今日(16日)の午前、沖縄地方は梅雨明けしたとみられると、沖縄気象台から発表があったみたいですね♪♪♪
今年の梅雨明けは、平年よりも7日早く、昨年(2015年)よりも8日遅いんだそうです☆
まぁ、何はともあれ、梅雨明けしたみたいなので、沖縄はいよいよ長ぁ~い夏が始まりますね(笑)( ̄▽ ̄)☆
あと懸念されるのは、『台風』です・・・
今年は、まだ(6月16日現在)1つも発生していないので、もしかすると、連続で発生する可能性があるとのこと・・・
台風の強さも、大きくなる可能性もあるらしいので、今年の夏は台風情報に気をつけないといけませんね。。。
さてさて☆
昨日(15日)、沖縄市知花にある『そば家 どんとこい』さんで食事した後、雨も上がり、少し晴れ間も出てきてたので、以前、ネットで見かけた北谷町上勢頭にある国登録有形文化財に指定された赤瓦屋根木造家屋を見学しに向かいました。
沖縄県中頭郡北谷町上勢頭(かみせいど)にある
『北谷町 うちなぁ家』
『北谷町 あしびなぁ公園』の一角にある『北谷町 うちなぁ家』 |
『うちなぁ家』から、もう少し先に進むと、道路沿い右側に公園の駐車場あります。
『うちなぁ家』の出入り口。 |
その説明によると・・・
≪うちなぁ家≫
≪旧目取真家は、敷地家屋の制限令解除(1884年)年以降の明治23(1890)年に北谷町字吉原(謝苅)に建築された木造赤瓦葺き平屋を平成17年に移築・復元したものです。琉球王国時代の沖縄では1737年~1884年の間、身分によって屋敷や家屋の大きさが制限され、家屋は4間に3間の主屋一棟と、3間に2間の台所一棟に限られました。
また、建築用材の使用にも制限があって、農家は屋根を瓦葺きにすることをかたく禁じられていました。
敷地内の東側から見た『うちなぁ家』 |
東と南に面している部分には、雨端がとられ、強い直射日光や横殴りの雨が室内に入らないように考慮されています。≫
・・・と書かれていました。
見学を始めた時、家屋の中に人がいることに気づき、挨拶すると、こちらを管理されている担当者とのことで、その方から、『うちなぁ家』のパンフレットを頂きました。
そのパンフレットに記載されている説明によると、那覇の平民だけは防火などの理由で瓦葺き屋根が許可されていたんだとか。。。
また、瓦葺き屋根は、この制度が廃止になった明治22(1889)年以降に、次第に普及していったんだそうです。
『うちなぁ家(旧目取真家)』全景 |
『ヒンプン』横の説明版に記載されていた『うちなぁ家』の見取り図。 |
そこには、『ウヮーフール』と呼ばれる豚小屋兼用便所があります。
こちらにも、説明版が設置されていたので、引用します。
≪フール≫
≪南向き屋敷の西北隅に設けられた豚小屋兼用便所で、ウヮーフールともいいます。石造りで中に豚を飼い、用をたすと下にいる豚が排泄物を処理する仕組みになっていました。
中国伝来のものといわれます。
フール |
また、豚の鳴き声は魔物の邪気を追い祓うとされており、外出先でマジムン(魔物)に出会ったり、葬式の帰り、水死体をみた場合はフールで寝ている豚を起こして鳴かせ、邪気を祓ってから家に入る習慣がありました。
沖縄戦後しばらく残っていました。≫
・・・と、書かれていました。
沖縄の方言で、『ウヮー』とは『豚』を意味しており、『フール』とは『便所』のことを意味しています。
この『フール』のすぐ手前側には、真ん中に『サーター車』が置かれた『畜舎(イチムシヤー)』があります。
4本の古い石製の柱が『畜舎(イチムシヤー)』の柱です。 |
また、屋根を瓦葺きにする裕福な家もあったんだそうで、掘立て小屋に並んで農具や薪などを保管する納屋を設ける家もあったんだとか。。。(北谷町教育委員会発行パンフレット【北谷町 うちなぁ家】より引用)
そして、写真にある通り、真ん中には『サーター車』が設置されていますが、本来、この『サーター車』は『畜舎』の中には設置しません。
