ハイサぁ~イ☆
今日(2日)も、沖縄本島は、朝からずーっといい天気だったんですが、明日(3日)は、降水確率が60%となっており、丸一日愚図ついた天気となる見込みのようです。。。
なので、明日から予定していた本島北部の国頭村での釣りキャンプは、明後日(4日)に行くこととなりました( ̄▽ ̄;
明後日以降の天気は、回復する見込みなので、メッチャ楽しみです(^艸^)♪
さてさて☆
本日(2日)は、冒頭でもお話したとおり、いい天気だったので、以前、本島中部方面をドライブしていた際、偶然発見した城跡があったので、そちらに行ってきました(^^♪
沖縄県うるま市喜仲の『喜屋武マーブ公園』内にある
こちらはまず、うるま市の県道224号線と36号線が交差する『喜屋武』の交差点から、県道36号線を同市上江洲向けに約100mほど進みます。
すると、右側に片側一車線の道がありますのでそちらに入ると、その道沿い右側が『喜屋武マーブ公園』になります☆
公園への出入り口は、同公園の反対側にもあるんですが、ちょっと分かりづらかったので、今回は、こちらから入りましたヽ(^。^;
道沿いにある駐車場にクルマを停め、さっそく園内へ入って行きました。
グスク内へはどこから入っていくのか分からなかったので、とりあえず、遊歩道を歩いていくと、丘の上へと延びる小道があり、その入口に城跡の案内板が設置されていました。
小道をずーっと歩いていき、その突き当りに『喜屋武城跡』の案内板を発見‼‼
案内板には、城跡の説明と園内の配置図が書かれており、まずは説明を読んでみることに・・・
その説明によると・・・
標高が高くおよそ110mの台地に位置しています。
言い伝えによると、初代安慶名大川按司の四男喜屋武按司が築城し、その子孫三代の居城で、その後廃城となったといわれています。
また、勝連グスクの阿麻和利を討伐した鬼大城賢雄(ウニウフグシクけんゆう)が幼少時代を過した城ともいわれています。
喜屋武グスクは、むかし火立(ひーたち)があったところでもあります。
首里王府は、県内各地の要所に遠見番を置き海上を見晴らせ、御冠船(おかんせん)、進貢船(しんっこうせn)、薩摩船の入港を首里王府に通報する烽火台を設置していました。
うるま市では、宮城島、平安座島、平敷屋、喜屋武グスクにあり、これにより、本グスクは「火打ち城」とも呼ばれています。
グスクの石垣は、喜屋武・仲嶺集落の道路工事の際に取り壊し、集落内で使用されました。
また、1931年(昭和6年)頃の県道川田・赤道線の道路工事用石材として一部破壊し、使用されるなど石材として利用されたため現存していません。
現在の喜屋武城跡は、「喜屋武マーブ公園整備事業」により、広場、バスケットコート、テニスコート等の設置、園路整備、遊具施設等の整備、展望台が設置されるなど、「喜屋武マーブ公園」として市民の憩いの場となっています。
発掘調査によると、堀立柱や石敷き、野面積み跡が見つかり、また出土物には、土器や須恵器、中国製の青磁・白磁、貝錘、銭貨等が見つかっているんだそうですよ。
説明板が設置されている場所から左後方に進むと、道が左右に別れていたので、まずは右側から散策してみることに☆
階段を下りていくと、まず最初に見つけたのは『仲嶺の殿』。。。
・・・なんですが、殿らしき場所が辺りには無く、標柱後方の藪の中を少し覗いてみたんですが、それらしき場所が見つけられませんでした。。。
んで、そこからさらに下の方へと進んで行くと、今度は『地頭火ヌ神』があり、こちらには、ちゃんと拝所がありました(笑)
この『地頭火ヌ神』から、さらに下の方へと進むと、今度は『シードゥーガー(井泉)』がありました。
こちらには、『シードゥーガー』の説明板が設置されていたので、その説明を読んでみると・・・
