船越グスク西側に位置するムラ拝みの際に参拝される拝所群と呑殿内☆|沖縄放浪日記

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2017年8月18日金曜日

船越グスク西側に位置するムラ拝みの際に参拝される拝所群と呑殿内☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回のブログ記事の続きです。

『船越グスク』の北側の森の中にある『蒲葵生嶽』と記された拝所を後にし、さらに北に伸びる獣道へ進んでいきました。

沖縄県南城市玉城船越にある

『船越の拝所群』

船越の拝所群の写真
船越の森の中にある『スヌファンカナファン御嶽』と呼ばれる拝所。
すると、獣道沿いにロープが設置されており、所々、小さな洞穴がいくつか点在していました。
船越の拝所群の写真
拝所後方から北西へと伸びる獣道。道路沿い右側に小さな洞穴がいくつか点在していました。
んで、さらに進んでいくと、その途中の右側に"ガマ"がありました。
船越の拝所群の写真
獣道の途中右側にガマがありました。
船越の拝所の写真
"ガマ"の入口には木の枝が穴を塞ぐように置かれていました。
洞口には、ご覧の通り穴を塞ぐような形で木の枝が置かれており、内部に進入出来ないようにされていました。

もしかすると、戦時中はこちらも"避難壕"として使用されていたのかもしれませんね。。。

表から内部をちょこっと伺うと、結構深いような感じがしましたね。

このガマを後にし、さらに進んでいくと、先程の『蒲葵生嶽』の拝所と同じ形の拝所が現われました。
船越の拝所群の写真
『神之端嶽』と記された拝所。
こちらの拝所は、祠の前に5基の香炉が置かれており、内部には『神之端嶽』と記されていました。

そして、この拝所の前から獣道の先を見ると、一際大きな祠が立てられているのが見え、その先には表の道路が見えました。
船越の拝所群の写真
手前右側の祠が『神之端嶽』の拝所。左奥に大きな祠が見えます。
どうやら、『船越グスク』の森の西側に出たようで、大きな祠の後方にも出入口の階段が設けられており、その階段の入口には『船越の拝所群』と題された説明板が設置されていました。

大きな祠を見学する前に、まずはその説明を読んでみることに・・・
船越の拝所群の写真
山川之殿
≪船越の拝所群≫
≪一帯の森は、最初の船越集落が建てられたところです。

近世になって集落は平地に移転しましたが、ムラの祭祀所や井泉(かー)は崇拝の対象として受け継がれてきました。

下の4つは、いずれも『琉球国由来記』に記載のある古い拝所で、今もムラ拝みの時に参拝しています。
船越の拝所群の写真
『船越グスク』の森の西側の入口に設置されていた『船越の拝所群』の説明板。
【山川之殿(やまがーぬとぅん)
公儀の殿であったといわれます。昔は稲二祭(五月ウマチーと六月ウマチー)には富名腰祝女が神歌を歌って祭祀を行ったといい、今でもウマチーには多くの人が参拝します。

【神ノハタノ嶽御イベ(かみのはたのたきういべ)
ここでは、現在スヌファンカナファン御嶽(園比屋武・金満)と呼ばれ、首里城へのお通しとされる拝所を示していますが、幸地山御嶽のことという説もあります。

【富名腰里主所火神(ふなくしさとぅぬしどぅくるひぬかん)】
脇地頭の富名腰親雲上(ふなこしぺーちん)由来の火之神です。

【クバウノ嶽御イベ(くぼーぬたきういべ)
クバの木は神の依代といわれ、御嶽によくみられます。かつて一帯はクバの林でした。近年まで船越の御嶽はすべて三日月と太陽を彫った素焼きの祠が設置されていました。
南城市教育委員会 平成29年1月設置≫
・・・とありました。
船越の拝所群の写真
『山川之嶽』と、その前にあった遺構。
どうやら、先程の大きな祠は、『山川之嶽』と呼ばれる拝所で、五月・六月のウマチーの際に参拝する拝所のようですね。

また、この『山川之殿』の前には、祭祀の際に使用するための祭壇(?)らしき遺構がありましたよ。

あと、説明にあった『神ノハタノ嶽御イベ』は、先程の『神之端嶽』の拝所、そして、『クバウノ嶽御イベ』は、『蒲葵生嶽』の拝所を指していると思います。

そして、残りの『富名腰里主所火神』の拝所なんですが、『神ノハタノ嶽御イベ』と『クバウノ嶽御イベ』の拝所のちょうど中間点にあると配置図にあったので、その一帯を探してみたんですが、"祠"らしきものは見つけることが出来ませんでした。。。
船越の拝所群の写真
拝所
この『山川之殿』まで見学した後、今来た道を引き返し、一旦『船越グスク』の入口まで戻ることにしました。

