昨日(10日)は、午後2時を少し過ぎたくらいから時間が空いたんで、久々に糸満市まで出かけてきました。
んで、糸満市内にある食堂で遅めの昼食をとった後、同市真壁にあるグスク跡へ向かいました。
こちらは、14~16世紀に栄えたグスクであったとされており、糸満市大里にある『南山グスク』の出城として築かれたといわれているんだとか。。。
沖縄県糸満市真壁にある
『真壁グスク』☆
南側から見た『真壁グスク』遠景 |
そこから約70mほど進んでいくと、道路沿い右側にあります。
道路沿いにある『真壁公園』の出入口。 |
『真壁公園』の駐車場 |
駐車場にクルマを停め、さっそく見学を開始しました。
まずは公園の出入口に設置されている『真壁グスク』の説明板を読んでみることに・・・
公園出入口に設置されていた『真壁グスク』の説明板。 |
≪史跡 真壁グスク≫
≪真壁グスクは三つの郭から成るグスクで、三山分立時代に南山城の出城として築かれたといわれています。地元では「寺山」と呼ばれ、南側のグスク入口近くには真壁神宮寺が建っています。
伝承によると、「真壁按司は白馬を飼っていた。その馬をめぐって国頭按司との間に争いが起こり、真壁按司は戦いに敗れた。忠義心の厚い白馬も主人の後を追ってしんでしまったという。
のちに、真壁按司の子孫が按司の倒れた場所で霊石を見つけ、それを祀るために建てたのが真壁神宮寺の始まり」と伝えられています。(『球陽外巻ー遺老説伝ー』 1745年)
説明板後方には『真和の塔』という慰霊塔と詩碑が建立されています。 |
調査は展望台のある一の郭を中心に行われ、掘建柱の建物跡が確認されています。
出土遺物にグスク土器、外国産陶磁器、鉄器、古銭、炭化米、獣魚骨などがあり、14~16世紀に栄えたグスクであることがわかりました。
城壁は一部に切石積みが用いられていますが、ほとんどは野面積みで仕上げられています。
平成9年2月糸満市教育委員会≫
・・・とありました。説明を読み終え、まずは説明板後方にある二基の石碑が建立されています。
製糖に纏わる詩碑 |
どうやら製糖に関する誌のようです。
そして、もう一方の石碑を見学しに行くと、『真和の塔』と記されており、碑の下部に碑文が記されていました。
真和の塔 |
【『真和の塔』 碑文】
≪昭和二十年五月下旬新垣 与座岳真壁の線に放列陣地をしいた第五砲兵司令官和田考助中将指揮下の野砲兵第二十四連隊及び野戦高射砲第八十一大隊等の将兵は優勢なる米軍の砲爆のもと勇戦奮闘その火砲全部を破壊されるも怯まず全員白兵斬り込みを敢行して壮烈なる最後を遂げたり。ここに南方同胞援護会の助成を得てこの塔を建て永くその偉烈を伝う。
昭和四十一年三月 財団法人 沖縄遺族連合会≫
・・・とありました。どうやら新垣や与座岳真壁に陣地を構えていた旧日本軍の部隊の慰霊塔となっているようですね。。。
そして、詩碑と『真和の塔』を見学した後、駐車場を通過して公園の奥へと向かいました。
公園駐車場に建立されていた『田里朝直生誕三百年記念顕彰碑』 |
顕彰碑の裏側には、碑文が記されていたので引用させて頂きます。
【田里朝直 生誕三百年記念顕彰碑 碑文】
≪今世紀から未来永劫にかけて沖縄の伝統芸能「組踊」の継承発展を念じつつ 田里朝直の業績を顕彰し生誕三百年にあたり「義臣物語」「月の豊多」の舞台となっているここ糸満市の景勝地に建立する。
二〇〇三年十一月二十八日≫
・・・とありました。顕彰碑を見学し終え、さらに公園奥へと歩を進めます。
駐車場に隣接する広場。 |
園内には遊具も設置されています。 |
園内の遊具のある場所から南側には、大きな慰霊塔が建立されています。
満霊之塔 |
こちらも、碑文を引用させて頂きます。
【満霊之塔 碑文】
≪大東亜戦争終結五十周年にあたり、アジア・南方諸地域及び沖縄戦で亡くなられたすべての人々の御霊を永久に慰霊顕彰するとともに、恒久平和の切なる願いをこめて、市民はじめ全遺族の総意を結集し、ここゆかりの地の真壁公園内に、糸満市出身戦没者の「満霊之塔」を建立する。御霊は、祖国のために尊い生命を捧げられたのであり、私たちは常に尊崇と感謝の念を堅持し、生命と平和の尊さを肝に銘じ、二度と戦争の悲劇を繰り返してはならないことを願っている
今日、わが国が、この半世紀に亘り、自由と平和の恩恵を享受し繁栄しているのも、これひとえに、諸霊の犠牲の上にあることを私たちは決して忘れてはならない。
『満霊之塔』の碑文 |
