一昨日(14日)、浦添市勢理客にある『寿味食堂』さんで食事を終えた後、少しばかり時間に余裕があったので、同市沢岻の閑静な住宅街の中にある遺跡や拝所を2、3ヵ所見学しに向かいました。
まず最初に向かったのは、1960年に発見されたという遺跡。。。
・・・と言っても、現在は、綺麗に整備されて住宅地となっており、遺跡らしい『遺構』などはなく、小さな公園の一角に立派な拝所と神歌が刻まれた立派な石碑があるだけなんですが。。。
沖縄県浦添市沢岻にある
『沢岻遺跡』
綺麗で立派な拝所なのに、地元の人も何のために建立されたのか分からないんだとか。。。 |
『めじろ公園』。 表道から入ってきて真正面にある入口 |
公園入口は合計2ヵ所あり、もう1つの入口に公園名が刻まれた標柱が立てられてました。 |
しかし、後日、あるブログを開いてみると、『グスク』ではなく『遺跡』とのこと。。。
公園内の一角に立派な祠を設けた拝所と『おもろの碑』があるだけです。 |
それで、いつしか『グスク時代の頃の遺跡』から『グスクがあった』になってしまったようです。
また、地元でも『グスクがあった』という認識は全く無いんだそうですよ。
※詳細は、沢岻字誌編集委員会が発刊した『字誌たくし』に書かれているみたいです。
・・・なので、『沢岻グスク』ではなく、正しくは『沢岻遺跡』で、正式には『沢岻祝部遺跡(たくしはりふべいせき)』という名称なんだそうです。
中の殿 |
そして、その一角には、立派な祠を設けた拝所があります。
・・・が、この拝所、遺跡に纏わる拝所なのかと思いきや、なんと!元々は無かったものが祀られているんだとか!?
中の殿 |
ちなみに、地元の人たちが拝みを行う際は、部落内の拝所を合祀した『沢岻拝所』へ行くんだそうですよ。
『沢岻拝所』は、また別の回にご紹介しますね。
・・・と、今回は少し微妙な感じになってしまいましたが、とりあえずご紹介させて頂きますね。
立派な祠の前には、石獅子が設けられており、祠に向かって一番右側には『中の殿』と刻まれた柱が立てられていました。
『中の殿の御嶽』と刻まれた石板 |
祠の中に小さな霊石がたくさん並べられており、手前の香炉を囲むように少し大きめの霊石が3体配置され、その後方には鏡と大きな霊石が1体、そして『ヒミコ女神』と刻まれた石碑とオブジェのようなものが両側に祀られていたので、もしかすると、祀られている霊石などを説明しているのかもしれませんね。
※あくまで個人的な憶測なので、もし間違ってましたら、申し訳ございませんm(_ _)m
そして、祠の右斜め後方にも石碑が立てられていました。
『天続々女神 国じく』と刻まれた石碑 |
この『中の殿』がある場所から公園の反対側、表の道から入ってきて真正面にある公園入口の近くには『おもろさうし』の中に登場する神歌が刻まれた『おもろの碑』があります。
おもろの碑 |
≪おもろの碑≫
[対訳]
≪沢岻太郎名付け 国 群 浦のすべて 鳴響まして 招待 よかる太郎名付け≫
〈解説〉
≪このおもろは、古い沖縄の神歌を集めた歌謡集『おもろさうし』の中に登場するもので、尚清王の名付け親だった沢岻親方盛里(?~1526年)を讃えたものと言われています。
歌意は、沢岻盛里つまり沢岻の太郎名付けの名声が、国・群・村々にまで鳴り轟き、多くの人々に慕われているようすを歌っています。
盛里は、中城按司護佐丸の孫で、尚真・尚清父子二王の信任がきわめて厚く、正徳年間(1506~
21年)に三司官に任ぜられ、嘉靖元年(1522年)には王舅(おうきゅう)となって中国へ遣いして、王を乗せる鳳凰轎(ほうおうきょう)と首里城崖下龍樋(りゅうひ)の吐水龍頭(とすいりゅうとう)をもたらしたことで知られています≫
・・・と書かれていました。
たしか、以前訪れたことがある浦添市伊祖の『伊祖城跡』がある『伊祖公園』内にも、『おもろの碑』が建立されていましたね。
沖縄県浦添市観光振興課と浦添市観光協会が運営する浦添市観光情報ポータルサイト『うらそえナビ』によると、『王府は1531年から1623年にかけておもろを記録し『おもろさうし』にまとめました。昭和・平成にかけて浦添に関わりのあるおもろの碑をゆかりある土地に建てました。』とのことです。
とゆーことは、こちらの他にも、いくつかの『おもろの碑』が設置されているんですね。
・・・と、ここまで見学した後、次は同じ沢岻区内にある御嶽へと向かいました。
『金満御嶽』
こちらには、按司墓や拝所が密集していましたね。。。 |
表道から入って、約55mほど進むと、左側に鬱蒼と茂った森があり、その奥へと続く細い階段が1つだけあるので、『金満御嶽』はその階段の先にあります。
『金満御嶽』の入口 |
階段の横に開けた空間がありました。 |
『祝女神墓』と刻まれた石柱 |
祝女ガー |
しかし、『金満御嶽』へ向かう際、階段途中から『祝女ガー』を撮影することができましたよ。
階段の途中から撮影した『祝女ガー』。小さな洞穴が開いているのが見えます。 |
写真で見るよりも、かなり狭かったですね。。。 |
『金満御嶽』はこの奥にありました。。。 |
写真中央が『金満御嶽』 |
南山拝所 |
これが何を意味するのか、ネットでちょこっと調べてみたんですが、何も出てきませんでしたね。。。
そして、この『南山拝所』の後方には、『金満按司添』と刻まれた標柱と『金満玉滑』と刻まれた香炉が1基設置された古墓がありました。
金満按司添 |
2基の香炉が並べられた拝所。。。 |
この2基の香炉が置かれた拝所から、『金満御嶽』がある右奥へと進みます。
左側が『金満御嶽』。右側にはかなり古い石碑があり、写真中央奥には香炉がたくさん並べられた拝所がありました。 |
『金満御嶽』の標柱。。。この下にも香炉があるみたいなんですが、草木が邪魔して見えませんでした。。。 |
『金満御嶽』に向かって左側の拝所。香炉が3基置かれていました。 |
そして、御嶽に向かってその両側には、香炉が3基ずつ置かれていました。
向かって左側の拝所に置かれた香炉は、2基に刻まれた文字は判読できたものの、残りの1基は蔦が邪魔して判読できませんでした。。。
んで、2基には、左から『祝女番之御香炉』、『天 続』と刻まれていました。
御嶽に向かって右側の拝所。 |
真正面から見た『金満御嶽』 |
『金満御嶽』のすぐ前にあった大きな石碑 |
立派な石碑だったんですけど、劣化が激しく文字を読むことが出来ませんでした。。。 |
『金満御嶽』の奥にあった拝所。 |
7基の香炉が置かれた拝所。 |
そちらには、石柱が立てられており、『七増田之拝所』と刻まれていました。
七増田之拝所 |
今回は、『沢岻遺跡』と『金満御嶽』をご紹介させて頂いたんですが、かなり長くなってしまったので、今回はここまでにして、続きは、また別の機会にしましょうね。
それでは、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『沢岻遺跡(沢岻祝部遺跡)』☆
☆場所:〒901-2112
沖縄県浦添市沢岻
☆見 学:無料
☆駐車場:無し