戻る途中、前々回の記事でご紹介した『名嘉門中祝女墓』の向かい側から崖下へ伸びる獣道があったので、そちらの方へ行ってみると、斜面に石積みの拝所が2基ありました。

双方の祠の内部には香炉が2基ずつ納められていました。
船越の拝所群の写真
上の写真の拝所の隣にあった拝所。
この2基の拝所を見学した後、戻ろうとすると、小さい方の拝所の右後方から細い獣道が奥へ伸びていたので、そちらの方へ行ってみると・・・
船越の拝所群の写真
古い拝所とガマ。
そちらにも石積みの古い拝所が1基あり、その後方に"ガマ"がありました。

この拝所とガマの前から、さらに右奥へと獣道が伸びており、奥に石垣が見えたので、さらにそちらにも行ってみると・・・
船越の拝所群の写真
拝所とガマの前から獣道の奥を見たところ。低い石垣が見えます。
獣道の突き当りにも、拝所がありました。
船越の拝所群の写真
獣道の突き当りにあった拝所。
・・・と、この4基の拝所とガマを見学させて頂いた後、斜面を上がり、『船越グスク』の入口へと戻りました。

グスク入口を出て、今度は表の道路からグスク域を回り込むようにして、森の西側へと向かいました。
船越の拝所群(呑殿内)の写真
呑殿内(ぬんどぅんち)
すると、道路沿いに"拝所"らしき建物がある敷地があったんですが、入口には鎖がしてあったので、そのまま通過していくと、建物へ上る階段があり、その横の壁に説明が記された案内板が設置されていました。

その説明を読んでみると・・・
船越の拝所群(呑殿内)の写真
『呑殿内』の入口と説明が記された案内板。
≪呑殿内(ぬんどぅんち)と富才(ふせー)家≫
≪吞殿内はムラの祭祀を司った祝女の屋敷跡です。祝女はもとは呑殿内の隣にある富才家から出ていたのが、のち呑殿内家に変わったといいます。

船越最後の祝女は沖縄戦で戦没され、以後途絶えてしまいました。

呑殿内の屋敷上方には『琉球国由来記』にも名の見える富名腰巫火之神(ふなくしぬるひぬかん)が祀られています。

富才の神屋と呑殿内の神屋には、ミーメー綱引きとムラ拝みの際に区で参拝します。

※個人の敷地内については、無断で立ち入ることはご遠慮ください。
南城市教育委員会 平成29年1月設置≫
・・・とありました。
さっきの入口からそのまま入らなくて良かったぁ。。。💦

説明にある『富才家』は、この案内板のある場所から、西へちょこっと進むと、すぐ右側にあります。
船越の拝所群(富才家)の写真
道路上から見た『富才(フセー)家』
『呑殿内』と『富才家』を後にし、さらに道路を進んでいくと、先程ご紹介した『山川之嶽』の横に辿り着きます。

ここもそのまま通過すると、すぐ右側に脇道があるんですが、今いる道路と脇道の角にもカー(井泉)跡があります。
船越の拝所群(カー跡)の写真
カー(井泉)
こちらの『カー(井泉)跡』の手前にも香炉が1基置かれていて"拝所"となっているようなんですが、ご覧の通り雑草が生い茂っており、長い間手付かずのような状態でした。。。
船越の拝所群(カー跡)の写真
『カー』の内部も雑草が繁茂していたので、水があるのか確認出来ませんでした。。。
こちらの『カー跡』まで見学した後は、そのままクルマへと戻り、また次の目的地へと向かいました。

『船越グスク』を出て、坂をちょこっと下ると、右側に大きな木があり、その根元に石垣の遺構が見えたので、クルマを停めてそちらへ行ってみると、こちらにも『カー跡』がありました。
船越の拝所群(カー跡)の写真
『船越グスク』の南側の道路沿いにあった『カー跡』
『カー』の上部には金網が設置されていました。
周辺は雑草が繁茂しており、こちらも長い間手付かずの状態っぽかったですね。。。

・・・と、この『カー跡』も見学させて頂いた後は、今度こそ、次の目的地へと向かいました(笑)

今回もちょっと長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回にご紹介致します。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
船越集落内にあるグムイの写真
船越集落内にあった『グムイ』。こちらは比較的綺麗な状態が保たれており、水草が繁茂しておりました。
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『船越の拝所群


☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市玉城船越

☆お問合せ:098-946-8990(南城市役所 大里庁舎 文化課)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し