≪琉球王府時代、15歳になると士族は王府の許可を得て成人となりました。
平民は結髪式(けつばつしき)を行うことで成人と認められ、そのときには、王府公認のカーで身を清めなければならないとされていました。
この王府公認のカーが「シードゥーガー」です。
当時の具志川間切15村には、仲嶺のシードゥーガーと田場の2ヵ所が、身を清める場として王府から番所を経て公認されていました。
建造年代は不明ですが、小規模ながら切り石積みで造られています。
石積みの保存状態は良好ですが、水は湧いておらず枯渇状態となっています。≫
・・・と書かれていました。
たしかに、カーの中を覗きこんでみると、水は全くありませんでしたね。。。
この『シードゥーガー』まで見学した後、いったん『喜屋武グスク』の説明板がある場所まで戻り、今度は、反対側の方を散策しに行きました。
階段を下っていくと、道が二手に分かれており、直進していくと、その突き当りの崖壁に『喜屋武按司の墓』がありました。
この『喜屋武グスク』を築城したといわれる『喜屋武按司』の祖先は、伝承によると中北山按司(今帰仁世の主)となっているみたいですね。
※系譜については諸説あるとのことです。
この『喜屋武按司の墓』から、少し戻って、今度は左側に伸びる遊歩道へと進んで行くと、遊歩道の角に『マーブの嶽(たけ)』と書かれた標柱が立てられていました。
『マーブの嶽』は、遊歩道沿いにはなく、藪の奥にあるらしく、そこへ通ずる道は獣道状態になっていました。。。
この道も整備したら良かったのに。。。(笑)
藪を掻き分けて進んで行くと、藪に囲まれ、ひっそりと佇んでいましたね。。。
ってか、ハブが出現するのが怖かったので(笑)、写真を撮り終え、すぐさま遊歩道まで引き返しました( ̄▽ ̄;
遊歩道に戻ると、今来た道を戻らず、別の道へと進みました。
『マーブの嶽』の入口から、少し離れた場所の右側に、また獣道らしき場所を発見したので、その中へ行ってみると・・・奥に、拝所がありました。
この拝所は、城跡の説明板にも記載されていませんでしたね。
祠の中に収められている霊石には『山乃神』と刻まれていました。
拝所周辺は、比較的綺麗だったので、こちらも地元の方が、定期的に拝みに訪れているんでしょうね。。。
この拝所から、遊歩道を練り歩いたんですが、それらしき場所は見当たらなかったので、またグスク説明板がある丘の方へ戻り、今度は『火立毛』と呼ばれる物見台と隣接する展望台へ行ってみました。
展望台まで見学した後、今度は公園の南南東にある『喜仲の古墓群』を見学しに向かいました。
古墓群へ行くには、一旦、公園横を走る道路へ出て、南南東のアスレチックが設置された場所に行きます。
このアスレチックがある場所の後方に、標柱が立てられており、その標柱から、丘の上へと続く獣道があるので、古墓群は、その奥にひっそりと佇んでいます。
『根人(ニーチュ)』とは、村落の創始者である根所の戸主のことなので、この大きな御墓は、仲嶺の創始者が葬られているんでしょうね。
そして、その両隣にある崖葬墓は、仲嶺集落の創始者に関わる人物が葬られているのかもしれませんね。
※あくまで推察ですが。。。
この『仲嶺の根人墓』がある場所から、いったん獣道を少し戻り、今度は丘の裏側に伸びる獣道へ行ってみました。
すると、その突き当りにも、小さな崖葬墓がありました。
『喜仲の古墓群』を見学した後は、クルマまで戻ったんですが、その途中の道路沿いにもカーがありました。
この『御神カー』まで見学し終えた後は、そのままクルマまで戻り、公園を後にしました。
『喜屋武マーブ公園』は、整備工事が完了しており、とても見学しやすかったので、もし興味がある方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?
