』を見学した後、同競技場の南側に位置する富里集落内に点在する史跡を見学しに向かいました。
まず最初に向かったのは、富里公民館横にある史跡で、こちらには井戸跡と丘の上に拝所があります。
沖縄県南城市玉城富里にある
『富里集落内の拝所群』☆
『富里公民館』近くにある『正泉井』と『宇堂志御願』 |
富里公民館前に到着し、すぐさま見学開始、まずは公民館横の小高い丘の麓に位置する『正泉井(せいせんがー)』と呼ばれる井戸跡です。
正泉井(せいせんがー) |
サイトの紹介ページには、「枯れることのない」とありましたが、ワタクシが訪れた際は、水が出ていませんでしたね。。。
反対側から見た『正泉井』 |
『正泉井』の後方に立てられていた『水道工事竣工記念碑』 |
『正泉井』を見学した後、その後方の小高い丘の上へと向かいました。
公民館に隣接する小高い丘の頂上付近にある『宇堂志御願』 |
宇堂志御願 |
≪宇堂志御願≫
≪宇堂志家とは摩文仁間切の小渡・米須から移住してきて富里の各拝所の管理を任されたと伝わっている旧家です。宇堂志御願の約七百坪もの森はすべてが聖域とされ、葬列がこの前を通ることは禁じられているほどです。
高台であることから、大正期に加留井(かるがー)より水をひいて、ここに貯水タンクを設置し、各所へ配水しました。
南城市教育委員会 平成29年1月設置≫
・・・とありました。宇堂志御願 |
この『宇堂志御願』を見学した後、次に向かったのは、集落の南側に位置する『高庭殿』と称される史跡です。
その史跡へ向かう途中の小道沿いにも拝所を偶然発見しちゃいました。
武堂志拝所(奥武大城門中) |
また、この拝所は『昭和五七年六月』に竣工されたようです。
こちらの拝所を後にし、さらに集落南側へ移動します。
高庭殿(たかまーぬとぅん) |
標柱の立つ場所から奥の方へ簡易的なコンクリートブロックの階段があり、そちらへ少し入ってみると、右側に小屋が2棟並んで建てられていました。
『高庭殿』に建てられていた2棟の小屋。 |
『高庭殿』の広場。 |
"殿(とぅん)"とは、ムラの年中行事"ウマチー"などで拝みを行う場所のことで、こちらは「高い場所に位置する庭の拝所」ということから、『高庭殿』と呼ばれるようになったみたいですね。
『高庭殿』を後にし、今度は北西側へ移動します。
すると、小道沿いに"井戸跡"がありました。
平泉井(へいせんがー) |
こちらは、コンクリートブロックで囲われており、内部の様子は全く見えません。
反対側から見た『平泉井』 |
※あくまでワタクシ個人の憶測ですので、定かではありません。
また、この『平泉井』の正面に伸びる小道があるんですが、こちらは『富里の石畳道』と称されているようです。
富里の石畳道 |
敷地出入口には綺麗なアーチ門が造られています。
富里の石畳道 |
富里の石畳道 |
屋武多井(やんだがー) |
入口から見た『屋武多井』 |
奥から見た『屋武多井』の貯水槽。 |
『屋武多井』改修碑 |
・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、この日はこのまま帰宅の途に就きました。
今回は、富里集落内に点在する7ヵ所の史跡を回りましたが、この他にもまだいくつかの史跡が点在しているようなので、またいつか機会を設けてそちらの方も回ってみたいと思います。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
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☆『富里集落内に点在する史跡』☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市玉城富里
☆見 学:無料
☆駐車場:無し