前々回、うるま市具志川にある『具志川グスク』をご紹介しましたが、こちらのグスク内には、かつての沖縄戦の際に、地域住民が避難所として使用した壕が現存しています。
今回は、その避難壕をご紹介しますね。。。
うるま市具志川にある
『具志川グスクの壕』☆
『具志川グスク』の西側にひっそりと佇む『集団自決の地』碑。 |
右側が『具志川グスク』の入口で、壕は左側に伸びる道の先にあります。 |
≪具志川グスクの壕≫
≪沖縄戦当時に使用されていた壕は、自然洞を整備したものや掘り込んだものがあり、おもに近隣住民の避難場所として利用されました。また、グスク入口にも壕が造られ、銃眼も掘られたといわれています。
右側の階段を上ると『天願按司之墓』で、壕は左側の道の先にあります。 |
1945(昭和20)年4月4日、23人の学徒、青年で構成する警防団は残った手榴弾で「自決」、13人が死に至りました。
現在、壕は崩壊していますが、火炎放射を受けたといわれる壕や周辺の岩肌は、今なお黒い焼け跡がみられます。≫
・・・と、ありました。
現在、壕は崩壊していますが、火炎放射を受けたといわれる壕や周辺の岩肌は、今なお黒い焼け跡がみられます。≫
・・・と、ありました。
小道を進んで行くと、右側の岩肌に洞穴が点在しているのが見えてきます。 |
小さな自然洞。 |
掘り込んで造ったと思われる壕。洞口に削ったような跡がありました。 |
所々、岩肌が黒くなっていましたね。。。 |
こちらの壕は、洞口の上部が真っ黒くなっており、火炎放射を受けた跡だと思われます。 |
外から壕内部を伺うと、落ち葉や小石などが転がっていました。 |
洞口が小石で塞がれた壕。手前側は下部にコンクリート製の石段があり、洞口に香炉が1基置かれていました。 |
洞口の前に香炉が1基置かれており、その両側に花瓶が置かれてました。 |
もう一方の壕。こちらには、香炉は確認出来ませんでしたね。。。 |
こちらの門中墓の洞口が一番大きかったんですが、その開口部周辺は黒っぽくなっていましたね。。。
その石碑には『集団自決の地』と題された碑文が記されていました。
昼前、米軍が壕に近づいてきたので、危険を感じ手榴弾を投げつけた。
≪集団自決の地≫
≪一九四五年四月四日、字具志川の若い男女二十三名が郷土を守るため、ここ具志川城跡の壕にたてこもっていた。昼前、米軍が壕に近づいてきたので、危険を感じ手榴弾を投げつけた。
米軍は、機関銃や火焔放射器で応戦。すさまじい攻撃に、もはや逃れぬものと観念した男女は、手榴弾での死を決意した。
『集団自決の地』碑 |
沖縄戦終結五十周年の節目に当たり、この地に眠る若者たちのみ霊を慰め、かつ、恒久の平和を祈念してこれを建立する。
一九九五年十一月吉日 具志川市≫
・・・と、ありました。
また、石碑の下部には亡くなられた男女の氏名と年齢が刻まれていました。
この『集団自決の地』碑のすぐ近くにも、小さな自然洞穴があり、その周囲は黒くなっていました。。。
そして、その上の方にも岩の窪みがあったんですが、そこも全体的に黒くなっていましたね。。。
・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、こちらを後に致しました。
今回と前々回にご紹介したように、こちらは史跡と戦跡、二つの歴史が残る遺跡です。
うるま市具志川を訪れた際には、こちらのグスク跡にもぜひ足を運んで、その二つの歴史を見学されてみてはいかがでしょうか。。。?
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『具志川グスク(うるま市)の壕』☆
☆場所:〒904-2223
沖縄県うるま市具志川
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
『集団自決の地』碑のすぐ横にも、小さな自然洞穴がありました。 |
そして、その上の方にも岩の窪みがあったんですが、そこも全体的に黒くなっていましたね。。。
『集団自決の地』碑の上にあった岩の窪み。周囲が黒く焦げているのが分かります。。。 |
今回と前々回にご紹介したように、こちらは史跡と戦跡、二つの歴史が残る遺跡です。
うるま市具志川を訪れた際には、こちらのグスク跡にもぜひ足を運んで、その二つの歴史を見学されてみてはいかがでしょうか。。。?
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『具志川グスク(うるま市)の壕』☆
☆場所:〒904-2223
沖縄県うるま市具志川
☆見 学:無料
☆駐車場:無し