今回も、またまた長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『喜屋武城跡(喜屋武グスク)』《喜屋武マーブ公園》☆
☆場所:〒904-2236
沖縄県うるま市喜仲
☆入場料:無料
☆トイレ:あり
☆駐車場:あり
今日(2日)も、沖縄本島は、朝からずーっといい天気だったんですが、明日(3日)は、降水確率が60%となっており、丸一日愚図ついた天気となる見込みのようです。。。
なので、明日から予定していた本島北部の国頭村での釣りキャンプは、明後日(4日)に行くこととなりました( ̄▽ ̄;
明後日以降の天気は、回復する見込みなので、メッチャ楽しみです(^艸^)♪
さてさて☆
本日(2日)は、冒頭でもお話したとおり、いい天気だったので、以前、本島中部方面をドライブしていた際、偶然発見した城跡があったので、そちらに行ってきました(^^♪
沖縄県うるま市喜仲の『喜屋武マーブ公園』内にある
『喜屋武城跡(喜屋武グスク)』
喜屋武マーブ公園内にある『喜屋武城跡』への入口☆ |
すると、右側に片側一車線の道がありますのでそちらに入ると、その道沿い右側が『喜屋武マーブ公園』になります☆
公園への出入り口は、同公園の反対側にもあるんですが、ちょっと分かりづらかったので、今回は、こちらから入りましたヽ(^。^;
道沿いにある駐車場にクルマを停め、さっそく園内へ入って行きました。
グスク内へはどこから入っていくのか分からなかったので、とりあえず、遊歩道を歩いていくと、丘の上へと延びる小道があり、その入口に城跡の案内板が設置されていました。
仲嶺の殿 |
案内板には、城跡の説明と園内の配置図が書かれており、まずは説明を読んでみることに・・・
その説明によると・・・
≪喜屋武城跡(喜屋武グスク)≫
≪喜屋武グスクは、別名、喜屋武マーブ、仲嶺マーブまたは、火打嶺(ひうちみね)ともいわれていますが、地元では「喜屋武マーブ」と呼んだ方がなじみ深いです。標高が高くおよそ110mの台地に位置しています。
地頭火ヌ神(ジトゥーヒヌカン) |
また、勝連グスクの阿麻和利を討伐した鬼大城賢雄(ウニウフグシクけんゆう)が幼少時代を過した城ともいわれています。
喜屋武グスクは、むかし火立(ひーたち)があったところでもあります。
首里王府は、県内各地の要所に遠見番を置き海上を見晴らせ、御冠船(おかんせん)、進貢船(しんっこうせn)、薩摩船の入港を首里王府に通報する烽火台を設置していました。
うるま市では、宮城島、平安座島、平敷屋、喜屋武グスクにあり、これにより、本グスクは「火打ち城」とも呼ばれています。
地頭火ヌ神 |
また、1931年(昭和6年)頃の県道川田・赤道線の道路工事用石材として一部破壊し、使用されるなど石材として利用されたため現存していません。
現在の喜屋武城跡は、「喜屋武マーブ公園整備事業」により、広場、バスケットコート、テニスコート等の設置、園路整備、遊具施設等の整備、展望台が設置されるなど、「喜屋武マーブ公園」として市民の憩いの場となっています。
うるま市教育委員会≫
・・・と書かれていました。発掘調査によると、堀立柱や石敷き、野面積み跡が見つかり、また出土物には、土器や須恵器、中国製の青磁・白磁、貝錘、銭貨等が見つかっているんだそうですよ。
シードゥーガー(井泉) |
階段を下りていくと、まず最初に見つけたのは『仲嶺の殿』。。。
・・・なんですが、殿らしき場所が辺りには無く、標柱後方の藪の中を少し覗いてみたんですが、それらしき場所が見つけられませんでした。。。
んで、そこからさらに下の方へと進んで行くと、今度は『地頭火ヌ神』があり、こちらには、ちゃんと拝所がありました(笑)
シードゥーガー☆ |
こちらには、『シードゥーガー』の説明板が設置されていたので、その説明を読んでみると・・・
≪琉球王府時代、15歳になると士族は王府の許可を得て成人となりました。
平民は結髪式(けつばつしき)を行うことで成人と認められ、そのときには、王府公認のカーで身を清めなければならないとされていました。