『サーター車』についての説明版が設置されていたので、そちらを引用します。
サーター車 |
≪サーター車≫
≪王府時代から第二次世界大戦後の一時期まで黒糖製造のために設置されていた製糖小屋(サーターヤー)があり、牛馬に砂糖車を引かせて甘蔗(さとうきび)をしぼり、黒砂糖をつくっていました。甘蔗は甘味食料として栽培され、1623年、儀間真常(ぎましんじょう)は、中国から製糖法を学び自家で砂糖製造を試みましたが、その時使用したものは木製二本式砂糖車でした。
1671年ごろには首里の真喜屋筑登之親雲上が三転子を考案し甘蔗の搾汁に効果をあげました。
その後、石製・鉄製と改良され、製造能力は、一日平均1樽〈130斤(78㎏)〉ほどだったといわれています。
1908年(明治41年)に洋式の分蜜工場が新設され、沖縄の糖業は一段と刷新されました。
このように砂糖車は近年まで、黒糖製造に役立ってきました。≫
・・・と書かれていました。
ちなみに、管理人の方のお話によると、こちらの『サーター車』は、後に別の場所へ移設される予定となっているんだそうです。
現在、本島の国頭郡恩納村字山田にある観光スポット『琉球村』にて、実際に水牛に引かせてサトウキビを絞る様子が見学できます。
井戸(カー) |
管理人の方のお話によると、昔の沖縄の家の中には、水場を作ることが出来なかったため、建物の外に井戸(カー)を作り、そこで洗い物や洗濯などを行っていたんだそうです。
こちらには、説明版が設置されていなかったため、パンフレットより引用させていただきます。
≪井戸(カー)≫
≪屋敷内に井戸を造る場合、火の神と向き合う形は避けて、門から入って左手の台所の南側か西側に掘りますが、水脈との関係から一番座の東側に掘ることもありました。≫・・・と書かれていました。
そして、この井戸のすぐ隣に『高倉』があります。
高倉 |
≪高倉≫
≪高床式の穀物を貯蔵する収納倉のこと。屋敷の庭に4本、6本または9本の丸木柱の高さ1~3mの柱組の上の小屋組に短い寄棟の屋根を葺き、穀類や稲束が収納できる構造になっています。
この高倉は「北谷町うちなぁ家」復元のため、奄美市笠利町万屋の白内慶治さんから寄贈いただいたものです。
この高倉は奄美のものにしては小型ですが、沖縄の高倉と比べますと小屋組の屋根の勾配は急ですが、壁の勾配は浅く床面に近いことがわかります。≫
・・・書かれていました。
また、パンフレットによると、沖縄戦前までは、沖縄のいたるところの農村に、『高倉』があったそうなんですが、それらのほとんどが沖縄戦で跡形もなくなったんだとか。。。
『高倉』の下にあったシーサー(石獅子)とカーミ(壺) |
屋外から屋敷内を見学しました。 |
一番座 |
祝宴の際に、男性を接待する部屋でもあったんだそうですよ。
続いては、『二番座』。
二番座 |
そして、『二番座』に隣接する『板間』を挟んで、『台所』があります。
『板間』。奥は『裏座敷(クチャ)』となっています。 |
台所 |
『デェージュ』は『台所』を意味し、『シム』は『台所』が母屋の下手にある事からついた呼称なのだそうです。
・・・と、ここまで見学したところで、午後5時になってしまったので、管理人の方にお礼を言い、こちらを後にしました。
かつての沖縄のお家を、見事に復元された『うちなぁ家』・・・大人気観光スポットである北谷町美浜からも、簡単にアクセスできるので、北谷町を訪れた際は、ぜひこちらにも足を運んでみては、いかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
☆場所:〒904-0101
沖縄県中頭郡北谷町上勢頭
☆開館時間:9:00~17:00
☆休館日:月曜日及び火曜日、祝日、12月29日~翌年1月3日、6月23日(慰霊の日)
☆入場料:無料
☆駐車場:『北谷あしびなぁ公園』に駐車可能。(利用時間:午前7時~午後10時まで)