この前、前々回にご紹介した『伊計グスク』を見学した後、この日最後に向かったのは伊計島の北西の海岸沿いの崖下にあるカー(井泉)です。
こちらは、うるま市の文化財に指定されているんだそうで、かつては島の住民の生活用水として使用されていたそうなんですが、現在も豊富な水を湛えており、今では島の農業用水として活用されているんだそうですよ。
沖縄県うるま市与那城伊計の伊計島にある
『犬名河(インナガー)』☆
伊計島北西の海岸沿いの崖下にある『犬名河(インナガー)』 |
※脇道のある交差点の角には案内板が設置されていますので、すぐ分かると思います。
左折して、そのまま突き当りまで直進していくと、右側に石碑が建立された場所にたどり着きますので、その場所から崖下へと続く遊歩道がありますので、その終着点にあります。
『犬名河(インナガー)』の入口。 |
『犬名河』入口の前は広大な畑が広がっています。 |
『犬名河』入口に建立されている『犬名河由来記』の石碑 |
≪「犬名河」由来記≫
≪「犬名河」は伊計部落より北西約一粁の処から更に急勾配の石段を百五十段も下りた崖下の海岸近くにあり、今から数百年も昔、農夫が畑仕事をしていると、犬がずぶぬれになって身震いしながら海岸から上がって来る。不思議に思って從いて行くと犬が湧き出る泉で水浴びをしていたという。
『犬名河』へと続く石段。勾配がキツい上に結構長かったですね。。。 |
しかし、部落からの道程が遠く百五十余の石段の上り下りは住民にとってかなりの労働だった。
伊計人の嫁や ない次しゃやあしが 犬名河の水の 汲みぬあぐで
という当時の娘達の心情を吐露した名歌が残されている。
遊歩道途中から崖下を見たところ。ここもかなり勾配がキツかったですね。 |
戦後米国沿岸警備隊の駐留に伴い場水機の増力、貯水タンクの造設、水源地の拡張等により「犬名河」の水事情は更に改善された。
時代は移り、昭和五十七年四月伊計大橋の開通と共に上水道が導入されることとなって「犬名河」の住民に対する生活用水としての使命は農業用水として更に新しい氏名を担って伊計住民の生活と深く関り続けて行くことでありましょう。
昭和五十九年十二月≫
・・・とありました。『犬名河』手前にある廃墟。 |
由来に記されていた、戦後に米国沿岸警備隊が増設・拡張した際に造られたであろう建造物がありました。
ご覧の通り、現在は廃墟と化していました。。。
「犬名河」後方の斜面は石積みで補強されていましたね。 |
中を除くことはしませんでしたが、現在も溢れ出るくらい豊富な水を湛えていました。
遊歩道側から見た『犬名河』 |
『犬名河利用者へ』と題された注意書きには、『管理は、伊計自治会が行っておりますので、ご利用される方はご連絡下さい。』とありました。
貯水槽には水を汲む穴が設けられていました。 |
『犬名河』貯水槽入口。下部には数枚の小銭が置かれていました。 |
反対側から見た『犬名河』 |
『犬名河』の囲いの外にあった拝所。 |
『犬名河』前の海岸北側。 |
遊歩道から見た『犬名河』の前に広がる海。 |
『犬名河』の前の海岸南側。 |
・・・と、ここまで見学した後、そのままクルマへと戻りました。
農道上から見た『神山御嶽遺跡』 |
んで、クルマを停めて近づいてみると、森の入口に『神山』と記された標柱を発見しました。
後日、こちらをちょこっと調べてみると、伝承によると伊計部落の旧村落であったとされる場所なんだそうです!
『神山御嶽遺跡』の入口 |
出土遺物から見ると、グスク時代の遺跡と見られているとのことです。
さらに、遺跡周辺も試掘調査が行なわれたことがあるんだそうで、建物の柱跡とみられる遺構が発見されており、楔石が入った柱跡も発見されているんだそうですよ。
『神山御嶽遺跡』内部 |
拝所 |
石垣で囲われた拝所。こちらには香炉が2基置かれてました。 |
伊計島には、前々回と今回ご紹介した史跡の他に、まだいくつかの史跡が点在しているみたいなので、また時間を設けて、見学しに行きたいですね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『犬名河(インナガー)』☆
☆場所:〒904-2421
沖縄県うるま市与那城伊計1012(伊計島)
☆見 学:無料
☆駐車場:あり(石碑が建立されている前に2台ほど駐車可能)