この塔には、日露戦役をはじめとし、幾多の戦争と沖縄戦で散華なされた人々の御霊一万千七百余柱を鎮魂の願いをこめて合祀する。
私たちは、常に御霊の心を心として、その面影を偲びつつ、末永くみ心安らかに眠られんことを祈念するとともに、二十一世紀に向け、多くの人々と手を携えて、恒久平和の実現に邁進することを固く誓うものである。
平成八年三月吉日 建立 糸満市遺族会 糸満市≫
・・・とありました。『満霊之塔』を見学した後、先程の遊具の反対側に建立されている『真壁宮』を見学しに向かいました。
遊歩道上から見た合祀された拝所(手前)と『真壁宮』(奥) |
【真壁宮(まかべぐう)】
≪「真壁のティラ」とも言われ、祭神は弁財天(べんざいてん)と真壁按司の霊石。南山時代の創建という。按司の裔孫に当たる首里(しゅり)大屋子(おおやこ)が祠を建て奉安した。
真壁宮 |
航海安全、安産の神として、琉球諸島各地から参拝者がある。
祭祀は真壁按司の子孫とされる新垣(しんがき)家(屋号兼元(かねもと))が行う。祭日は旧暦9月9日。≫
・・・とありました。
ワタクシが訪れた時は、ご覧の通り神殿の扉は閉ざされていて内部を確認することは出来ませんでしたが、内部には、霊石が祀られているんだそうですよ。
また、判読できた旧説明板の一文によると、『真壁宮』は、琉球八社の内の『沖宮(おきのぐう)』(奥武山運動公園内)の末社(分社)と伝えられているんだそうですよ。
『真壁宮』の隣にあった拝所 |
拝所内部に祀られていた霊石と香炉 |
祭壇と思われる棚には4基の香炉が置かれていました。 |
園内の一番奥にある階段。 |
園内の最高所となる場所にあった展望台 |
そして、冒頭でご紹介したグスクの説明にあった『堀建柱の建物跡』は、この場所で発見されたんだそうですよ。
展望台の前にある広場。 |
・・・なので、一旦来た道を戻り、先程の『真壁宮』の右側にある階段の先へ行ってみることにしました。
『真壁宮』の右側にある階段。 |
ほいで、なんとか階段を上がっていくと・・・
階段を上がってきたところ。 |
遊歩道は巨岩の裏側へと伸びていたんですが、枯葉や雑草などに覆われており、獣道っぽくなっていましたね。。。
枯葉や土砂に埋もれたガマの入口 |
また、岩の裏側へ回り込むと、広場があったんですが、そちらも雑草が繁茂しておりました(泣)
岩の裏側にあった広場 |
ほいで、広場の奥に階段があったので、そこを上がっていくと・・・
岩の裏側の広場奥にあった階段。 |
『一の郭』の広場。。。ご覧の通り、雑草が繁茂してました(泣) |
ほいで、公園の駐車場へと戻り、先程の『田里朝直生誕三百年記念顕彰碑』の後方へと向かいました。
『田里朝直生誕三百年記念顕彰碑』の後方にあるカー(井戸)跡。 |
こちらも、過去に訪れたことのある方のブログを拝見させて頂くと、水が溜まっていたみたいなんですが、ワタクシが訪れた時は、水は無かったですね。。。
カー(井戸)跡 |
ほいで、こちらを後にして、最後に冒頭でご紹介した『真和の塔』のある場所へと向かいました。
『真和の塔』の左側から森へと伸びる小道。 |
んで、その先へ行ってみると、板状の石が途中で途切れており、その先は鬱蒼とした森になっていました。。。
小道の先の様子。。。この先に拝所がありました。 |
するとその先に、やはり拝所(?)がありましたね。
森の中にあった拝所(?) |
拝所(?) |
ではあると思います。
しかし、周囲の状態を見ると、長い間、人が訪れてはいないと思われます。
急いで写真を撮り終え、長居は無用なので早々に引き返しました。
拝所 |
やはり、その先にも拝所らしき場所がありました。
こちらは、岩の根元に香炉が1基置かれていましたね。
しかし、先程の『拝所』と同じく、こちらも長い間、人が訪れていないことが伺えました。
・・・と、こちらの『拝所』まで見学させて頂いた後、そのままクルマへと戻り、次の場所へと移動しました。
今回は、メッチャ長くなってしまいましたが、この辺で終わりにしますね。。。でわでわ☆★☆
☆『真壁グスク(真壁公園)』※真壁公園☆
☆場所:〒901-0336
沖縄県糸満市真壁1033
☆お問合せ:098-840-8111(糸満市役所)
※糸満市役所公式HP内にある『真壁公園』のページ
⇒http://www.city.itoman.lg.jp/kankou-navi/docs-kankou/2013022300193/
☆見 学:無料
☆駐車場:あり