この王府公認のカーが「シードゥーガー」です。
シードゥーガー☆ |
建造年代は不明ですが、小規模ながら切り石積みで造られています。
石積みの保存状態は良好ですが、水は湧いておらず枯渇状態となっています。≫
・・・と書かれていました。
たしかに、カーの中を覗きこんでみると、水は全くありませんでしたね。。。
カーの上部に置かれていた香炉☆文字が刻まれていましたが、判読できませんでした。。。 ※後で調べてみると、右から左に『奉寄進』と刻まれているんだそうです。。。 |
階段を下っていくと、道が二手に分かれており、直進していくと、その突き当りの崖壁に『喜屋武按司の墓』がありました。
喜屋武按司の墓 |
※系譜については諸説あるとのことです。
この『喜屋武按司の墓』から、少し戻って、今度は左側に伸びる遊歩道へと進んで行くと、遊歩道の角に『マーブの嶽(たけ)』と書かれた標柱が立てられていました。
『マーブの嶽(たけ)』の入口。 |
この道も整備したら良かったのに。。。(笑)
遊歩道から『マーブの嶽』に向かって歩いてきたところ。拝所はこの奥にありました。。。 |
マーブの嶽 |
ってか、ハブが出現するのが怖かったので(笑)、写真を撮り終え、すぐさま遊歩道まで引き返しました( ̄▽ ̄;
遊歩道に戻ると、今来た道を戻らず、別の道へと進みました。
『マーブの嶽』の入口から、少し離れた場所の右側に、また獣道らしき場所を発見したので、その中へ行ってみると・・・奥に、拝所がありました。
この拝所は、城跡の説明板にも記載されていませんでしたね。
『山乃神』と刻まれた霊石が祀られた拝所 |
拝所周辺は、比較的綺麗だったので、こちらも地元の方が、定期的に拝みに訪れているんでしょうね。。。
この拝所から、遊歩道を練り歩いたんですが、それらしき場所は見当たらなかったので、またグスク説明板がある丘の方へ戻り、今度は『火立毛』と呼ばれる物見台と隣接する展望台へ行ってみました。
『火立毛』と呼ばれる物見台があった場所の隣にある展望台☆ |
展望台からの眺め☆(沖縄市泡瀬方面) |
展望台からの眺め☆(平安座島・浜比嘉島方面) |
古墓群へ行くには、一旦、公園横を走る道路へ出て、南南東のアスレチックが設置された場所に行きます。
このアスレチックがある場所の後方に、標柱が立てられており、その標柱から、丘の上へと続く獣道があるので、古墓群は、その奥にひっそりと佇んでいます。
喜仲の古墓群の標柱☆この後方から丘の上へと獣道が伸びています。 |
獣道を上がってきたところ。古い石積みがすぐ見えます。 |
『喜仲の古墓群』について、いろいろ調べてみたんですが、情報が全然なくて、何も分かりませんでした。。。
また、この古墓群の中で、ひと際大きな御墓があり、手前に『仲嶺の根人墓(なかみねのニーチュはか)と書かれた標柱が設置されてましたが、こちらについても、全く情報が出てきませんでした。。。
なので、喜屋武グスクとの関わりは、不明です。。。
|
仲嶺の根人墓(なかみねのニーチュはか) |
そして、その両隣にある崖葬墓は、仲嶺集落の創始者に関わる人物が葬られているのかもしれませんね。
※あくまで推察ですが。。。
仲嶺の根人墓の右隣にあった崖葬墓 |
仲嶺の根人墓の左隣にあった崖葬墓 |
すると、その突き当りにも、小さな崖葬墓がありました。
崖葬墓 |
小さな崖葬墓近くにあった開けた場所。こちらも拝所(?)になってるのかは不明です。 |
公園の遊具が設置されている場所と道路の間にあった『御神カー』 |
『喜屋武マーブ公園』は、整備工事が完了しており、とても見学しやすかったので、もし興味がある方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?
今回も、またまた長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『喜屋武城跡(喜屋武グスク)』《喜屋武マーブ公園》☆
☆場所:〒904-2236
沖縄県うるま市喜仲
☆入場料:無料
☆トイレ:あり
☆駐車場:あり