この前、宜野湾市大謝名にある『大謝名メーヌカー』や『土帝君』などをご紹介しましたが、今回は、その続きです。
『メーヌカー』や『土帝君』などのカーや拝所を見学した後、同じ大謝名区内にある、かつて三山時代の初代中山王となった『察度』が、即位する前に住んでいた屋敷があったと言われるグスク跡を見学しに向かいました。
沖縄県宜野湾市大謝名にある
『黄金宮(クガニナー)』
《大謝名黄金森グスク》
閑静な住宅街の一角にある『黄金宮(クガニナー)』 |
そして、道なりに約370mほど進んでいくと、小さな十字路に差し掛かりますので、そこを右折し、約65mほど進むと、個人宅のすぐ前に、上の写真のような茂みがあるので、そこが『黄金宮』の拝所となります。
県道から入る所と、小さな交差点の2ヵ所に案内板が設置されているので、すぐに分かると思います。
事前に、ネットで調べてみると、『黄金宮』は個人宅と隣接しており、すぐ近くまでは簡単に行くことができたが、分かりにくかったと記載されているのを見かけてたんですよ。
んで、実際、その場所を訪れると、たしかに個人宅に隣接しており、また、表側からは入口らしき場所が見当たらなかったんです。。。
茂みの片隅に簡易的な看板が設置されていました。 |
『黄金宮』の入口を、無事に発見致しました(笑)
う~ん。。。なんて分かりにくいんだwww
入口から見た『黄金宮』の祠 |
・・・なので、以前、こちらを訪れたことがある方で、綺麗な状態の説明版を撮影されてる方の写真で確認しました。
その説明によると・・・
『黄金庭の由来』と記された説明版。かなり劣化しており、ほとんど判読できませんでした。 |
≪黄金庭の由来≫
≪天女の子と言われている察度はある日、勝連按司の娘が婿選びをしていると聞き、勝連に行き、「娘さんを嫁に下さい」と頼みました。按司とその家来は大笑いし、追い返そうとしました。
その時、物陰から若者を見ていた娘は「この若者はただ者ではありません。結婚させてください。」と頼みました。
娘を信頼していた按司は二人の結婚を許しました。
二人は大謝名にある若者の家へと向かいました。
『黄金宮』の祠(右)と『上之山』と記された御嶽(左) |
当時、牧港には日本の船も出入りしていたので、察度は鉄を買い入れ、それを農民に与え農具を作らせました。
察度はやがて人々の信頼を集め浦添の按司となり、中山王となりました。
琉球王国と中国明朝との貿易を始めたのも察度です。
人々は彼のすばらしさを讃え、この地を聖地とし現在まで篤く信仰してきました。
ところで、戦前の黄金庭は石門のある石垣に囲まれた場所でしたが、まだまだ謎も多く、今後の調査が待たれています。
大謝名獅子舞保存会≫
・・・と、記されていました。『黄金宮(クガニナー)』の祠 |
※表の道に設置されている案内板やGマップなどでは『黄金宮』と表記されています。
また、かつてはこの一帯で砂金が取れたという伝承も残されているんだそうですよ。
現在は、写真のとおり、祠と『上之山御嶽』と記された拝所があるのみとなっていますが、かつては石垣に囲まれた単郭式のグスクだったそうです。
上之山御嶽 |
そして、そのことを察度に尋ねると、自分の田畑にたくさんあると聞き、そこへ行ってみると、察度の話した通りでした。
二人は、それを拾い集め、この地に楼閣を建て『金宮』と名付けたんだそうです。
のちに察度は、この黄金で人々に食料や衣服を買い与え、さらに日本から来航した商船から鉄を買って、それで百姓たちに農具を作らせたんだとか。
そして、徐々に人々の支持を得ていった察度は、ついに浦添按司となり、初代・中山王となっていったんだそうです。
祠は鉄の扉で施錠されており、中は見えませんでした。 |
現在の『黄金宮』は、祠と御嶽のみで、閑静な住宅街の奥にひっそりと佇んでいますが、『大謝名メーヌカー』や『土帝君』などを訪れた際には、こちらにも足を延ばしてみてはいかがでしょうか?
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆場所:〒901-2225
沖縄県宜野湾市大謝名4丁目20-10
☆見 学:無料
☆駐車場:無し