南城市大里の南風原集落内に点在する石獅子などの史跡群☆|沖縄放浪日記

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2017年4月4日火曜日

南城市大里の南風原集落内に点在する石獅子などの史跡群☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南城市大里字大里の南風原集落最高の聖地とされる『食栄森御嶽(イイムイウタキ)を見学した後、同集落内に点在している拝所やカー(井泉)、御嶽などを見学しに向かいました。

こちらの南風原集落内に点在する史跡も結構多いので、2回に分けてご紹介していきたいと思います。

沖縄県南城市大里字大里の南風原集落内にある

『石彫魔除獅子とその他の史跡』

石彫魔除獅子の写真
現在も、魔除けとしてムラを守り続ける南風原集落の『石彫魔除獅子』
『食栄森御嶽』をご紹介した時の記事では触れなかったんですが、この『食栄森御嶽』から見て集落の南西側に位置する『南風原農村集落総合管理施設』の出入口に南風原集落内に点在する史跡の分布図と説明が記された『南風原ガイドマップ』という案内板が設置されています。

そのガイドマップには『南風原の歴史と文化』と『南風原のみどころ』と題された説明が紹介されていたので、そちらを引用させていただきながら、集落内に点在する史跡をご紹介していきますね。
南風原ガイドマップの写真
『南風原農村集落総合管理施設』の出入口横に設置されていた『南風原ガイドマップ』
≪南風原の歴史と文化≫
≪南風原区では、琉球王国時代には大里間切の番所がおかれ、戦前まで大里村役場があり、大里地域の政治の中心地でした。古くからの集落であり、文化資源も豊富です。

また南風原音頭に「水の字」と歌われているとおり、背後の琉球石灰岩の山から豊かに湧き出る水に恵まれた地であり、これを利用して造られた井泉が多くあります。

これらの井泉(カー)は今も拝みの対象として大切にされています。

さらに字(あざ)では県下でもいち早く簡易水道を設置し、島添大里グスクふもとの内原ガーを水源に各家庭まで水を引いてました。

当時の配水タンクである直水槽は今もそのままの姿です。≫
・・・とありました。
ティラガーの写真
ティラガー(ティダガー)
一通り『南風原ガイドマップ』に目を通したトコで、さっそく点在する史跡を見学しにむかいました。
※『南風原ガイドマップ』には、『食栄森御嶽』でご紹介した史跡も含まれているんですが、それらの史跡は省かせて頂きます。

まずは、ガイドマップが設置されていた『南風原農村集落総合管理施設』の裏側には『ティラガー』と呼ばれる井泉があります。

ガイドマップの説明によると、≪現公民館の敷地には戦後までサーターヤーがあり、この水が使われていた。≫とありました。

説明にある≪現公民館≫とは、『南風原農村集落総合管理施設』のことです。
ティラガーの写真
ティラガー
ガイドマップや標柱には『ティラガー』と表記されているんですが、南城市公式HPに掲載されている資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』には『ティダガー(ウマノファ)と表記されていました。
※【ウマノファ】とは、沖縄の方言で『南の方角』を意味します。

たぶん、カーの呼称はどちらでもOKなのでしょうね。

こちらを見学した後、お次はこちらの施設がある場所から東側に少し離れた場所に『グムイ』があります。
グムイの写真
グムイ
こちらは分布図には記されているものの、由来などの説明はありませんでした。

『グムイ』とは沖縄の方言で『池』とか『沼』、若しくは河川などの『淀み』のことです。
グムイの写真
グムイ
現在、『グムイ』の周囲は金網で囲われており、出入口の向かい側には民家がありました。

そして、この『グムイ』がある場所から南向けに伸びる道へ進み、約190mほど進んでいくと、小道沿い左側に『ウージャラガー(ウトゥノファ)と呼ばれる井戸跡があります。
※【ウトゥノファ】についても調べてみたものの、何も出て来なかったんですが、この言葉も方角・方位を意味しているものと思われます。(ワタクシの憶測なので、確実ではありませんが・・・)
ウージャーラガー(ウトゥノファ)の写真
ウージャラガー(ウトゥノファ)
こちらもガイドマップや南城市の資料には、詳細が記載されておらず、由来などは分かりませんでしたが、香炉が1基置かれており、集落の拝所となっているようでした。
ウージャラガーの写真
ウージャラガー
ほいで、お次はこちらから北向けに約300mほど進んだ道路沿い右側にある、魔除けとして南風原集落を守っている石獅子を見学しに向かいました。
石彫魔除獅子の写真
石彫魔除獅子
ガイドマップの説明にもあったんですが、こちらには説明板が設置されていたので、そちらを引用させて頂きます。
石彫魔除獅子の写真
石彫魔除獅子
≪石彫魔除獅子(せきちょうまよけしーし)
≪この石彫獅子は、かなり古い時代に設置されたと伝えられているが、正確な年代は不明である。

獅子像の材質は琉球石灰岩で、高さ90cm、体長45㎝、胴廻り約130㎝、西向きである。

向きについては、字の古老によると、部落のフンシ (風水)をみて、西側サン(山)を押し退ける「ナンゲーシ」(魔除)として捉えられたといい、旧暦8月15日には部落をあげて祈願している。

沖縄には、古い時代から魔除けとして獅子を置く習慣があり、これは中国文化の影響を受けたもので、民俗学的にも貴重な資料である。
村指定有形民俗文化財 指定年月日 平成5年2月2日 大里村教育委員会≫
・・・とありました。
この説明では『大里村』となっていますが、現在は南城市の市指定文化財となっています。

また、『南風原ガイドマップ』によると、上の説明にある『西側サン(山)』とは、火難をもたらす『高嶺毛(たかんみもー)という山を指しているんだそうです。

この『石彫魔除獅子』を見学した後、集落最高の聖地『食栄森御嶽』がある『南風原農村公園』の北側入口へと向かいました。

『南風原農村公園』の北側入口の道向かいにもカー跡があるんですよ。
ナナスクヌウカーの写真
ナナスクヌウカー
『南風原ガイドマップ』の分布図には、『ナナスクヌウカー』と表記されているんですが、南城市公式HPの資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』では、『クチヌカー』と表記されていました。

ガイドマップ、資料のどちらにも由来などの説明が掲載されていなかったため、どちらが正式な名称なのか不明です。
ナナスクヌウカーの写真
『ナナスクヌウカー』の後方に置かれていた7基の香炉
この『ナナスクヌウカー』のある場所から東向けに約40mほど進んでいくと、五差路に差し掛かるんですが、そこから北東向けに伸びる小道へ進むと、すぐ右側に『クチナガー(三日月井)』があります。
クチナガー(三日月井)の写真
クチナガー(三日月井)
こちらもまた、由来などの詳細はガイドマップ、資料のどちらにも掲載されておらず、詳細は不明です。

そして、こちらの名称も、ガイドマップや標柱には『クチナガー(三日月井)』と表記されており、『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』には『ミカヅキガー』と表記されていて、どちらが正式名称なのかは分かりませんでした。。。
クチナガーの写真
クチナガー
クチナガーの写真
『クチナガー』の横には香炉らしきものが1基置かれていました。
また、資料にある名称『ミカヅキガー』には(ウーノファ)とも表記されており、これも方角・方位を表す呼称だと推察されます。
※あくまで個人的な憶測なので、確実ではありません。

この『クチナガー(三日月井)』から先程の五差路に戻り、今度は南東へ伸びる小道へと進んでいきました。
上ヌ井の写真
上ヌ井(イーヌカー)
小道を少し進んでいくと、左側に金網で囲われた『上ヌ井』というムラガー(共同井戸)がありました。

こちらには説明が記された案内板が設置されていたので、そちらを引用させて頂きます。

≪上ヌ井≫
≪字で大切にしているムラガーです。主に飲料水に使われましたが、若水や死に水を取る井泉(かー)であり、産井(うぶがー)でもありました。

窪地を石垣で囲い込み、屋根は2枚の大石を鍵状に組んで繋いだものを中央の石柱で支えており、石造建築としても特徴があります。

屋根の右側には井泉の神様を祀っています。

上ヌ井はもともと寒川家という武士の屋敷の井泉だったといわれ、別名「寒川井(そんががー)とも呼ばれています。
南城市教育委員会≫
・・・とありました。
上ヌ井の写真
上ヌ井
なぜこちらのカーが『上ヌ井』と呼ばれるのかというと、以前『食栄森御嶽(イイムイウタキ)をご紹介した記事で、『下ヌ井』をご紹介しておりましたが、この『下ヌ井』に対しして『上ヌ井』と呼ばれているんだそうです。
上ヌ井の写真
『上ヌ井』の神様を祀った祠。内部に香炉が1基置かれてました。
・・・と、ここまで見学した後は、集落の北側と東側に点在する御嶽などの史跡を見学しに向かいました。

今回も、少し長くなってしまいましたので、この続きは、また別の回にご紹介しますね。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『石彫魔除獅子』他

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市大里字大里 (南風原区)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し